活動報告(8)2013年3月

期 間:2013年3月10日~15日 4泊5日

  

持ち物:

□作務衣 □改良服 □防寒具 □タオル □下着 □靴下 □雨具(セパレート式)

□ジョギングシューズ □錫杖 □網代笠  □念珠 □輪袈裟 □経本 □洗面具 □地図  □腕時計 □メモ帳 □携帯電話   □水 □お菓子 □昼食 □筆記具 □カメラ  □マジック□観音さまシール

 

 東日本大震災からちょうど2年。今年は慰霊の思いも込め、3.11から「気仙三十三観音霊場」を歩いてお参りする計画を立てた。徒歩巡礼道整備の目的もあるため、道程の、要所要所に、目印となる「観音さまシール」を貼りながら歩くこととした。

 

  結願した今振り返ると、130キロを4日間で歩ききるのははなはだ困難であること、ダンプに怯えながら国道を歩く区間を減らすべくコースを精査すべきであったことなど課題が浮上してきた。また、時間の都合上、車に乗ってしまった区間も数カ所あった。

 

 といっても、改良服、網代傘、錫杖といった「正装」で歩いたこともあり、地元の方々に御喜捨をいただいたり、遠くから合掌を捧げられたり、車を運転している方から深々と頭を下げられたこともたびたびあった。

 

 わたしたちは、この4日間を通してたくさんの功徳をいただいた。気仙三十三観音霊場を歩いてお参りできるという機会を得られたことはまことに得難い経験であった。と同時に私たちの歩く姿を見て地元の方々がちょっとでも「ホッ」としていただけたとしたらうれしい。

 

 今回は、徒歩巡礼道整備。数日前、目印として要所に張って歩く、「観音さまシール」2種類と矢印シールが完成した。デザインはデザイナーの鴨居さんにお願いし、印刷については工藤さんが担当した。おかげでかわいらしく、そして目につきやすいシールとなった。これを巡礼者の助けとすべく、道の分岐点等の電柱やガードレールに張って歩くこととした。

 

  10日が日曜であったため、それぞれの寺の法要等を終えた後、気仙に向かった。私は、ひとり電車で一ノ関経由気仙沼へ。他のメンバーは4時に車で東京を出発し、現地に向かう。おりしも強風吹き荒れる日で、新幹線は徐行運転、緊急停止を繰り返し、東北自動車道は古川手前から通行止めとなった。それぞれ予定の時刻より遅れて宿に到着した。

 

3月11日

陸前高田市役所…0.8km…大石観音堂…4.9km…古谷観音堂…1.2km

…要害観音堂…3.0km…上長部観音堂…4.0km…金剛寺…0.8km

…泉増寺観音堂…4.1km……矢作温泉元湯鈴木旅館

 850分陸前高田市役所集合。昨晩他のメンバーは1時前に大船渡着。運転をしていたとき車が強風を受け押しやられるのが怖かったこと、強風吹き荒れる中での給油が大変だったことを聞く。無事に着いて何よりだ。

 

 私は気仙沼の駅前旅館に泊まり、先月開業したBRT(バス高速輸送システム)に乗り陸前高田へ。

 真っ赤な車体に大船渡のキャラクター「おおふなトン」が描かれたバスだったが、普通の路線バスと走る道も変わらずちょっと拍子抜け。それにしても、なぜ「おおふなトン」は豚なのだろうか。


 快晴だが風が強く且つ寒い。最低気温は-5℃、最高気温は3℃。青空にちらちらと雪が舞う。そういえば昨年の3.11も青空に雪が舞っていた。

 

 陸前高田駅は市役所の前のバス停。前にみどりの窓口ができていた。また市役所前の山が削られ造成中であった。木が茂り山であっときを知っていると不思議な感じである。しばらく市役所の入口で風をよけて休む。みなさん続々出所。気持ちよく朝の挨拶をする。

 

 8時35分敷地内にある観光物産協会を訪ねる。大坂さんに昨年観光物産協会が企画した気仙三十三観音ツアーについてお話を伺う。参加者20名で締め切り、ほとんどの方が第2回目をご希望とのこと。暖かな時期に実施予定だそうだ。巡礼をきっかけに人の輪が広がって行くとうれしい。また、津波の被害にあった建物がほとんど解体され、これから震災をどう伝えていくかが課題だとおっしゃっていた。



