活動報告(12)2013年12月

期 間:2013年12月21日(土)~24日(火)

 

21日

池袋駅〈けせんライナー〉乗車(23:00)

 

 何かと気ぜわしい年の瀬、バタバタと用事を済ませ10時に池袋駅へ。池袋芸術劇場前の広場は、コンパ後のおしゃべりを楽しむ大学サークルの群れ、ベンチに腰掛け話している男女、家路を急ぐサラリーマン、飲み屋を出たばかりおじさんたちと多くの人でごった返している。その前の停留所から、けせんライナーはひっそりと出発する。3列シートで快適だが、座席が最後尾でタイヤの真上、けっこう音と振動を感じる。すぐに寝るがしばらくして目覚めてしまう。以後寝たような起きているようなときを過ごす。暫くして外気の冷たさを感じるようになる。この日東北の最低気温はマイナス3度。 

 

22日

大船渡 盛サンリア前バス停(7:07)…レンタカー手続き(8:00)

…サンマチ開始 カメリアホール(10:00…ウォークラリー・子ども達へのプレゼント・ユルキャライベント・バンドステージ・屋台村バンドイベントなど

 気仙沼6時着。ほとんどの人が下りてしまう。辺りが明るくなっていき大船渡市盛町サンリアショッピングセンター前に7時着。下車した8人がそのままサンマチ参加者である。サンマチ実行委員長のアフロさんが迎えてくれる。受付までだいぶ時間があるので、近くの公民館の2階を確保してくれている。一階には消防車が。階段を上り和室でだらだらする。東京から来たというおばさん三人が過激なトークを展開している。後ほどサンマチ舞台にて三線の奏者として登場した。みなさん、震災以降ボランティアで東北に通っていた人が多いようだ。

 

 「サンマチ」の正式名称は「サンタが町にやってくる!~岩手★おおふなと★~」という。サンマチは、「震災から2年半が経ち、復興に向かって走っていかなければならない大船渡をもっと盛り上げよう。大船渡にない冬の風物詩を地元大船渡のチカラで作り出そう」(サンマチHPより)という思いから企画されたもの。大船渡カメリアホールをメイン会場に、大ホールでは子供たちの「あまちゃんダンス」、絵本読み聞かせ、コンサートなど、2階和室では子供たちを対象とした人形づくり、お菓子作りなどのワークショップ、そしてメインは、サンタウォーク。参加者がサンタの格好をし大船渡内の8コースに別れ、歩きながら出会った子供達にお菓子を配るというものである。我々は実行委員会のアフロさん、竹野さんらが知り合いであるため参加を打診され、ゆくゆくは町を作りあげていくための力となる気仙の子供たちが喜んでくれればと、「お坊サンタ」として参加しようということになった。


 朝食を買いにちよっと町を散策。ともかく寒い。零度くらいなのだろう。コンビニでおにぎりと中華まんを購入。中華まんの暖かさがありがたい。9時受付開始。カメリアホール前に受付が出ている。グッズ売り場もあり大賑わいだ。会場入るとサンタやトナカイがたくさんいる。どんどん人が集まってくる。カメリアホールもクリスマス向けの飾り付けになっていてが綺麗だ。栗村さん(通称小栗スンさん)は、フエルトで作ったクリスママスツリーの衣装をまとっている。

 フエルトにマジックで直接願い事を書くのだが、果たしてその願い事が叶うのか…甚だ不安になる。サンタ服に着替え、その上から改良服を羽織る。「お坊サンタ」のできあがり。会場では「お坊さんですか」「これって、いいんですか」「写真を撮らせて下さい」とたくさんの人に話しかけられる。結構な人気だ。開会式が10時。委員長の開会宣言、子供たちのダンスの後、各班に別れリーダーから以降の予定と注意事項が話される。


  我々は越喜来・赤崎コースを歩く。10時半に盛駅に移動。サンマチ列車に乗り、およそ30分で三陸駅へ。車中もポスター、風船、折り紙等で飾れ付けがされている。初のサンテツ乗車ワクワクする。陸前赤崎駅より先は未知の世界。トンネルを抜け、美しい海を眺め、またトンネル。車中ではNHKと岩手日報の取材も入り、みんなで盛り上げる。三陸駅下車。すぐ目の前が海であり、がらんとした荒れ地が広がる。


