活動報告(10)2013年6月

期 間:6月19日(水)~21日(金)

 

19日

上野(8:02)…水沢江刺駅(10:33)…麺太で昼食…麟祥寺にてお念(13:30~15:00

…三日市でお念仏(15:30~17:00

 

 今回は、秋に実施予定の第二回「気仙三十三観音への招待」講演会及び気仙三十三観音一日徒歩巡礼に向けての打ち合わせ、徒歩巡礼道整備など、これからの活動に向けて仕込みのための気仙行きである。

 

 7:45上野駅中央改札口集合。この日は沖縄に台風接近とのことで予報は雨。新幹線の中でも雨が降ったり止んだり。水沢江刺駅でも小雨が降っている。日産セレナを借り住田町へ。一ノ関より峠越えがゆるく楽だ。ほどなく住田町の味噌屋麺太に到着(11:30)

 

 麺太さんにはいつもお昼時を外して訪問しているので、ラーメンを頂くのは久しぶりだ。新たに、鶏ささみ、もやし、きゅうりに特製麺太味噌だれをかけ頂くサービスが始まった。万能麺太味噌だれは野菜にも肉にも焼き餅にも合うので購入されたい。ラーメンは、辛味噌チャーシューにする。ガッツリと頂いた。お店はお客さんでいっぱい。秋の講演会の際、善光寺出開帳にて3万人を超える参詣者が手を合わせた要谷の聖観音さまを御開帳できないかと考えている。後日、電話でお願いしよう。

 

 車は高田の町を越え、末崎の麟祥寺へと向かう。電柱の所々に3月に張った観音様シールが確認される。3年は持つ防水加工のシールなので剥がれたり色あせたりしては困るのだが、風雪に耐えて愛しいのう、というホンワカとした気持ちになる。早く着いたので、すぐ近くの熊野神社に行き、私の寺で作る予定の気仙三十三観音お砂踏に使うお砂を取る。お堂の中はさらに整理され、正面に観音様がはっきりと見える。右には不動明王と役行者像が見えた。隣の魚屋さんはすっかりキレイになって商売再開の模様。門前の民宿も復活だ。麟祥寺さま到着(13:20)

 

 待ち合わせにはちょっと早かったが、もうばあちゃんたちは来ており、ご詠歌の声が聞こえてきた。震災から一年がたった昨年の3月初めてお会いして以来である。体調を崩され入院していた方もおり、こうして再開できるのはうれしい。最初の一言が、「いやー、待ってたんだよー」。まず私たちの練習成果をご披露する。そして、お二人でお唱えする節付きのお念仏を聴く。三日市で教わったお念仏の節より、ユリというのか演歌の小節のようなものが、細かく微妙に回るのでなかなかその通りには出来ない。我々のお念仏は早すぎるし、節になっていないと指摘いただく。退院後大きな声を出すのは初めてだそうで、1時間半お唱えし、きっとお疲れになったと思う。最後にお念仏を若い人に伝えることが出来てうれしい。これで私も安心してあの世にいけると笑っておっしゃった。お土産に、わかめや手作り苺ジャムを頂く。教えていただいて、お土産を頂くのは心苦しい。でもお二人のお気持ちをしっかりと受取りたい。帰るときにご住職とお会いできる。お礼を申し上げ後にする。

 

 後ろに飾ってあるミニチュアの旗には、「はまってけらいん かだってけらいん」とある。「けらいん」とは「~しませんか」の意。「上がっていきませんか、話していきませんか」の意だという。後に皆でお念仏をお唱えする。若い人がお念仏を覚えて伝えてくれる。それだけでうれしいとおっしゃった。本当は地元の若い人たちに祖母から母親から教えられたことを伝えたい。でもそれがかなわない今、たとえ地元の人でなくとも、こうしてお念仏を覚えてくれてありがとう、という思いなのであろう。いつも歓待いただいたのはこのような思いがあったのだ。切々たる思い、こちらも切なくなる。三日市のばあちゃんたちからも、わかめをたくさん頂く。また、お新香やお菓子を持たせてくれた(17:00)

 

 そして、三日市公民館に向かい、お念仏のハシゴ。ばあちゃんたち3人が、蕪、きゅうりのお新香や茎わかめの煮物、ゆべし、がんずりなどのお菓子を作って待っていてくれる。素朴な味わいでひととおりいただく。みなさん、毎日4時半から3時過ぎまで仕事をしているという。ホタテの殻にムール貝が付いてしまったのを一枚一枚剥がすという作業や、牡蠣のをホタテ貝の殻に植え付ける仕事、破れた網の補修などいろいろ仕事があるそうだ。みなさん働き者。