 ここで皆と合流。改良服、網代傘、錫杖のいでたちに衣替え。大坂さんの「お気を付けて」の言葉を背に9時出発。

 

 高台にある市役所から国道を下りすぐの大石観音堂へ。今回全行程で金田美幸さんと幸那ちゃんが車で併走してくれる。力強いサポートである。国道を数百メートル歩き、大石観音堂(9:4510:00発)。坂を上り離れの縁先に安置されている観音様の前で法楽。サッシを開け直接美しいお姿を拝せる。

 

 ここで、大船渡中学仮設に慰霊のための法要に向かう班と歩く班とに分かれる。法要班は吉水、今井ご夫妻、美幸さん、幸那ちゃん。歩き班は、金田、工藤、 福田。幸那ちゃんもベビーカーで同道の予定だったが、風があまりに強く泣きやまないので、法要班に合流。法要班は、仮設の集会所に40人以上の方が集ま り、海の方向に向かってお念仏。涙を流している人、仏壇をしっかりお参りできないことを気にやんでいる人など普段心の奥にしまっているものをはき出せた人 もいたと聞いた。

 歩き班は、大石から国道を進み気仙大橋を渡る。歩道脇の街路樹はすべて津波になぎ倒されたもよう。土は見えているものの、木は一本もない。線路をまたぐ部分からは高田の町が見渡せる。

 

 左前の高田松原近くにあったホテルの解体工事が始まった。その手前道の駅のタビック、一本松前にあったユースホステルはまだ姿を残している。見晴らかしてもがれきの山が小さくなった。なにもなくなってしまった。

 

 それにしても海からの寒風が厳しい。シールを貼るにも手がかじかみうまくシートからはがせない。シールが風ではためきひとりでは張れない。その横をダンプが音を立てて走る。一本松も遠くその姿を拝めたが、なにか不具合があったらしく、まだ手がかかるとのこと。気仙大橋を初めて歩いて渡る。右手に流された橋桁が並んでいるが、何か工事が始まった模様。何度も車で通った橋だが、ダンプが通ると橋がけっこう揺れることを初めて知る。まさに仮の橋だ。こわい。

 

 渡ったところを左手に折れ、津波の被害にあった中学校の脇を通る。3階部分まで津波が入っている。校舎入口の水道がなまなましい。以前はすぐ脇から長部へと抜ける道を通ったが、今は工事のため通行止め少し先の道を左に入る。工事が各所で行われているということは、徒歩巡礼道のルートも年々変わるということ。これから定期的に歩くことが必要になると思われる。

 道の脇の家の方から、「少しですが」と御喜捨をいただく。観音さまシールをお渡しする。そのお気持ちを頂き、その方々とともにお参りさせていただく。長部の港にあった郵便局等はいま取り壊しが始まった。昨年訪れた際は、護岸が壊れ海の水が道路脇まで入っていたことを思い出した。舗装はまだガタガタ。

 

 坂を緩やかに登り古谷観音堂(11:5512:30発)。門の上に横たわる松の枝の下をくぐり、母屋裏手の観音堂を参る。綺麗に掃除がされ明るく心地よいお堂である。堂内には、お配りした御朱印の紙と巡拝のしおりが置かれていた。

 

 12時になるので朝コンビニで購入した昼食を縁先でいただく。工藤上人の分厚いカツサンドがうまそうだ。母屋でトイレを借りる。ここで電話がかかり、要谷公民館で合流することにする。予定より大幅に遅れている。

 

 すぐ前の道を15分ほど歩き要谷公民館。すぐ前に新しい家が建築中である。みなさんと合流し、坂を下り要害観音堂跡地で法楽(13:0013:15)。幸那も手を引かれて一緒に降りてお参り。お堂は道からちょっと入った路地の奥に建っていたそうだが、今はどこが道でどこが路地であったかも分からない。

 

 車は上長部観音堂へ。来た道とは違うルートで長部港へ。坂の上から津波におそわれた谷が見下ろせる。吉水上人お念仏をお唱えしながら歩いている。新たにできた冷蔵工場の手前にさらに新たな施設を建設中である。

 

 長部川沿いに進み、新たになった長部公民館前の慰霊碑前にて法楽。何人か人が集まっている。有線放送で津波が襲った2時26分にはそれぞれが海の方向に向かって黙祷するよう呼びかけていた。

