気仙をめぐる旅 ―気仙三十三観音と被災地の「いま」を見る―

はじめに

 被災地に行ってみたいが興味本位で行くのは申し訳ない、そのような声をよく伺います。でも、地元の方は被災地を忘れないでほしい、ぜひ訪れて頂きたいとおっしゃいます。

 

 気仙を訪れ、観音さまに鎮魂の祈りを捧げ、震災の語り部の話に耳を傾け、復興の様子を見て、そして家にお帰りになった後、職場の方、ご近所の方、ご友人に旅を通して見たこと、聞いたこと、考えたことをお伝え頂く、それが大切な「支縁」活動なのではないでしょうか。ぜひ、足を運び頂き、おみやげ話とともにおみやげをたくさんお持ち帰り下さい。団体旅行で行くならば、中型バス25人乗りが適当な規模かと思います。

 

 以下に自坊で行ったコースと見どころの案内を掲げます。ご参考になれば幸いです。

文責:福田亮雄

 

2泊3日コース事例

※費用は交通費・食費・拝観料込、およそ60,000円でした。

 

1日目:

上野駅(8:46)…水沢江刺駅(11:25)…昼食(12:00)…胆沢城・奥州市埋蔵文化財調査センター(13:00)…えさし郷土文化館〔気仙三十三観音第19番札所 稲子澤家旧蔵百一観音参拝〕(14:00)…藤里毘沙門堂(15:30)…ホテルグリーンベル高勘(16:30

 

2日日:

ホテルグリーンベル高勘(8:30)…第22番 長谷寺(ちょうこくじ)〔平安仏拝観〕(9:00)…大船渡津波伝承館 (10:00)(11:00)…昼食(11:30)…第27番 常膳寺…第2番 金剛寺…第33番 浄土寺…ホテル碁石(15:30

3日目:

ホテル碁石(8:30)…第24番 熊野神社熊野堂…道の駅〔震災の語り部による解説〕(10:00)(12:00)、気仙中跡、一本松、旧市役所、普門寺等を案内していただく…昼食(12:00)…圓城寺〔ガレキの中からよみがえった金剛寺ご本尊如意輪観音様参拝〕(13:00)…松川二十五菩薩堂(14:30)…一ノ関駅(15:53)…上野(18:23

 

1泊2日コース例

1日目:

上野駅(8:46)…一ノ関駅(11:14)…昼食(11:30~12:00)…圓城寺〔金剛寺如意輪観音様参拝〕(13:15~13:45)…第2番 金剛寺(14:15~14:45)…第3番 古谷観音堂(15:15~15:45)…大船渡プラザホテル(16:30

 

 2日目:

大船渡プラザホテル…第22番 長谷寺〔平安仏拝観〕(9:00~9:30)…陸前高田観光物産協会〔震災の語り部による解説〕(10:15~12:00)…昼食(12:30~13:00)…光照寺(14:00~14:30)…えさし郷土館(16:30~17:00)…水沢江刺駅(17:52)…上野駅(20:19) 

 

宿泊施設、震災の語り部については、陸前高田市観光物産協会にお問い合わせ下さい。

 陸前高田市観光物産協会

  住所:陸前高田市高田町鳴石42番地5 TELFAX0192-54-5011

  E-mailrikutaka-kankou@crest.ocn.ne.jp 

 

見どころ案内①~⑫

①胆沢城(いさわじょう)・奥州市埋蔵文化財調査センター

 胆沢城は、延暦21(802)年、坂上田村麻呂が築いたといわれる。当時、水沢一帯は蝦夷の拠点であり、俘囚(ふしゅう)の長であるアテルイは幾度も朝廷軍と戦いを起こした。延暦20年の戦いでアテルイらは捕縛、平安京で惨殺されたことで、俘囚の乱は一応平定された。大同8(808)年には鎮守府が多賀城より移され、対蝦夷への最大の拠点となっていく。胆沢城の政庁は一辺が90m程で、周囲を土塀で回し、正殿や東西の脇殿が配置されていた。奥州市埋蔵文化財調査センターは、胆沢城跡に隣接し、角塚古墳出土埴輪、清水寺縁起絵巻大パネル、蝦夷のカブト、築地12復元、 瓦、漆紙・木簡等が展示されている。学芸員の方の解説もお願いできる。