 

 公民館下の干拓地は向こうの山の裾野まで泥で埋まっていた。今回向こう岸まで堤防ができ、その下を道が通っていた。まだ明るい中、堤防の上に登り、海に向かってお念仏をお唱えした。だいぶ時間が経ったが、ばあちゃたちは手を振って我々を見送ってくれた。

 宿に向かう途中常の如くオーシャンビュー丸森で入浴。竹野文具で鍵を借り荷物を置いた後、屋台村「なかむら」へ。おとうさんもおかあさんもお変わりなく、活気あるお店の雰囲気である。ほやの味噌炒めが珍味だった。さしみはもちろん、穴子の白焼き、カンパチのカマ焼き美味。

 

 

20日

竹野さん宅(7:45)…上長部観音堂(9:00)…慈悲班:長圓寺脇林道経由金剛寺(11:00)/智恵班:送電線巡視路経由金剛寺(10:30)…竹駒食堂(11:30)…慈悲班:廻舘橋から常光寺(13:00)/智恵班:常光寺から世田米(14:20)…陸前高田市役所第7会議室にて打ち合わせ(15:00~16:30)…竹野さん宅

 私は5時起床。雨は上がり青空が広がっている。早起きしてしまったので、一時間ほど港を走ってみる。屋台村の手前の広い道を左に曲がると大船渡駅である。駅舎は津波で流されてしまったが、今はBRTの駅として待合室トイレなどが整備された。以前の面影を残す物は、駅前広場にはあるライオンズクラブが寄贈した水飲み台ぐらい。ところどころ欠けており痛々しい。駅から海まではすべて津波になぎ倒されガランとしている。道も地盤沈下いちじるしく、歩道から1m程度土盛りしている箇所もある。よって走りにくい。この辺りは初めて訪れる場所だ。サンアドレス公園に向かう。展望台の螺旋状の階段の手すりは津波で曲がったまま。壊れた水門、ひしゃげた鉄のモニュメントなど当時のまま。とても公園の改修まで手が回らないのだろう。港は魚市場が建設真っ最中だ。大きな建物が完成すれば、大船渡の漁業も活性化するのだろう。製氷工場、プレハブの事務所少しずつ体制が整ってはいる。大船渡プラザホテルもキレイに改修され営業中。快調に走り6時過ぎ帰宅。

 

 3月11日から行った徒歩巡礼において、国道歩きが大変苦痛であった。ダンプの往来が激しく、安心して歩けない。ところによっては歩道のないところもあり、ビクビクしながらひた歩きというところもあった。少々遠回りになっても、できるだけ国道を歩かないのがよい。いろいろ考え、①上長部から林道経由金剛寺まで、②気仙川右岸を廻舘橋から世田米まで、③上有住から小松峠で大船渡への3区間をたどると国道歩きが半分程度減るので実地踏査をすることになった。

 

 

 家でしばしリラックスの後、出発。常の如くローソンにてうどんやそば、おにぎりの食事。車は気仙川を渡り、長圓寺脇の林道で慈悲班(今井、金田、工藤)を下ろし、智恵班(吉水、福田)を上長部観音堂先で下ろす。車は美幸さんと幸那が金剛寺へ回送。智恵班は上長部仮設の駐車場で下り、林道を歩く。15分程度で送電線が見えてくる。送電線の下には必ず送電線巡視路があるので、尾根上の林道に登り気仙小の脇に下りることが出来る。しかし、林道の分岐を見落としまっすぐ行ってしまったところが失敗。無駄に尾根の上り下りをするはめになる。でも、送電線巡視路をたどり、予定のコースを歩ける。まったくの山道で道形がわかりにくいところもあるので、このルートを使用するなら道標が3箇所は必要である。気持ちよく登山が出来た。林道を下り金剛寺へ。

 慈悲班は、林道をずっと歩き智恵班と合流の予定だったが、復興住宅を建てるため木を伐採し山を崩す工事現場に向かう枝分かれする林道に入ってしまったため、登り返しに時間がかかる。通行止めの標識を無視して入り、おじさんに怒られ走ったりとスリリングなときを過ごしたそうだ。ただし、英之上人は疲労困憊で固まった顔で下りてきた。膝が痛いと言う言葉を残し、車に乗ったらすぐに眠りに落ちた。今泉の荒れ地の中に昔の街並みの写真が飾ってあった。