 

 道を左に折れ「観音堂入口」の石碑を曲がり、鳥居をくぐって山道を登ること数分、上長部観音堂である。張り出しの立派な大きなお堂だ。中に入りお勤め(14:2014:35)。格子がはめられた御厨子の中をランプで照らすと立派な観音様が見えた。工藤上人数珠紛失。後ほど美幸さんが発見してくれる。2時26分が近づき公民館前に人が集まっている。


 国道に出て直進。国道沿いにある長圓寺にご挨拶。気仙三観音の長谷寺のご住職がお住い。門までお見送りいただく。しばらく国道脇の旧道を歩く。ホットする。気仙大橋までは車の往来激しく歩きにくい。遠く金剛寺不動堂が見える。津波にさらわれ荒涼とした地域を歩く。このあたりの今泉の地は、蔵が建ち並ぶ歴史がある地域だったそうだが、今は何もない。

 

 金剛寺手前の山際に映画「先祖になる」に登場する佐藤直志さんが建てた住まいがある。裏には映画にも出てきた納屋が。じいちゃん元気に過ごしているかちょっと心配になる。

 

 金剛寺不動堂まであがると小林ご住職と奥様が檀家の方々とともにいらっしゃる。お堂の中で御法楽。うぐいす餅やらまんじゅうやらおいしく頂く。檀家の方の中には昨年行った講演会に来ていただいた方がいたようで「講演会の方だ」と顔を覚えていてくださる。「お気を付けて」と声をかけてくださり、姿が見えなくなるまでお見送りいただく。

 

 すぐ近くの泉増寺へ。津波にやられた階段は直っていた。子安堂の中には奇岩があるのだが、新たに木製の金精様が祀られている。霊験あらたかか。階段を上りお堂の前で法楽。高台からは、土の茶色に覆われている今泉地区、その向こうに水門、そして海が望める。

 

 ここから峠越えをして鈴木旅館へ。未舗装の林道を進み山へ分け入っていく。このあたりは復興住宅になるそうで杉の木の伐採が進んでいる。二股の道を左に行くが間違い。なかなかわかりにくい。右に登っていくと、善光寺ご開帳に立てる回向柱を斬りだした場所のすぐ脇を通る。登りになると皆足がきつそうだ。

 

 どんどん下っていくと町が見えてくる。正面には観音寺さんの本堂が見える。宿泊の鈴木旅館はすぐそば。国道を左に進み到着(17:35)。予定では、馬頭観音堂、観音寺、延命寺、羽縄観音、正覚寺と歩くことになっていたが、とても無理であった。

 

 旅館は満員。入口に「仮設住宅入居の方は入浴無料」の張り紙があった。1泊2食付き2700円也。安すぎ。ただし食事は仕出し弁当。といってもちゃんとしたお弁当である。大広間を区切った部屋なので舞台上に机を出しミラーボールの下、カラオケの機械の横で食事をとる。

 

 風呂に入るがかなり熱い。ジリジリと焼かれる熱さだ。ゆっくりは入れない。私は布団に体を横たえるや数秒で寝てしまう。あたりは明かりがついていたであろうにまったく記憶なし。

 

3月12日

矢作温泉元湯鈴木旅館…馬頭観音堂…2.9km…観音寺観音堂 …3.0km

…延命寺…1.7km…正覚寺…0.8km…羽縄観音堂…2.7km7.0km

…常光寺観音堂…2.8km…平栗福寿庵…6.6km…高橋旅館

 朝6時起床。朝飯の弁当を食べ出発(7:25)。馬頭観音堂へは荷物を置いて往復。1キロちょっと、旧道をのんびり歩く。家が連なりのどかな風景だ。昨日とは打って変わって温かくなった。

 

 金田上人は、幸那をベビーカーに乗せ、錫杖をその脇にさして子連れ巡礼。なんともほほえましい。やがて右手の山の上に馬頭観音堂が見える。以前は気動車が走っていた踏切を渡り、いったん下ってから急な階段を登る。

 

 お堂前で法楽(7:458:00発)。お堂左にある石に彫られた馬頭観音像を見る。幸那手を引かれ階段を下る。ゆっくり歩いていると、家の中から人が出てきて御接待。「どこからいらしたのですか。遠くからありがとうございます」お礼の言葉を捧げられ、それを力として先へと進む。