 以前は銀座通りと呼ばれ、住宅の中にいくつかの店舗があり、小学校があり、大学生が住んでいたアパートが5棟建っていたという。すぐ前に「潮目」という津波の資料館があった。がれきで資料館を建てたのだそうだ。中にはかつての町並みの写真、津波直後からの様子を定点で時間を追って撮った写真が展示されている。その後、津波をかぶりながらも一本だけ生き残ったポプラや樹齢1000年という杉を見たのち、スーパーで昼食を購入。弁当、おにぎりはほとんど買い占めてしまう。


 役所は3階まで津波が入ったとのこと。まだそのままだ。それまで子供たちの姿が無かったが、仮設商店街に行くと大勢待っていてくれる。吉水さんが作ったバルーンのお花とともにお菓子を一人一人手渡す。ハイタッチの子もいればサンタさんに抱きついてくる子もいる。おばあさんやお父さんと一緒に写真に写る子もいる。わいわい楽しく過ごすことができる。サンタは、アメリカ人、韓国人留学生、大学生、OLさんととりどり。皆さん支援活動に長く関わってきた方々ばかりだ。三陸駅に戻り陸前赤崎駅へ。440円。


 車中でお昼を食べる。やきそばとおにぎり。すぐ近くの赤崎公民館の2階和室で30分休憩。もう子供たちが待っているが、配布は休憩後とする。吉水さんどんどんバルーンで花を作る。他のメンバーにも手伝ってもらう。会館入口にてお菓子配布。40個新たに持ってきてもらい、袋詰め。ここでもどんどん子供たちが集まり楽しく配ることが出来る。ここから、盛までずっと歩き続ける。


 行き交う車の人たちの多くは「あっサンタだ」という感じで手を振ってくれる。ニコニコしている顔は、元気をもらうよう。こちらも思わず笑顔で返す。脇道に車を止めてくれる人も。メンバーが走ってお渡しする。ラーメン屋の窓から子供に手渡したり、スーパーの入口から出てきた子たちにお菓子をあげたり、遠くからサンタを見つけて走ってくる子もいる。


「サンマチ」が町中の人に知られているようで、なんとも言えない連帯感がある。スタッフの尽力はいうまでもないが、多くの人々の協力の賜だろう。何を担ったというわけでもなく、ただただこの日参加しただけで、こんな暖かなふれあいができたことに感謝する。お菓子はすべて配布し終えるが、今度はそれ以後であった子供たちにお菓子が無くなったと告げるのが何とも申し訳ない。幸い、吉水さんがバルーンを作ってはお渡しできたのでメンバー一同ほっとした。

 

 カメリアホール到着。駅前ロータリーで大中仮設でお世話になった「なべやき」の森さんと出会う。富士宮焼きそばの出店を出しており、150食完売とのこと。いろいろお話しする。閉会式の後片付けを手伝い、5時15分のBRTで大船渡駅へ。サンマチ大成功。 荷物を置いた後、やまちゃんへ。屋台村での「サンタでナイトフィバー」は、ちよっと疲れそうなのでご辞退する。後は件のごとし。初めて食べた鯛豆腐が美味。鯛のあらの出汁はすごくうまい。夜行バスの疲れもあり早く寝る。腰いたし。

 

23日

けせんキラメキ大学 新沼岳志さん宅ご訪問(9:30)

…東海新報社にて「高校生と『祈りの道』を歩く」についての打ち合わせ(11:00)

…小松峠下見

 7時起床。7時半発。大船渡駅からBRTで盛駅へ(7:41)(7:45)。昨日の賑わいが嘘のようにひっそりとしているカメリアホールを横目に、トヨタレンタカーにてヴイッツを借りる(8:15)。大船渡魚市場の食堂が早朝からやっているというので探していくが、祝日でのためお休み。そのまま高田へ。結局ローソンでかけうどんとおにぎりの朝食(8:00)。新沼さん宅を確認後普門寺さんの観音堂前で朝の勤行。

 9時20分に新沼さん宅を訪れる。長屋門がある立派なお宅だ。庭には水仙、あじさい、桜などとりどりの花が季節になると咲き、それらを愛でる周遊道を多くの人々が訪れるのだという。震災以降どうもやるきが起きなくて…とおっしゃっていた。新沼さんは震災の語り部も務めており、町おこしの団体である「ケセンきらめき大学」の観光学部の学部長もつとめておられる。

 今年気仙三十三観音バスツアーを二度催していただいたので、ご挨拶に伺うことにした。我々の活動もご存じであり楽しくお話が出来た。奥様が東京にお住まいの頃は、我が寺のはす向かいにあった病院にお勤めであったそうで、私がその病院で産まれたそのときにもちょうどお勤めであったそうだ。