【水沢市佐倉河字九蔵田96-1 0197-22-4400 火曜休館 大人200円】

 

えさし郷土文化館 

 江刺地方に伝わる歴史遺産を伝えるために建てられた。奥の院には、気仙三十三観音第19番札所稲子澤観音に祀られていた江戸時代の西国・坂東・秩父からなる101躯の観音像、善光寺如来などが展示されており圧倒される。稲子沢家は、東北の大長者として歴史に名を残す。年に一度の観音堂ご開帳の日は遠くからお参りに大勢の方がいらっしゃったという。貴重な気仙の財産でもある。

【奥州市江刺区岩谷堂字小名丸102-1  0197-31-1600 年中無休 大人300円】

 

③藤里毘沙門堂

 毘沙門天は、仏土を守護する四天王のうち多聞天のこと。岩手に毘沙門天像が多い理由は北方鎮護という神格と同時に、「北天の化身」いわれた坂上田村麻呂との関連が大きい。田村麻呂は、陸奥で英雄となり、子孫は鎮守府・陸奥の国の高官となった。藤里毘沙門堂の毘沙門天は、トチ材の一木造、顔を除いてナタ彫りであり、地天女像の手のひらに支えられた独特の姿で造形されている。 製作年代は西暦1,000年頃といわれ、田村麻呂の身長五尺八分(176cm)と同じであることから、田村麻呂の生き写しといわれている。重要文化財。

【奥州市江刺区藤里智福39 拝観予約:0197-39-3516(個人宅)300円】

 

④気仙三十三観音霊場

 江戸時代半ばの享保3(1718)年、高田村の検断役佐々木三郎左右衛門知則が、父母の追善供養のために選定し「気仙三十三観音霊場」が開かれた。現在の、陸前高田市、大船渡市、住田町のいわゆる気仙地域に展開し、総距離はおよそ160キロとなる。昔は一生に一度徒歩で巡礼するという風習があったと聞く。平安時代の坂上田村麻呂に関わる伝説を持つ「気仙三観音」や、江戸時代に東北の大富豪として名を馳せた稲子澤家がお祀りしていた百一観音など、様々な物語を抱え持った霊場である。また、この度の東日本大震災で観音堂の被災、観音像流失、別当家の被災など、9つの霊場に大きな被害が出た。

 

⑤気仙三観音気仙

三十三観音の霊場でもある7番観音寺、27番常膳寺、22番長谷寺の三つの観音を合わせて気仙三観音という。坂上田村麻呂が、気仙地方を荒らしていた小友の早虎、猪川の龍幅、矢作の熊井という悪党を退治し、その墓の上に御堂を建立して十一面観音を祀ったと伝えられる。いずれも2m~3.5mに及ぶ巨像であり、長谷寺は平安後期、観音寺は平安中期の造像、常膳寺は中世の復興像。以前はいずれも33年に一度しかご開帳されない秘仏であった。長谷寺は収蔵庫に収められ拝観することが出来る。

大船渡市猪川町字長谷堂118-2拝観申込(要予約)

0192-27-3535(個人宅)300円】

 

⑥大船渡津波伝承館

 東日本大震災の大津波で犠牲になられた方の6割は、逃げなかったり、逃げる途中であったり、避難した後自宅に戻った方であった。もっと早くに避難をしていれば、犠牲にならずにすんだ方が多かったに違いない。大津波の脅威と経験を後世に伝えるため、「かもめのたまご」で有名な齋藤製菓の工場に作られた施設が「大船渡津波伝承館」である。語り部による津波映像の解説と被災体験談の聴聞、パネル展示の見学をすることができる(所用時間 約1時間半。第1回10:00~ 第2回13:30~)。

【大船渡市赤崎町字宮野5-1  (要予約) 0192-47-4408 300 円】

 