 今日も要所要所にシールを張る。旅館近くの気仙三観音のひとつに数えられる観音寺へ(8:208:40)。山伏の資格も持つご住職が、観音堂のお灯りをともしてくれ、法楽後ホラ貝を吹いて歓迎してくれる。工藤上人とはここでお別れ。この日に熊本へと向かうとのこと。車で高田市役所まて送っていく。

 

 ここから国道を竹駒へ。ダンプの往来多く歩きにくい。気仙川を橋で渡るが、その先横断歩道がない。あたりを見渡し横断。この先、歩道がないところもあり、さらに歩きにくい。大船渡線の線路も流され土手の土も流れてしまっている。

 

 左手に折れ延命寺(9:20)。本堂の左の間に大きく立派な千手観音さまが安置されている。周りは涅槃図が描かれた幕が張ってありこうごうしい。

 

 ご住職がいらっしゃり本堂前で記念撮影。昨年の講演会にも来ていただいた。

 

 15分程度で正覚寺(9:4510:00発)。菅原ご住職法要の直前だが少々立ち話。三回忌のご法事が立て続けにあるとのこと。本堂前で法楽。幸那に奥様が作っている「ニコマルクッキー」頂戴する。ラブリースマイルのようなかわいらしいクッキーだ。

 

 次はまたまた程なく羽縄観音堂(10:35発)。コンビニの裏にある。小さなお堂の中には「巡拝のしおり」と「朱印用紙」がおいてある。見本に種子印と角印を押しておく。この日、初めて管理者の方とお会いすることができた。元来た道を戻る。

 

 国道を歩いていると、道路脇に震災慰霊碑が建っており、たくさんの花が捧げられているので法楽を行う。

 

 竹野さんの奥様から連絡があり、韓国のカメラマンである金さんを同道させてほしいとのこと。ここで合流。カタコトの日本語は話せるので、英語をミックスしながら意思疎通を図る。

 

 この碑を建てた方とお話をすることができた。ここは高田松原から7キロ弱、まさか津波が来ることはなかろうと避難誘導をしていたところ、突然津波にさらわれたという。水を飲み意識を失い、木に体が挟まっていたが、誰かに引き上げられ助かった。家族全員が亡くなったそうだ。

 

 なぜ自分だけ助かってしまったのかと恨めしく思ったりもしたが、震災後程なく、がれきをかたづけていると、お手伝させてくださいという男性が現れ、翌日も一緒にがれきの撤去。それから毎月ここを訪れたのだという。

 

 自分のできることで10年くらい息の長い支援をしたいとの申し出があり、家の跡に建てたプレハブの一室に今なお月に一度英会話教室を開いてくれているのだそうだ。まずその方が生徒の第一号となり、今では50人にもなったという。

 

 子供たちを育てれば、ゆくゆくはこの地の復興に力を発揮できる人材を育てることになる。その雄大な構想、その実行力。その行動がその方に生きようという力を与えたのだろう。昨日は300人ものお参りの方がいらしたそうだ。がけの下であるためこの地に50人ものご遺体が寄せたのだという。

 

 また新たにプレハブを建てここを訪れるご近所の方の交流を深める場としたいのだと希望を語られた。実際体調も優れず、あと幾ばく命を長らえることができるか分からない。でもいただいた命、最後まで皆さんのお役に立ちたい。今日はお会いできてうれしいですと力強くおっしゃった。私どもも良きご縁を頂いた。

 

 11時を過ぎ竹駒食堂へ。ガッツリと昼食を食べる。私は唐揚げ定食。日替わりは麻婆豆腐丼。ここから国道歩きが長い。左手に気仙川を眺めながらただただ歩を進める。

 

 以前気仙地域に伝わる節付きの「伝承念仏」を教えていただいたが、今回歩きながらこのお念仏を皆でお唱えした。といっても坂道は息が苦しくなったりしたが、「祈り」を遍く捧げることができたのではなかろうか。

 

 この区間で国道を外れたのは気仙川の土手上の道のみ、ここは水辺も望め気持ちよく歩くことができた。横田の市街にかかる。遠く左手に常光寺が望める。旧道にはいるとぐっと歩きやすい。小学校は卒業式、校庭は仮設がびっしりだ。山際にある常光寺観音堂にお参り(13:0513:25発)。ご住職ご不在で会えず。