 

 予想外に時間が掛かったので昼食とする。前回伺った竹駒食堂。この日は酔っぱらいのおじさんとは会わなかった。日替わりの定食が穴子丼500円おいしくいただく。陽差しが強く汗をだいぶかいたので、身体が水を欲しているがぶがぶと飲んでしまう。

 

 午後は、気仙川右岸の林道を歩くこととする。小松峠越えは次回。慈悲班は、廻舘橋から横田の常光寺まで、智恵班は、横田の小坪橋から世田米まで。慈悲班を廻舘橋で下ろし、小坪橋へ。車の行き来がない林道が続く。道はゆるやかな登り、ほどなく交差した道は、平栗福寿庵へと下る道だ。農家の脇を通り、畑、杉林ゆったり登っていく。対岸を見ると結構な高さにいることがわかる。地図を見ると山道がほぼ直進しているようだが、分からない。下っていくと川端の畑に出て途絶えてしまった。登り返し林道を行く。広い伐採地に出た。荒れた林道を水たまりを避けながら進む。道が続いているのか心配だが、このままいけそう。やがて杉林の中に入り、四十八滝への道標見ると少しずつ下っていき民家の脇に出た。伐採地にも道標は必要だ。アスファルトの道を30分も歩くと世田米に到着。慈悲班と合流(14:20)。慈悲班は、一つ目の橋で砂利置き場にぶつかり、国道に戻ったそうだ。でも、堤の上の道が歩けるので国道歩きはあまりないとのこと。

 

3時より陸前高田市役所の会議室で、陸前高田観光物産協会、住田町観光協会、仏師の佐々木公一さんらと気仙三十三観音霊場再興についての会議を持った。

 以下に概要を記す。

議題Ⅰ 
10月27日(日)実施予定の「気仙三十三観音霊場一日徒歩巡礼」について
コース:住田町 世田米より長桂寺、城玖寺、坂本堂(約16キロ)                                
コース:世田米駅…満藏寺…向堂観音堂…長桂寺…城玖寺…坂本堂(解散)約16キロ
解 散:住田町世田米駅 17:15(16:40ころを目途に行動終了)

①八日町から世田米までの交通機関について帰りのバスについて
 →日曜日は住田町コミュニティーバスが運休である。参加者より参加費を徴収し、保健代と交通費に充てる。ボランティアバスをお願いする。
②各観光物産協会・ひとさじの会の位置づけについて
 →各観光協会主催ひとさじの会主管とする。主催については翌日の各観光物産協会の会議に諮る。
③広報の方法について
 →各観光協会主催なら各市町の広報誌に掲出可及び東海新報にもお願いする。
④参加申し込みのとりまとめについて
 →陸前高田市観光物産協会が窓口になる。
⑤参加定員について 
 →基本的に30名とする。若干の増員は可。
⑥昼食場所について
 →満藏寺で取る。延命寺ご住職に依頼する。
⑦班分けについて
 →6班程度。帰りのバスがあるので高田と大船渡と分けた方がよい。
⑧地元の若手僧侶にお手伝いを頼む。
⑨当日の役割分担について
 →先頭と最後尾で連絡を取り合う必要があるか。緊急対応の車が一台必要か。

議題Ⅱ
第二回「気仙三十三観音への招待」講演会について
日 時:10月28日(月)1時半から3時まで
場 所:浄土寺ご本堂(予定)
内 容:
「善光寺出開帳 両国回向院」報告(10分)          
 霊場のご詠歌/浄土寺詠唱講  (15分)
 仏像としての気仙三観音/盛岡大学大矢先生(40分)
 要谷観音堂の聖観音さま出開帳

①各観光協会への後援依頼。
②要谷観音堂の聖観音さま御開帳依頼
③記念品「観音さま散華」の作成

議題Ⅲ
地元の巡礼ツアー受け入れ体制について

 

 以下は私が気仙三十三観音霊場ツアーに興味があるという旅行会社の方お二方とお話した際の内容をまとめたメモである。「要望書」のような形で文書を作ったので物言いが少々強いが、その点はご寛容願いたい。