 結婚するときのデパート屋上のレストランを貸し切って披露宴をおこなったので、周りのお客さん達から祝福されて恥ずかしながらも嬉しい気持ちになったことから、新婚旅行で三宅島に行ったとき台風にぶつかり船底の部屋で波が荒くあっちへこっちへと転がり大変だった話、旅行に行っては石を拾って聞くのが趣味でありザックに30キロも背負って来たこともあるなどなど一時間楽しくお話しした。新沼さんの家は代々庄屋を務めたそうで17代目に当たるという。天保の飢饉の際は私財を投げ打って村人を救済したそうでその碑がたっているという。

 敷地内には、少し前まで4間四方の観音堂があり地元の方々がよくお参りに見えたそうで、お堂は朽ちてしまったが、土蔵の中に観音様、扁額、格天井等を移してお祀りしているとのこと。お願いし拝ませていただいた。土蔵の2階に上がると正面に1m以上もある観音様。江戸期の作という。立派な光背を背負っているが、手に持っていたであろう蓮花は無くなっていた。堂々たるお姿。どうして気仙三十三観音に入っていないのか不思議なほどだ。


 小振りなお不動様と思われる仏像は、秋葉権現さま。背中に羽を背負いカラスのようなくちばしを有していた。観世音の扁額、観音堂の格天井に掲げられていた数々の絵と保存されている。観音様の前で御法楽。本にも出ていない由緒ある観音様とこうして出逢えるとは…。何十年ぶりかに観音様にお経をあげてもらいました、と喜んでいただいた。長屋門には民具の博物館も。古い脱穀機、杵に臼、古い電化製品、雑誌などなど、宝物が所狭しと置いてある。生徒を連れて学校の先生が訪れるとのこと。高田の博物館は津波で流されてしまったいま、昔のものを伝えるこの博物館は貴重である。花の綺麗に咲いているときに再訪したい。楽しいひとときを過ごすことが出来た。


 東海新報社で来春3.11に実施予定の「高校生〈祈りの道〉を歩く―気仙三十三観

音霊場巡礼―」にいての打ち合わせ(11:07)。佐々木さん、上野さんに対応いただく。この企画は、今年の3.11周辺で気仙三十三観音霊場徒歩巡礼を行った後、地元の高校生とともに徒歩巡礼ができないか。その様子を映像に記録し全国に発信できないかと考えた。その意義としては、①気仙各地を歩いて地元のすばらしさを再発見してもらいつつ、亡くなった方々への慰霊と地元の復興のための祈りを捧げてもらうこと、②高校生が頑張って歩く姿を地元の方々に見ていただくこと、③映像を発信することで全国の方々に被災地の現状を知っていただくこと、④さらに、気仙三十三観音の存在を全国の方々に認知していただき気仙に足を運んでいただくきっかけとすること、などなど大変意義深いことであると考えた。


  しかし、ひとさじの会が学校等の公共機関に呼びかけ、高校生の参加者を募るのは甚だ困難であると言わざるを得ない。そこで東海新報社佐々木さん、上野さんに相談したところ、東海新報社で事務的なことは肩代わりしていただけるとのありがたいお申し出を頂いた。


 そこでこの日を迎えたわけである。


 上野さんはケセンきらめき大学のメンバーの方々と徒歩巡礼実施に向け検討をしていただいていた。高校生が徒歩巡礼を行うことについての学校側の姿勢はどのようなものなのか、高校三年生は卒業しているとはいうものの、4月からの新たな生活に向けての準備が忙しくなかなか時間が取れないのではないか、また、宗教色を薄め、観光協会等が募集をしてはどうかとのご意見を頂いた。それに対し、観音様、巡礼、慰霊、復興祈願等のキーワードを外し、地元文化の体験や特定部活の体力増強のための行事という名目では、活動の主旨が伝わらないこと、忙しくとも参加したいという高校生を一人でも良いから集めたいと考えていること等をお伝えした。私たちの徒歩巡礼についてのイメージはある程度伝わったのではないかと思う。


 結論は、集まらないならそれはそれとして、東海新報紙上で活動主旨を掲載し、参加を募るということになった。地元を離れてしまうかも知れない高校三年生が知らなかった知らなかった故郷の一面を知り、もっと故郷を好きになってもらう。巡礼の経験を養分として社会に旅立ってもらい、それを後輩にも伝えてもらう。町がこれから発展していくうえの力となってもらう。若いということはより大きな可能性があるということ。果たして人が集まるのかどうか。ともかく実施の方向で準備を進めていきたい。また一段ギアが上がった。まだまだ詳細は詰めきれていないが概要は以下の通り。 

 

 