 

 川の駅「よこた」でトイレ休憩。携帯電話で写真を撮ると地図上にその地点が表示されるというアプリがあるそうで、今回はそれを使用する。歩いて巡礼する場合、トイレの場所を知ることは大変重要である。レジのおばさんたちと楽しくお話。シールと腕輪念珠を差し上げる。とても喜ばれる。

 

 ここから単調な道。30分以上歩き平栗福寿庵。国道から気仙川を橋で渡り道を登っていく。管理者の家の対岸の杉林の中にお堂はある。

 ここで2時30分。3時に五葉舎にて要害観音堂の聖観音像の引き渡しがあるため、金田上人、美幸さん、幸那と金さんと車に乗り込み、上有住へ。他のメンバーは住田町世田米の高橋旅館へと歩き続ける。歩道がなくさらに厳しい徒歩行であったそうだ。


 五葉舎、3時15分着。要害観音堂熊谷さんとちょっと行き違いがあり、熊谷さん3時半着。観音様は、全体の泥落とし、クリーニング、欠損した手の修復、厨子の彫刻の再現、屋根の復元等、美しく完璧に仕上がっていた。

 

 熊谷さんも震災以前の美しいお姿が戻りうれしそうであった。五葉舎佐々木さんの娘さんも幸那と同年代で恥ずかしがりながらも興味深そうにしていた。ひとつ大きな事業を終えることができた。

 

 いそぎ高橋旅館へ。4時20分着。フロントにてもさばロハス倶楽部、陸前高田観光物産協会、IGR銀河観光、ひとさじの会での「気仙三十三観音霊場ツアー」についての打ち合わせ。ツアーには、御朱印が必要なこと、先達養成が重要であることなどが報告された。

 

 どうも観音霊場ツアー成立への条件という商業ベースからの視点が強くなると、気仙地域で巡礼を盛んにする意味とは何か、という原点を忘れてしまいがちになるのではないか。まず地元の方々に多くお参りいただくことが大切であろう。

 

 大きな風呂で疲れを癒し、夕食となる。魚ハンバーグ、ホタテのチーズ焼き、刺身などさすがとうならせる料理の数々。食が進む。この日も倒れ込むようにして就寝。疲れた。

 

3月13日

高橋旅館…向堂観音堂…1.4km…満蔵寺…7.9km

…中清水観音堂・長桂寺…6.7km…城玖寺…0.5km…坂本堂…1.0km

…(六郎峠経由 車乗車)23.7km…舘下観音堂…0.6km…稲子沢…2.3km

…長谷寺観音堂…2.4km…洞雲寺観音堂…4.2km…田端観音堂

…(車乗車)3.2km…竹野さん宅

 この日は朝飯前に世田米にある向堂観音堂、満蔵寺をお参りする。6時発。商店街の途中から橋を渡り住田町役場へ。田のあぜ道を歩いてショートカットしバイパス沿いにある向堂観音堂へ。堂内に入り法楽(6:306:40発)。嵐の中お経を唱えた記憶が蘇る。

 

 観音堂の隣に不動堂がある。元の道にもどり橋を渡って満蔵寺(7:007:10発)。立派な山門があり無住であるのが不思議である。道路脇に「成田山」の石碑が。昔、成田山の聖がこのあたりに入っていったのであろう。不動明王があちこち目につく。

 

 市街地を歩くとちょうど小学生が登校している。我々の出で立ちに興味津々だが、「おはようございます」とある子は恥ずかしそうに、またある子ははちきれんばかりの笑顔で挨拶してくれる。

 

 金田上人両足靴底がはがれ、紐で応急処置をしながら歩いていた。こんなことってあるのだ。7時半朝食。吉水上人はいつしか「祈りモード」に入ったらしく、あまりお腹がすかなくなったという。英之上人と私はおかずが多いため朝から飯3杯。「祈りモード」には遠い。

 

 この日は午後から雨、降水確率40%の予報。なんとか坂本堂までもってくれ、と歩き始めた(8:10)。宿の駐車場で隣家の方からご接待。高田の出身だそうだ。お礼の言葉を述べられ恐縮する。