 東日本大震災から2年が経ち、被災地の状況も変化してきている。支援活動につ いても、今までとは異なる面からの活動が求められる局面に来ているといってよい。住宅移転等がようやく動き出した現在、仕事をする場を創出することが重要 ではないか。といっても、長い修練や専門的知識、また免許が必要な職種では、すぐ職につくのはなかなか困難であるといわざるを得ない。よって、誰でもすぐ 対応できる分野として「観光」がもっと注目されてよい。
 気仙地域には、古来より伝えられてきた「気仙三十三観音霊場」は、気仙三観音 や稲子澤の百一観音など地元に伝わる歴史が刻み込まれていること、地域に溶け込んだ霊場の素朴な味わいがあること、被災地ツアーとしても組み入れることが 出来ることなどから、魅力的な「観光資源」のひとつに数えられるであろう。「気仙三十三観音霊場」の巡礼ツアーはもとより、「気仙三十三観音霊場」を核と し、津波の語り部を組み入れたコースなど工夫を重ねることで魅力をあるコースを設定できるに違いない。
 各宗の寺院では「檀参」を行っているところも多いため、その誘致を勧めることも重要である。さらに、継続的に気仙を訪れていただくという点を重視するのならば、巡礼ツアーを誘致できる基盤作りを整備するようすぐさま検討を始めるべきである。
 過日、私がお会いした観光会社2社は、巡礼の会を組織しており、一社が400名、もう一社が600名の会員を有しているという。各所の巡礼に参っており、いままた、新たな巡礼コースを求めていると聞く。
 気仙三十三観音を詣でてみたいという方はもとより、被災地の支援をしたいが現 地での作業はできないと思っている方、被災地を訪れることは地元の方に失礼ではないかと思っている方、被災地を訪れてお金を使うことによって支援をしたい と思っている方、気仙三十三観音巡礼は、そのような方々の受け皿になるのではないか。一社は、実際にこの夏に下見に入り、来春には実施の方向で検討したい とのことであった。
 気仙地域を観光地として捉えたとき、大型バスの駐車場が少ないこと、大人数が 宿泊できる宿が少ないこと、大勢で食事を取れる食事どころが少ないことが問題点として挙げられていると聞く。巡礼ツアーは、中型バスないし小型バスで回る ため、気仙地域の宿泊、食事等の施設規模とも合致するのではないか。
 
 巡礼ツアーを実施するに当たり、観光会社の立場から必要なものとして以下の5点が挙げられた。 
   ①御朱印・御納経
 ②トイレの場所及び個数の一覧表
 ③宿泊施設の一覧表
 ④大型・中型バスが入れない区間の一覧
 ⑤気仙三十三観音の魅力をまとめたチラシ
 
 ①御朱印・御納経はツアーを継続的に行うに当たっての最も重要なものである。 お参りをしたという充実感を満たすものであり。巡礼の旅を思い起こすよすがともなるものでもある。巡礼をスタンプラリーのように捉えている方を取り込む手 だてでもある。ただお参りをしただけでは印象が薄い。一般のお宅が霊場をお守りしているという気仙三十三観音霊場の特質は理解できるが、数年先には御朱 印・御納経ができるよう状況を整えたい。たとえば、用紙を一枚一枚分けられる納経帳を印刷販売し、事前に観光会社から各霊場に訪れる時間・人数を伝えてい ただくという方法や筆耕が難しければ、被災松で観音様のお姿を焼き印で押した札のようなものを作成し、結願したらその札を33枚掛けられるボードをお渡し するということも考えられるのではないか。
 ②お土産屋や川の駅、食事場所などのトイレの場所及び個数も必要である。
 ③長期の客が滞在しているため、断られる場合が多い。気仙に宿泊するというツ アーを提案するには、必ずどこかの宿で受け入れてもらえるという安心が欲しい。ツアー客は檀参と違い赤の他人の寄り集まりであるため、相部屋は難しい。ま た配偶者が亡くなり1人で参加という方も多い
 ④気仙三十三観音の魅力をA4表裏に記したものをHPからダウンロード出来るようにして欲しい。

 気仙地域の、陸前高田市、大船渡市、住田町の観光協会、商工観光課、教育委員会等が意志統一を図り、ツアー誘致への整備を行うべき時期がきているのではないか。「祈りの道」ができれば、多くの方が気仙訪れ、復興の背中を押してくれるに違いない。

以上

 