 

「高校生〈祈りの道〉を歩く―気仙三十三観音霊場巡礼―」要項(案)

 

1.期 間: 3/11(火)~3/16(日)  5泊6日

 

2.一日徒歩巡礼について: 実施については検討継続

 〈コース〉5日目の大船渡駅から広田半島までか6日目の小友駅から浄土寺まで。

 

3.対 象: 気仙地域の高校生

 

4.募集人数: 先着5名 宿泊費、保険代はひとさじの会で負担する。

       昼食代は各自負担。

 

5.集合場所:陸前高田市役所 8時  

 

6.行 程: 

第1日目

陸前高田市役所…0.8km…大石観音堂…5.5km…古谷観音堂…1.2km…要害観音堂…3.5km…上長部観音堂…2.5km…金剛寺…0.8km…泉増寺観音堂…7.8km矢作温泉元湯鈴木旅館

                                                                    22.1km   第2日目

矢作温泉元湯鈴木旅館…1.2km…馬頭観音堂…1.4km…観音寺観音堂…2.8km…延命寺…1.3km…正覚寺…0.6km……羽縄観音堂…7.8km…常光寺観音堂…3.1km…平栗福寿庵…7.0km…高橋旅館                           25.4km

 

第3日目

高橋旅館…0.9km…満蔵寺…1.2km…向堂観音堂…5.8km…中清水観音堂・長桂寺…7.6km…城玖寺…0.5km…坂本堂…2.2km…及川旅館                    18.2km

 

第4日目

 及川旅館…(小松峠経由)16.0km…舘下観音堂…0.6km…稲子沢…2.3km…長谷寺観音堂…2.4km…洞雲寺観音堂…2.3km…大船渡の民宿              23.6km

 

第5日目

 大船渡の民宿…3.0km…田端観音堂…14.4km…熊野堂…9.1km…小舘観音堂…3.0km…民宿志田                                                           29.5km

 

第6日目              

民宿志田…7.8km…田束観音堂…2.8km…常膳寺観音堂…4.5km…立山観音堂…3.4km…普門寺…2.4km…氷上本地堂…2.2km…坂口観音堂…0.4km…浄土寺観音堂                                                                23.5km       総計142.3km

 

7.宿 泊: 予定の宿泊所に予約できない場合は、車で別の宿まで送迎する。全日同一行動とする。

 

8.持ち物: 金剛杖と白衣はひとさじの会で用意する。

 

9.その他: サポート車を一台出す

 

  12時に小栗さんと東海新報社で待ち合わせ。打ち合わせ終了後、合流。小栗さんの弟弟子の元気君も一緒に来てくれる。お昼を食べに屋台村に行くが一杯。彼らが行きつけの喫茶店でグリーンカレーを食べる。本格的でうまい。しゃれた喫茶店でゆったりと話をする。外は晴れているが雪。気温は氷点下だろう。雪が舞っている。

 

 これから小松峠へ。当初は、大船渡側に車を置き、住田側まで車で連れて行ってもらい、峠を越えた後、車を回収、という予定だったが、ちよっとスケジュールが遅れたため大事を取って大船渡側からの往復とする。通常、車は六郎峠越えなのだが、登り口まで距離が長い上、車が飛ばして峠越えをするため歩くのならば小松峠と思い、下見のためこの日にチャレンジすることにした。

 

 林道を入っていき最後の民家の前に車を止めさせていただく。いろいろ小松峠について教えていただく。峠には昭和10年代まで峠の茶屋がありご夫婦がいたこと、峠には白衣観音さまが祀られていたが、あまり歩かれなくなると、建立した方の子孫がなかなか峠まで行けないと家の近くまで下ろしてお祀りしたこと、大正期には、雪が深いため峠の茶屋で泊まって行けと言ったにもかかわらず無理に進んで凍死した人がおり、墓が建立されていること、以前ハイキングの人が登ったところ3時間半かかったことなど教えてくれた。

 

 元気君とは別れ、岳上人、小栗さんと小松峠へ向かう。杉林の中の林道を進むが数年前の水害により道がえぐれているところがあるが、歩くのに特別支障があるわけではない。伐採のための林道だろう。道が錯綜している。分かれ道があるとどきっとする。沢沿いを選ぶ。だんだん山道らしくなり、歩きやすくなっていく。下ではなかった雪が徐々に深くなっていき、ジョギングシューズがぬれる程度になった。向かいの山を見ると結構登ってきたようだ。

 