 

 世田米市街地を抜け国道を行く。麺太の前を通過、やがて遠野方面に折れ直進、その先は天風から橋を渡り、川の左岸についている道を行く。車の往来も少なくとても歩きやすい。この道は、上有住までずっと続く。空には雲の量が増えていくが、なんとか持ちそうだ。

 

 畑の中に家が点々と建つのどかな風景の中を歩く。大きな杉の木が見えてくると長桂寺は近い。本堂前で御法楽(9:4510:00発)。ご挨拶をし出発。

 

 山際の道にはいまだ雪が残っている。所々凍結している部分もあり慎重に歩く。ちょっと遠回りにはなるが、田畑の中についている、むかし道をのびやかに歩く。みな歩きながらそれぞれお念仏。

 

 この日は、シール貼り係、吉水上人、福田、タオルでの拭き係、今井順子さんと役割分担ができ、昨日よりぐっと効率的になった。英之上人と金田上人は、仲良く遅れ気味に歩いている。きっと足が痛いのであろう。シール貼りをしていると追いつく。

 

 上有住のめがね橋公園で国道にでる。少し先の橋を渡って旧道を行くと城玖寺(11:4011:55発)。ご住職ご不在。境内にはまだ雪がある。

 

 その先200mほどで坂本堂(12:0012:15発)。堂内で御法楽。ここでぽつりぽつりと雨が落ちてきた。ここまでもってよかった。この二日間で予定より大幅に遅れているので、峠越えは車に乗ることとする。

 

 五葉舎脇から六郎峠へと進む。道幅が狭く、行き違いが難しいところもあるが、ちょうどタイミングよく広いところですれ違う。23キロを車で稼ぎ当初の予定に合わせる。雨もいつしかやんで、ありがたい。昼食は盛の町中の食堂でとる。私は親子丼とそばのセット。

 

 その後、舘下観音堂にて遠野まごころネットで活動していたアフロの森さんと合流(13:5514:15発)。金さんとも合流。いろいろ思うところがあるのであろう。森さんに菅笠と錫杖を貸し、出で立ちを整えた。

 

 ちょうど管理者の方がご在宅でお堂を開けていただく。同級生だという方もいらっしゃりこの日が旦那さんのご命日だという。観音さまシールを差し上げる。家を建てられたそうで、こちらの家と行ったり来たりという生活だそうだ。お茶を呼ばれたが、まだ先が長いのでご辞退する。

 

 裏道を行きすぐに稲子澤観音堂へ(14:3014:45発)。堂前にて法楽。ここから国道渡り川沿いの道を行く。街中は道をどのように設定するかなかなか難しい。

 

 大船渡高校脇を通り長谷寺(15:2015:35発)。本堂の工事が進み屋根が銅葺になり、縁の下の腐った部分が新しい材木に取り替えられている。来るたびに改築が進みうれしい。総代さんが私たちの姿を見つけて鍵をもって飛んできてくれた。先を急ぐので失礼する。

 

 橋を渡り盛市街に入る。洞雲寺の観音堂にお参り(16:0516:20発)。

 

 いよいよ本日最後の田端観音堂へ。津波の被害にあった沿岸地帯をまっすぐ進む。金さんはやたらと写真を撮るが我々を撮って果たして意味があるのだろうか。

 

  道の脇には80cmくらいだろうか、大きな土嚢がずっと並んでいる。大潮と満潮が重なると水に浸ってしまうため、盛り土が必要だと聞いたことがある。あたりは工場がたくさんあったのだろう。何も無くなってしまった荒涼とした地帯を行く。最近、かけられたと川口橋を渡り対岸に。ここで東京靴流通センターで靴を購入してきた金田上人と合流。歩きやすいとうれしそうだ。白がまぶしいプーマの靴。

 

 太平洋セメント工場の煙突、骨組みがむき出しのなっているその脇を歩く。ずっと低音を響かせているのを初めて知る。このあたりは津波の被害を受けたところ。この工場も被災している。ここを過ぎると、荒れ地が広がる。市街にある被災したビルはおおかた解体が終わっているが、このあたりには、津波に打ち抜かれたビルの一階がむきだしでそのまま残っている。

 

