期 間:2017年10月28日~29日

参加者:服部光治(28日)、工藤量導、福田亮雄(両日)

 

 秋の行事も6回を重ねてきた。今まで大船渡、陸前高田の実施であったが、今回は初の住田町で行うことになった。住田観光協会さまにお話しを持ちかけたところ、ご縁がつながり、なんと「すみた産業文化まつり」の一部門として参加できることになった。

 

 行事を主管する住田町教育委員会さまの計らいで、会場の提供だけでなく、チラシの住田町全戸配付、集落を廻っての巡回バスの配車、受付の手配など大きな力を貸していただいた。そのお陰で、過去最多150名もの方が参加された。ありがたいかぎりである。観音様もやさしくお力をお貸し下さった。

 

 講演会では、福田の活動報告の後、上有住・玉泉寺梅花講の講員14名の方のご詠歌御奉詠。ご詠歌の大会では皆さんと共に客席での御奉詠だそうで、舞台の上でスポットライトを浴びての奉詠は初めてで緊張したとおっしゃった。でも、良い思い出になったと喜んでいただけた。

 

 講演会は、陸前高田古文書研究会会長の細谷英男先生を講師にお招きし、「気仙の古代探訪-仏教文化を中心として-」という題で、平安時代に創建された、長谷寺、泉増寺、金剛寺、観音寺、常膳寺、光勝寺の来歴や伝説の紹介を中心に、産金と寺院との関わりや仏像が紡ぎ出す古代の物語などをお話しされた。

 

 翌29日は台風の影響で強く雨が降るとの予報。果たして実施してよいのか迷ったが、参加の判断は各自でしていただき、徒歩巡礼のコースを短縮して実施することに決定。早朝に陸前高田市観光物産協会大坂さんが申し込みのあった17名それぞれのご自宅に電話連絡をしてくれた。

 

 雨の中、上有住公民館に着くと、なんと全員参集合。総勢21名となった。ほとんどが春の巡礼参加してくれた方々で、半年ぶりの同窓会のような和気藹々とした雰囲気だった。巡礼の輪が広がっていることを実感した。これまたありがたいことだ。公民館2階が会場である。まず、法楽を捧げ、「延命十句観音経」写経。その後、福田が「心の構造-仏教は心をどうとらえたのか-」という題で30分ほどお話しを致した。

 

 その後、すぐ裏にある「住田町民俗資料館」を千葉修悦さん解説のもと見学。産金の方法や様々な信仰の形態、子どもの頃あった生活用具の展示など、みなさん興味深く見ており、一時間はあっという間であった。

 

 いよいよ雨の中の徒歩巡礼。といっても霊場の坂本堂、城玖寺は遠いため取りやめにし、すぐ近く上有住の中心街・八日町の八幡寺、玉泉寺の仏像を拝観した。八幡寺は六部が背負ってもたらした笈に入ったお地蔵様、玉泉寺では町の文化財に指定されている聖徳太子像を拝観。雨には降られたが、

お茶やお菓子のご接待を受け楽しくお参りできた。

 

 最後に来年3月の徒歩巡礼での再会を約してお別れした。

 

10月27日

上野駅(8:54)…水沢江刺駅(11:39)…船野さんの車にて住田町へ…住田町教育委員会松田さまと打ち合わせ、農林会館大ホールの準備(プロジェクターセット、演台、マイクテスト、司会者の台、受付用机)…船野さん宅にて夕食…一期舎(泊)

 今秋は、メンバーの都合が合わず、当初は私一人での参加であったが、服部さん、工藤さんが直前に参加決定、ほっと一息。服部さんは夜行入り、夜行帰りという強行軍である。工藤さんは数日前に夜行バスのキャンセルがありぎりぎり参加できることとなる。ありがたい限りだ。

 

 私は朝の新幹線で水沢江刺へ。大船渡の船野さんから車を出してくれるとのありがたいお申し出があったので、お言葉に甘える。ご用事のため14時半に到着とのこと。

 