 会議が終わり早々と帰途につく(16:30)。 旧道の駅の前に慰霊施設がしつらえてある。私は初めてお参りした。旧道の駅は津波の記憶としてそのまま残すそうだ。

 荒れ果てた建物内部を見て慄然とする。いつものお風呂で海を見ながら入浴。最近よく伺う「なごみ」へ。お通しセット1,000円で煮物、刺身、焼き魚など6品も付く。とってもお得な気持ちで店を出る。子どもがいるとお座敷は遊べてとても良い。

 

 

6月21日

竹野さん宅…荘厳寺…光照寺…浄土寺…大船渡津波伝承館…東海新報…大中仮設…水沢江刺駅…上野駅(解散)

 

 起床後、30分ほどゆっくり辺りを走る。工藤上人は5時半発の一ノ関行きのバスにて帰京。まずは部屋の掃除。使ったシーツなどを集め、食器を洗い、掃除機をかけて掃除完了。竹野さんのお宅に鍵をお返しし、ローソンへ。三日市のばあちゃん達に頂いたお菓子を食べたのでちよっと少なめ。

 

 善光寺出開帳の際、回向院さんが被災地に善光寺如来を御安置したいとの発願で6体の仏さまをお造りになった。その一体を高田市竹駒の荘厳寺さまに御安置することになっている。国道から少し入った山間に荘厳寺はある。タンポポの群れを眺めながら階段を上がるとご本堂の前には立派な枝振りの松がある。ご本堂に上がりお勤め。荘厳寺さまは、津波でご住職と娘さんを亡くされたという。7月に仏さまをお届けすることをお伝えし寺を後にする。

 

 そして光照寺さんへ(9:40)。境内には陸前高田駅を模した慰霊堂が建設中である。津波でなくなった方のお位牌を祀るそうだ。観音堂の建築計画もスタートし材木がそろえてあるとのこと。庫裏の地下の改装されていたが、寺カフェにし何かの会合で使用できたらと話をされた。なんでも檀家さんの間では今度寺で飲み屋を開くと噂が立ち楽しみにしている人がたくさんいるとか。噂とはいろいろ大きくなるものだ。ご住職のアイデアと行動力に敬服する。気仙三十三観音霊場再興プロジェクトから観音堂の再建費用として10万円をご寄付申し上げた。

 

 すぐ近くの浄土寺さんへ(10:30)。ご本堂脇に浄土宗の復興事務局としてトレーラーハウスがしつらえてあり、その中でお話しを伺った。浄土宗として、被災地に仕事を作るという趣旨で浄土寺さまに「にこまるクッキー」の作成・販売を委託している。全国各地から注文が来るそうだ。部屋の半分は、「にこまるクッキー」の作成に使用するスペースとなっている。試作品のクッキーを美味しくいただいた。まず、秋の講演会の会場としてのご使用をお願いする。快くお受けいただく。ご詠歌講の参加に対しては、浄土宗吉水講(ご詠歌)では、巡礼のときにお唱えする曲が無いため、適切な曲に浄土寺と正覚寺のご詠歌を当てはめ、テープに吹き込み送って欲しいとの要望があった。英之上人が担当となる。さらにもしかしたら、講演会前にたこやきなどの屋台を出すことになるかもしれないというお話しを伺う。実現すれば楽しい。

 

 1時半から「カモメのたまご」で有名な斎藤製菓の工場に建てられた、大船渡津波伝承館に伺う予定であったが、うまく連絡がついていなかったため見ることはできなかった。そこで東海新報社にご挨拶に伺い、秋の行事の後援及び情宣についてお願いする。佐々木さんはいらっしゃらず、上野さんとお話しする。『祈りの道』改訂版も順調に売れているとのこと。地元で少しずつ気仙三十三観音についての関心が高まっていくというのは嬉しい。

 

 2時半過ぎには大中仮設へ。私は純喫茶「夢」で夢ママとの懇談。他のメンバーは、集会所で皆でお念仏をお唱えした後、懇談した。双方盛り上がり2時間ほど滞在する。5時前に皆さんに送られ仮設を後にする。でも、ある方から聞いた言葉が胸に残る。「今、仮設は悲しい空気なんです」と。大震災から2年以上が立ち、いろいろな問題が顕在化していることは想像に難くない。それにしても「復興」とは何をもっていうのだろうか。よく分からない。

 

 セレナは、水沢江刺駅まで快調に走り、6時半の新幹線に乗車。次に行くのは秋なのだろうか。