 徐々に辺りが暗くなってきた。向かいの山裾にある田端観音堂は近い。三陸リアス線の土手も修復なり着々と運転再開へと進んでいる模様。道を右に折れ、坂を登ると田端観音堂だ。堂前の灯りがついている。本日最後のお参り。

 

 森さんを洞雲寺に落とし、金さんを竹野さん宅に落とし、オーシャンビュー丸森へ。ゆったりと風呂に入り疲れを取る。帰りはいつものごとく、大船渡屋台村「なかむら」へ。刺身盛り合わせとかきなべ最後はぞうすい。この日も倒れ込むように寝る。床に横たわった以降の記憶がない。

 

3月14日

竹野さん宅…9.4km…熊野堂…7.9km…小舘観音堂…5.7km

…田束観音堂…2.8km…常膳寺観音堂…4.5km…立山観音堂…3.4km

…普門寺…2.4km…氷上本地堂…2.2km…坂口観音堂…0.4km

…浄土寺観音堂…2.1km…陸前高田市役所(21:51)気仙ライナー… 池袋(5:39)

 

 6時起床。いつものローソンで朝食。みなさん結願の浄土寺までたどり着きたいとの声が強く、熊野神社まで車を使うことにする。陸前高田方面に車を走らせ、オーシャンビュー丸森の前を広田半島へと左折。分岐点では車を降りてシールを張る。車通りが多くなかなか止めにくい。交差点まで走ってシールを張り、車へ帰ると、どうももっと疲れさせてペースを遅くさせようと話していた模様。毎日熟睡しているのでそう簡単にはくたびれないのだ。

 

 海から内陸へと進むと突然見慣れた風景が。何度か通ったところは分かるのだなと感心。すぐに熊野神社(7:257:40発)。森さんすでに到着していた。鳥居の脇には新しく建物が建っており、麟祥寺さんの脇にも民宿ができていた。少しずつだが前へと進んでいることは分かる。

 

 熊野神社の熊野堂も以前は家財道具がお堂中いっぱいだったが、整理され奥まで見渡せるようになった。正面には観音様、右には大きなお不動様が祀られていた。堂前で法楽を捧げ麟祥寺さんへご挨拶。門柱の上に仏様が乗り、お地蔵様が建ち、こちらも境内が着々と整備されていた。久々にご住職お会いし歓談した。

 

 熊野神社に戻り車で来た道を歩いて行く。大関さんとも合流。ルートを細かく確認してこなかったのは失敗であったが、おおむね間違っていなかった模様。海岸に降りてはまた台地へと上っていくという繰り返しである。

 

 やはり最終日になり、みな足が重い様子。登りになると少々遅れ気味となる。視界が開けて海が一望のところなど心晴れやかになる。海水浴場を歩く。コンビニを見つけトイレ休憩。私の錫杖の頭がとれたのでガムテープを買い補修する。

 

 ようやく見慣れた広田小学校に到着。ここで森さん、大関さんとお別れ。迎えの車がやって来る。森さんは巡礼楽しかったのかな…と思う。

 

 港の脇の岩鞍の上にある小舘観音堂着(10:1510:30発)。駐車場脇から山道を数分、大きなカモシカが迎えてくれる。「風の谷のナウシカ」でシシ神が登場したが、なんとも神々しい。眼下には港があり海が一望のもと。お堂の鍵が開いており、初めて中に入る。正面の御厨子の中には魚藍観音、ただし戸が閉まっているので拝することはできない。左に聖観音、左に千手観音、それぞれ立派なお像だ。扉をきちっと閉め出発。

 

 通り道の慈恩寺さんへご挨拶。ご住職がいらっしゃる。感謝の言葉をいただき恐縮する。お菓子と缶コーヒーを頂戴しさらに恐縮。お見送りいただく。ここから田束観音堂へは緩やかな山越え。最終日になると歩きながらお唱えする気仙のお念仏がぴたりと腹に入ってくる。

 

 どんどん山に入っていき道も急になる。足の重い人はさぞ苦痛であろう。トンネルを抜けるとあとは下るばかりとなり、ほっと一息。お昼となるので各自イオンの仮設店舗で昼食を購入。おにぎりやパンなど。

 

 道を左に折れると見慣れた赤い鳥居が。すぐに善性寺・田束観音堂である。以前車で来たときは反対方向から来たのでこんなに近いとは思わなかった。

 