 予定通りお昼前の新幹線で水沢江刺に着き荷物を預けた後、4キロ先の水沢までマラソン、走りながら観光もできた。国道を走ると車の排ガスを吸わねばならないうえ、歩道の段差が煩わしい。裏道にはいると目的地から逸れていく。

 

 遠く杉の木立が見えたので行ってみると、江刺三十三観音霊場の駒形神社であった。田んぼの中にひっそりと立つ、かわいいお堂に入り観音様を拝むことが出来た。堤防が見えたのでそちらに向かう。北上川を渡り水沢の町へ。滔々と流れる北上川、なかなかの風格である。

 

 競馬場を左に見て水沢の町に入る。裏通りに密集する飲み屋街にびっくり。その数は数百といってよいのではないか。哀愁漂う路地をうねうねと走る。夜訪れればとりどりの妖艶な明かりに彩られ、おやじごころをくすぐる場に変身するのに違いない。昼はわびさびの世界である。首をかしげて考え込んでいるような建物が多い。タクシーの運転手さんに聞いたところ、これといった名産がなかった水沢は商業の町としてたいへん栄えたそうだ。よって大きな飲み屋街が形成されたとか。これでもだいぶ減ったそうだ。

 

 その後、高野長英旧宅、武家屋敷高橋家を外から見学し、日高神社のご神木を拝し、ランニング終了。かれこれ1時間走った。予定では温泉まで走るつもりであったが断念。スーパーのトイレで着替えた後、駅前で焼カレーを食べ、タクシーで水沢江刺駅へ。

 

 予定通り14時半に船野さんと合流、住田町へ向かう。およそ1時間、3時半に到着し、町役場裏にある農林会館大ホールにて事前準備。600名収容の立派なホールである。舞台も広く高く深い。教育委員会の松田さんはじめ、役場の方々3人がお手伝い下さる。

 

 パソコンをつなげてのプロジェクターのテスト、照明の調節、演台・司会者の台の位置確認、3本のマイクテスト、音響の確認、緞帳の上げ下ろし確認、受付机確認、講演の垂れ幕設置などなど、やはり小一時間かかった。翌日のお願いをして役場を後にする。

 

 まず宿泊場所の一期舎に荷物を預け、船野さん宅へ。夕食をご接待いただく。6時前にちんどん寺町一座の佐藤忠清さん、巡礼にも参加してくれた鈴木憲助さん、観光物産協会の金野さんと続々集合。みなさんわざわざおいで下さった。

 

 船野さんの奥様の手料理で盛大に飲み食いする。忠清さんからいただいたホヤ、まった臭みがなくスイスイばくばくと食べられる。酢も醤油もいらないとのご指導。磯の凝縮した旨味を楽しむ。まぐろといかのお刺身、肉厚しいたけ焼を荒塩で。いわしのつみれ汁、大船渡名物大ぶりのサンマ塩焼き、もちろんすべてうますぎ。締めは船野さんが育てたお米で炊いた小豆入りおこわ。サンマ二本、汁二杯、おこわ二杯。はっきりいって食べ過ぎである。これでは太って帰ることになってしまう。

 

 8時半に中締めをし、住田町小股の一期舎に送っていただく。帰ってすぐに眠りにつく。

 

 10月28日

一期舎…住田町役場…農林会館大ホール「気仙三十三観音霊場への招待」講演会(10:00~12:00)…産業まつり見学…世田米まち中カフェで昼食…金剛寺…要害観音堂…アバッセ陸前高田…一期舎

 

  まだ薄暗い5時半起床。トンネルが出来たため忘れられてしまった旧道を大股まで走る。辺りの山々は紅葉の錦をまとっている。そう寒くはない。お不動様の祠や旧大股小学校など大股の観光スポットを見学する。

 