⑦金剛寺

 第2番札所、如意山金剛寺は、平安初期の仁和4(888)年、歌人の大江千里がこの地に下向した折に建立した寺院であると伝えられている。江戸時代には、伊達藩主、巡見使が止宿した寺であり、常法談林として地域の中核をなす寺であった。東日本大震災の際は、150メートルほど離れた気仙川から津波が押し寄せ、ご本堂や庫裡などを呑み込み、高台にあった成田山不動堂と聖天堂がかろうじて津波から免れた。震災一週間後、がれきや泥の中から御本尊の如意輪観世音菩薩像が発見された。ご本尊は圓城寺にお祀りされている。

【金剛寺:陸前高田市気仙町字町裏29

圓城寺:陸前高田市矢作町字愛宕下7/TEL:0192-58-2323】

 

⑧古谷観音堂

第3番札所、古谷観音堂は、「大古谷」と呼ばれる邸宅の中にある。老松がアーチを作る門を入って庭を通り、母屋の脇の坂を登ると立派な観音堂がある。お堂に上がり聖観音像など六体の仏像を間近に拝することができる。きれいにお堂が掃除されておりいつも気持ち良くお参りする。まさに地元に溶け込んだ霊場だ。長部地区には古谷観音堂、要害観音堂、上長部観音堂の三カ所の霊場があり、地元では「長部三観音」と呼ばれる。要害観音堂が津波で大きな被害を受けた。

 

⑨普門寺

 第29 番札所、普門寺は曹洞宗の古刹である。開基は仁治元(1241)年、産金地気仙の豪族であった金石馬之介安部定俊である。杉の巨木が並ぶ参道を登ると、大きなご本堂が見える。本堂脇の奥まったところには、高田松原の被災松を材として東京芸大教授藪内佐斗司氏門下の方々が作成した親子地蔵が祀られている。その脇には、享保3(1718)年に建立された青銅の大仏、文化6(1809)年 建立で、気仙大工の粋を凝らした三重塔、阿吽二体の金剛力士像を据えた土蔵作りの観音堂がある。2014年被災者追悼のため、一般の方に参加を募り、参道に五百羅漢が作成された。

【陸前高田市米崎町地竹沢181

 

⑩光照寺・坂口観音堂

 第32番札所、坂口観音堂は別当寺である光照寺への登り口にあった。お堂は津波でゆがんでしまったため解体されたが、光照寺境内に再建された。大きな石に六地蔵が彫られた万霊塔や石碑もお堂脇に移設された。観音像は室町期の作といわれる美しい観音像である。新たに成ったお堂の向かいには、旧陸前高田駅舎を模した「ののさまの陸前高田駅」位牌所がある。住職が描かれた天井画を味わいたい。また墓所には、気仙三十三観音霊場を開いた佐々木三郎左右衛門知則の墓がある。

【陸前高田市高田町字寒風60】

 

⑪碁石海岸

大船渡の南に位置する末崎町。この末崎半島の東南、ぐるりと6キロにも及ぶ神秘的な海岸線、それが碁石海岸である。奇岩や島、洞穴が織り成す荒々しさと、潮風にそよぐ松林の静寂さが調和した絶景の地は、長い時間が作り上げた天然の美しさだ。なかでも大自然の造形美の代表格といえるのが穴通磯。海水の浸食によって岩に3つの巨穴が空いた様は見る者を圧倒する。波によって磨かれた玉砂利が、一面に敷きつめられた海岸で、碁石海岸の名前の由来が、この黒い玉砂利の浜「碁石浜」なのである。碁石海岸を巡る遊歩道も整備されている。時間が許せばゆっくりと歩き、辺りの風景を味わいたい。

 

⑫松川二十五菩薩像

二十五菩薩像は、極楽浄土から阿弥陀如来や観音菩薩などが死者を迎えにくる「来迎」の様子を立体的に描いた仏像で、全国的にも珍しいものである。かすかに残る漆から、中尊寺金色堂の仏像と同じく金箔が施されていたことがわかっているが、残念ながら、完全な姿の仏像はない。都の仏師の作とされるこれらの仏像は、その見事な彫像から、完全体ならば国宝級とされている。

【一関市東山支所教育文化課0191(47)4544

一関市東山町松川字町裏の上33-1】