 空が広くなった。こ広くなり下りになるところを一応峠とし、一休みしてから帰ることとする。帰りに観音様シールを貼り付けた道しるべの札を要所に下げることとする。ちょっと内職して作成した。札を枝に括りつけながらゆっくり下る。幹が太いと針金が回らないし、枯れた枝ではすぐに折れてしまう。なかなか適当な枝がない。ふと目をやると苔むした石に何か字が記してある様子。一段上の小広い大地の脇に墓石が。大正年間の享年とご夫婦の俗名が記されてあった。般若心経一巻をお唱えする。読経が捧げられたのは90年ぶりぐらいであろうか。呼び寄せられた気がした。この一段下の小広い場所に峠の茶屋があったのだろう。よく見ると水がちょろちょろと流れる小さな石組みがある。人が生活していた香りがわずかに残っていた。あるところから雪は無くなり、なんとなく温かくなったような気がする。ようやく車が見えてくる。3時半。

 

 4時過ぎると寒くなり、道も凍結してくるので峠往復でよしとしよう。小栗さんがすがすがしい気持ちになった。こんな所があるとは知らなかったと喜んでくれた。車を置かせていただいた方に、お墓を発見したことを報告しお礼を申し上げ大船渡へと向かう。江戸時代の観音様とも、小松峠の仏さまとも出会った。又新たなご縁が紡ぎ出された。

 

 

 10月の徒歩巡礼に参加してくれた高木さんがサンリアの並びの薬局と聞き、ちょっと立ち寄る。笹の葉エキスとお茶とキョーレオピンを頂く。体が疲れているときに良いという。肝臓にもとっても良いらしい。かといって飲み過ぎぬよう注意と二人で戒める。小栗さんを地の森商店街で下ろし、オーシャンビュー丸森へ。風呂に入った後、いつもの中村へ。美味しいが詳細は秘密…。岳上人はスーパーで雪っこ(5合瓶)を3本購入。買い過ぎか。

 

 

24日

大中仮設(8:40)…天使の森[富士宮焼きそば](11:00)

…五葉舎…一ノ関駅(15:30)

  起床(6:30)、部屋の掃除の後、いつものローソンでかけうどんとおにぎりの朝食。代わり映えしないが結構うまい。竹野さんの家に鍵を返しに行く。サンマチの話、高校生徒歩巡礼の話などあれこれと話をする。サンマチも竹野さんご家族の協力がなければ成り立たなかったとのこと。ありがたい。お礼申し上げ失礼する。

 

 大中仮設に向かう。皆さん年末に会えるとは思わなかったわと喜んでくれる。ここに来始めたときとはメンバーが替わった。仮設を出た人がいるということか、それとも集会所が果たす役割が弱くなったことなのか、たまにしか来られない私たちにはことの詳細は分からない。楽しく歓談をする。アフロの森さんが遠野まごころネットで共に働いていた女性と結婚し故郷に帰るという。わざわざ大中仮設に来てくれる。みなで祝福する。ひさびさにゆったりと過ごし昼前に失礼する。大中仮設にくるとなべやきを作ってくれた森さんが屋台村の前に富士宮焼きそばの店を出している。今日のお昼はここ。もちもちしている麺が美味しい。釜石で修行し技術をマスターしたそうだ。


 今回の最後は住田町上有住「五葉舎」をお訪ねする。佐々木さんに、自坊成就院で高田の松原の被災松を材として聖観音像作成をお願いしており、ここで完成したのだ。初めて観音様と対面する。とても美しい。手の指の形、衣の裾の様子とても繊細である。佐々木さんの、震災を忘れないで欲しい、東京に住んでいて気仙になかなか帰れない人に故郷のことを思いつつ手を合わせてもらいたい、との強い思いが伝わるお像である。ありがたい。東海新報紙上でも取り上げていただいた。今回お会いした方の中にも記事を読んでくれた方が何人もおり、東京へ行ったときはお参りさせて下さいと言われた。心をかけていただきまたまたありがたい。


 27日には観音様をお届けいただくことになっている。待ち遠しい。帰りは小松峠の入口にシールを括りつけておく。登らず一路一ノ関へ。峠越えをし、水沢江刺より東北道で一ノ関。峠は雪が積もっており、4時半過ぎは凍結して危険であろう。3時半には一ノ関到着。駅前の大番で軽く反省会。岳上人は第2ラウンドで石巻で子供会があるため仙台下車。私は、まっすぐ東京へ。今回も良き3日間だった。

 

 さあ、「高校生〈祈りの道〉を歩く―気仙三十三観音霊場巡礼―」に向け、チラシに掲載する文章でも考えますか。何人か集まればいいナー。