 およそ1時間、朝のマラソンを楽しむ。昔は国道が通っておらず、山越えの旧盛街道を歩いて小学校まで通ったとのこと。今度泊まるときはチャレンジしてみたい。帰ってくると一期舎のお父さんが犬の散歩から帰ってきた。引き続き散歩に連れ出すがすごい勢いでダッシュ、私も一緒に負けじと走る。ワンコもしっぽを振ってくれるようになった。覚えてくれたようだ。

 朝ご飯は、卵焼き、焼鮭、カボチャの煮物、ほうれん草のおひたし、サラダ、古代米入りご飯。すべて食べるにはご飯が二膳必要、ということでまた朝から二杯食べてしまう。もうとまらない。

 

 服部さん工藤さんは、昨晩池袋から夜行バスに乗車し、陸前高田市役所着6時38分、住田高校行きバスに乗り換え世田米駅7時37分着。私は8時前に町役場着。今は携帯電話があるので便利だ。農林会館大ホール玄関にて合流。二人は朝食を取る。船野さんから頂いたおこわも少しずつ食べる。

 

 これからの段取りを確認し、パソコンをプロジェクターにつなぐ。しかし……、電源が入らない。なんど押しても入らない。昨日はすぐに電源が入ったのに、どうして。せっかくパワポを作ってきたのに…。デジカメから写真を取りだしこれから出来る範囲で作成しようかと作業を始めると、突然スイッチに光が灯る。観音様もたまにはいたずらをするのかも。

 

 9時半になると続々と人が集まってくる。一期舎のおかあさんをはじめ、顔を見知った方もたくさん見える。そして、上有住、下有住を巡回し参加者を乗せてきた大型バスが到着。

 

 住田産業文化まつりの一環として行われたため、町が予算を付けてくれバスを出していただいた。お年寄りは遠くへ行く足がないためなかなか参加が難しいのだが、思いがけぬご支援を頂いた。開始前に150名を超えた。

 

 玉泉寺のご詠歌講の皆様も到着。控え室にお通しする。初めて若奥さんともお会いした。総勢14名。みなさんお元気そうだ。細谷先生もご到着。バスやトラックの後についてなかなか抜くことが出来なかったとのこと。

 

 いよいよ、開始となる。服部さんの司会。会を立ち上げるに到った経緯や、活動の目的について簡単に話してもらう。

 

 初めに福田より気仙三十三観音霊場に関わるニュースと活動の紹介を15分でお話しする。

  1. 10月8日に本堂の落慶法要が行われた金剛寺について。被災したご本堂、がれきより救出されたご本尊の写真や修復されたご本尊のお姿、完成したご本堂の写真を見て頂く。
  2. まだ再建途中である要害観音堂の写真とがれきの中から発見された観音像の写真を見て頂く。要害観音堂が再建されると気仙三十三観音霊場のお堂がすべてそろうことになるのだ。
  3. 今春の徒歩巡礼の様子を見ていただいた。

 

 

 それから一度緞帳を下げ、玉泉寺梅花講のみなさんに用意をしていただく。正座が難しい方もおり、後列は椅子席に。声が届くか心配されたが、音響の良いホールなのできちんと聞こえていた。

 

 曲は4曲。みなさん緊張の面持ちだ。最後の曲は、南こうせつ作詞作曲の「まごころに生きる」を振り付きでお唱えされた。玉泉寺のおばあさんが考案されたそうだ。しんみりした曲ばかりでなく、最後は明るい曲でという心配りであった。

 

「そよ吹く風に小鳥鳴き 川の流れのささやきや 季節の花は移りゆき 愛しい人は今いずこ 微笑みひとつ 涙ひとつ 出会いも別れも抱きしめて 生きてる今を愛していこう」

 

 しみじみとした良い曲だった。緞帳が降りホットした顔で下がってくる。感想を聞くと「曲は覚えているけれど知り合いの顔が見えて正面を向けなかった」「緊張した」と仰っていた。

 