 気仙三十三観音霊場最大の難所である田束観音堂、本堂脇の墓地を抜け、鹿よけの柵を開け、杉林の中の山道を上っていく。これまた辛さ染み入る登りだ。5分ほどではあるがきつい。観音堂が姿を現し、近づいていく。ようやく到着(12:4513:30発)。堂内で法楽。下りは両手を引かれ幸那一生懸命下る。子供のときからお参りを積んできっと功徳があるだろう。善性寺の縁先でお昼を頂く。

 

 次は常膳寺(14:1014:30発)。もとの道に戻り直進。広田湾に面する開けた場所にでる。津波の被害が広範囲に及んでおり、海辺には重機が多数入りがれきの処理を行っている。風が強い。寒い。また寒さが戻った。

 

 大船渡線の踏切が残っているが、線路はすぐ寸断されている。交差点を右に折れ、山際にある常膳寺へ。参道は山に向かって延びている。「ちょっと」が結構遠い。境内にはいると木の葉を片付けている方がいる。階段を上り大杉の脇を通り本堂前で法楽。時間を見て立山観音堂、普門寺まで車の移動とする。

 

 車は三日市のばあちゃんの家の脇を通り、ちょっと先を右折。ゆるやかな傾斜に家が点在しているのどかな風景だが、ここまで津波は押し寄せた。

 

 立山観音堂跡は、整地されお堂基礎は撤去されていた。お堂裏にある石造のお地蔵様に向かって法楽堂(14:4014:55発)。金田上人普門寺へのルートをスマホで探してくれる。地図も見られるとは便利である。

 

 普門寺の観音堂にお参りし、高田松原の被災松で作った三体のお地蔵様も拝む(15:1015:25発)。いよいよあと3ヶ所。普門寺前の道を行くが交通量が多く歩きにくい。ダンプもたくさん走る。

 

 30分歩き左に折れ、氷上神社。本殿にお参り。すぐ前の道を下っていく。左手の尾根の突端に光照寺がある。下るにつれて尾根が近づいてくる。尾根の上に老人福祉施設が見えた。以前、坂口観音堂の場所を教えてくれた方が、津波の後避難していたと話されたところだ。

 

 

 坂口観音堂前には、小さな祠があり、たくさんの花、缶ビールが手向けてあった。ここには消防団があり、多くの若い方々が亡くなった。祠の中には、亡くなった方の名前を書いた札がいくつも下げてあった。若い方々が最後まで避難誘導をし津波にのまれてしまったのであろう。皆で手を合わせ法楽を捧げた。

 

 坂口観音堂跡には、在りし日のお堂の写真が掲げてあった。石造りの仏様がいくつもあったが、どこかに移されていた。脇のコンクリートで固められた坂道を上っていくと光照寺の墓地に出た。本堂前で法楽後、ご住職にご挨拶(16:5017:15発)。坂口観音堂再建計画ができ、秋には完成予定だそうだ。住職作成のCDを頂戴する。


 5時を過ぎ、あたりは暗くなっていく。1.5キロ先の海までは、荒涼とした地が続いているが、中学校の前は5mほどの盛土がなされ宅地造成がされている。遅々とではあるが、住宅再建に向けて動き出してはいる。浄土寺が近づいてくる。結願だ。

 

 英之上人は「ああ。泣きそうだ」とつぶやいている。辺りは徐々に暗くなっていく。4日間延々と歩き続けついにここまでたどり着いた。ちょうど浄土寺の奥様が本堂を閉めに来たところであった。納堂の観音像の御前で法楽17:2517:45発)

 

 すべてを歩ききることはできなかったが、今まで点としてあった霊場が線としてつながった。多くの方々からご接待を頂き、お声掛けを頂いた。地元の方々の心に背中を押されついにここまでたどり着いた。ありがたい。歩きながらお唱えした数知れぬお念仏は、亡くなった方々のもとへ届いたであろうか。いろいろ思いがよぎる。でも、お参りして良かった。

 

 車でオーシャンビュー丸森に行きとりあえず風呂。その後、結願の祝杯を上げる。私は盛のサンリア前より夜行バス。他のメンバーはもう一泊して、各所に挨拶の後帰京した。4日間歩き続けたその日に、東京まで運転は確かに危ない。ゆったりとした日程がとれて良かった。