 ご詠歌の全国大会は、大勢のため客席でお唱えするそうで、舞台の上でスポットライトを浴びながらの御奉詠は初めてだとのこと。若奥様は「貴重な体験をさせて頂きありがとうございました」もったいなくもおっしゃった。記念品は、巣鴨とげ抜き地蔵名物「マルジ」の長寿赤腹巻きと観音様バッチ。毎年赤腹巻きは大好評だ。それからみなさん客席に移られ細谷先生のお話を伺う。

 

 最後に陸前高田古文書研究会会長細谷英男先生に「気仙の古代探訪-仏教文化を中心に-」という題でご講演を頂いた。気仙地域史の出版や講演で活躍されている方である。

 

 お話しでは、平安時代に建立された寺院や仏像を取り上げひとつひとつ丁寧に来歴を話された。以下に気仙三十三観音霊場に数えられる、泉増寺、金剛寺、長谷寺、観音寺について要約を記し置く。

 

 第一番泉増寺は、真言宗の寺院。弘法大師が当地を訪れた際、勝地と定めお堂を建てたという由来があり、最初は丹生寺といい、神明社という神社を守護した寺だったそうだ。ご本尊の聖観音像は16.5センチ銅製、平安時代初頭十世紀前後の作で気仙最古の鋳造仏と判明した。製作当初は金箔で飾られていたかもしれないが、火の中や土の中にあったらしく表面が痛んでいる。この仏さまにちなんだ昔話があるそうだ。

 

 泉増寺の観音様を盗んだ泥棒が矢作と今泉の間にある峠を越えていくとき、登るに従って一足一足背中に背負っている観音様が重くなっていき、ついには歩けなくなってしまった。そこで良心の呵責に責められ寺に戻ろうと坂を下り出すと、動かなかった足がスイスイ動くようになったという。そのとき盗まれなかったのでいまこうして拝することができるのだ、ありがたいことだ。

 

 次に第二番金剛寺も真言宗の寺院。888年、大江千里が都から高田へ下向の折、氷上大権現に帰京できるよう祈ったところ願い叶って4年後に帰京とあいなった。その御礼にと金剛寺を建立したという。元は現高田小の講堂奥にあったといわれ、「こうじぼら」という地名が残るが、これは「金剛寺ぼら」がなまったのではないかと言われる。その後米崎町に移転、現在、三軒ある農家の真ん中の家が最も古く、昔は寺田を耕していたそうだ。500年ほど前に火災に遭い今泉の現地へと移転した。


 第二十二番長谷寺は807年開基、坂上田村麻呂が猪川に威勢を張っていた金犬または金城丸という蝦夷の族長を責め、その墓の上にお堂を建てたという伝説がある。しかし、田村麻呂は気仙にはやって来ておらず、別の人が訪れたのであろうとのこと。三陸海岸には鬼越、鬼間崎、脛崎、首崎など鬼に関わる地名が多く残っているが、金城丸の家来が、猪川から三陸町へと逃げていったという伝説やその遺体が打ち上げられたという言い伝えが反映しているのではないか。

 

 収蔵庫に収められている仏像は平安後期の作で、県指定文化財に指定されているものが3体もある。白木に鉈彫りで仕上げられているのが特色である。鉈彫りとは丸鑿で仕上げられている。

 

 第7番観音寺は、807年開基。蝦夷とは別府隼人が蝦夷の族長熊井を成敗し葬ったその上にお堂を建てたという伝説がある。小友の早虎を征伐したとき、箱根山にいる大鷹を捕まえ弓矢の矢羽根に使ったという。「とどながれ」という地に熊井が隠れていたが見つけられ矢で射られた。「くまいだ」という地名は熊井が倒れたところ、下矢作の「ひろおけ沢」とは亡骸を埋めたところ、「げどうじり」の「外道」とは蝦夷のことをいったと言われる。平成27年観音様が県の文化財に指定された。

 

 他にも産金とお寺の関係など興味深いお話しを頂いた。予定通り12時閉会。

 

 講演会終了後は、役場のホールで行われている、写真や絵、工芸品などの展示を見た後、みなさん帰途につかれる。

 私たちは、古民家を移築してオープンした「まち家世田米駅」に併設されているオシャレな「すみたのだいどころkerasse」にて昼食。地産地消を掲げ町おこしに大きく貢献している。いままでタイミングが合わずに食事をとることができなかったのでうれしい。

 

 チキンカツを頂く。サラダやソフトドリンクのバイキングも含まれているが、野菜やドレッシングの種類も豊富でお得感満載だ。もちろんすべてがおいしい。開放的なお部屋でゆったりとランチタイムを楽しむ。

 

 新川さんが車を出してくれたので、工藤さん、服部さんに高田の街を案内する。まず金剛寺へ。再建成った本堂を拝す。再建に到るまでのお話しを伺う。

 

 次は要害観音堂へ。別当家の高台移転地脇に再建中である。もう出来ていたはずであったが、大工さんの体調がすぐれず工事が止まり完成には至っていない。春の巡礼の時には完成したお堂を拝したい。

 

 そして、高田の新市街へ。広大なかさあげ地にはスーパー、図書館、児童遊園、お店の数々が建っている。以前は荒涼とした土地であったが、道路ができ区画がなされ、市街の中核が出来上がりつつある。高台にあった浄土寺が同じ高さに見えるのが不思議である。来春には多くのお店や住宅が建ち並び、また別の風景になっているに違いない。

 

 買い物を済ませ、一期舎へ送ってもらう。風呂に入りちょっとゆっくり。服部さんは夜行バスで帰京するので、新川さんに盛まで送っていただく。なんと新川さんのお宅で鮎の塩焼きをご馳走いただいたそうだ。夜行バス出発ギリギリまで盛り上がったらしい。ありがたい。

 

 楽しみにしていた一期舎の夕食。お鍋、サツマイモのハッシュドポテトカレー風味、ひらめとあじの刺身、季節のサラダ自家製ヨーグルトドレッシング、鹿肉のグリル自家製黒ニンニク添え、新作生ハム巻き寿司など。お酒はもちろん地酒酔仙なり。

 

 工藤さんは念願の初一期舎。料理とともにおとうさんおかあさんのトークを堪能しまくっていた。

 10月29日

一期舎…上有住地区公民館〔8時半開館、9時半より読経、法話30分、「延命十句観音経」写経、10時半終了〕…民俗資料館見学(10:30~11:30)後昼食…一日徒歩巡礼出発(12:00) …八幡寺・地蔵尊拝観…玉泉寺・太子像拝観…上有住地区公民館(解散 14時半)

 朝起きると雨。雨足はまだ強くない。天気予報は台風来襲を告げている。しばらくすると、陸前高田市観光物産協会の大坂さんから、実施するか否かの問い合わせがある。徒歩巡礼の距離を短縮し、実施する。ただし、天候の様子を見て各自参加を判断いただく、ということにした。申込みされた方々それぞれに電話で連絡いただく。

 

 

  美味しい朝食を頂き、上有住公民館までお送りいただく。雨足は強くなってきた。公民館は8時半開館。ぞくぞくと参加者が集まってくる。雨の中足をお運びいただいてありがたい。ほとんどの方が春の巡礼に参加いただいた方だ。半年ぶりのクラス会のようで初めから和気藹々の雰囲気である。2階の研修室がこの日の会場となる。ストーブを入れ、テーブルに写経用紙と筆ペンを置き準備完了。

 

 

 おそろいなので早めにスタート。まず「気仙三十三観音霊場巡拝のしおり」にのっとりお勤めをする。そして延命十句観音経の写経、それぞれ最後に願意と名前を書いていただく。30分程度で終える。

 

 それから福田が「心の構造-仏教は心をどうとらえたのか-」という題で30分ほどお話しをする。

 

 私たちの身口意による行動ひとつひとつから、行動の余韻ともいうべき「種子」が生じ、それが心の深奥にある無意識の世界「阿頼耶識」に「薫習」され、その「種子」が何らかの契機により実際の行動として表れる。それを「現行」という。よって「阿頼耶識」に「薫習」された「種子」はより分けることも出来ず、すべてを引き受けて生きて行かざるを得ない。私たちに出来るのは、「いま」を丁寧に生き、善の「種子」を「薫習」していくしかない。という内容であった。

 

 雨は徐々に強くなってきた。すぐ裏にある住田町民俗資料館を拝観する。この建物は、昭和初期に地元の人の寄付により建てられた上有住小学校校舎を移築修復し、資料館として再利用されているもの。木造二階建ての洋風建築の校舎は、広い廊下、木の手すりの階段があり、各教室を利用し、産金の資料、住田が生んだ歌人佐藤霊峰について、信仰、郷土芸能などのコーナーが設けられている。

 

 この校舎で学んでいた千葉周悦さんの解説で見学。階段の手すりが光っているのは小学生たちがすべって降りた故であったり、水を張ったバケツを持って立たされたりという思い出話からはじまり、苦学生の佐藤霊峰の故郷への思い、生活の苦悩が込められた短歌の鑑賞、気仙に分布する金山の図や鉱石から鉱物を採集するための石を砕く機械の見学など、初めて学ぶことばかりとても勉強になる。

 

 みなさんが一番くいついたのは、炉端が再現され昔の生活用具が展示されているコーナー。子どものころに使っていた道具を手にとってあれこれ思い出話に花が咲いていた。過ぎ去りし時に戻ることが出来る、同年代の方とあのころを共有できる貴重な場である。

 

 先ほどの部屋に戻り各自昼食をとる。遠足のよう、とても楽しげである。

 

 いよいよ、徒歩巡礼開始。雨具をバッチリと来て出発だ。当初は霊場の城玖寺、坂本堂にもお参りする予定であったが、遠いのでカットし、上有住市街八日町にある、真言宗八幡寺さまと、講演会に御出詠いただいた曹洞宗玉泉寺さまをお参りする。

 

 歩いてすぐではあるが雨具を着てのお参りで時間が掛かる。街中を通り八幡寺さまへ。車で参加の方が我々を見失いちょっと迷子になる。ご住職がお堂を開けて待っていて下さる。雨具を脱いでご本堂へ。ご本尊の前で法楽。

 

 

 

 その後、御厨子に納められているお地蔵さまを拝む。昔回国修行をしていた六部といわれる人たちがいた。六部は御厨子に納めた仏像を背負い諸国を行脚し、色々なお宅に上がり祈りを捧げた。そのうちの一人が上有住のお宅に逗留しているとき、亡くなってしまい、残されたお地蔵様をそのお宅でずっとお守りしてきたそうだ。最近、お寺に預けられたとうかがった。

 

 御厨子はほぼ痛んだところがなく、扉や引き出しや背負い紐もしっかり残っている。このように完璧な形で残っているのは珍しいのではないか。お孫さんが飴とお茶をご接待してくれる。玉泉寺の若奥さんも参加してくれたが、こんなに近くでも本堂に上がったのは初めてとおっしゃっていた。

 雨具の着脱にけっこう時間が掛かる。歩いて5分ほどで玉泉寺到着。釣鐘が乗る山門をくぐりご本堂へ。ご住職がお待ちいただく。初めてお会いできた。

 

 ご本尊に御法楽を捧げ、左に祀られている聖徳太子像を拝する。住田町指定文化財になっているそうだ。室町期に作られた1m一木の像で、廃寺となった熊野山常光寺から引き継がれた仏像だそうだ。本堂で茶菓のご接待を頂く。

 雨足が強まった中、上有住公民館に戻り解散とする。みなさん車で乗りあわせて帰られる。来年の徒歩巡礼にはご参加下さる方がきっといらっしゃるに違いない。再会を約してお別れする。

 

 私たちは新川さんの車で水沢へ。住田からだと一ノ関より水沢の方が近い。水沢の街で無魔成満をお祝いして新幹線乗車。工藤さん服部さんに参加してもらってよかった、としみじみと反芻した。