《気仙三十三観音霊場徒歩巡礼~風雨の6日間160㎞を往く~》
昔、気仙には気仙三十三観音を生涯のうち一度は歩いてお参りするという風習があったと聞いた。道路が舗装される前は、川沿いの細い路や峠越えの道などを、数名で連れ立ってたどりたどり歩いて詣でたのだろう。それが途絶えて数十年になるのだろうか。車でさっとお参りできる今、あえて一週間もかけて歩いて詣でるとは、変わり者であるといわれても仕方が無いのかもしれない。でも、いまあえて、足の痛さをこらえながら、坂のつらさをかみしめながら、人々の御厚情に背中を押されながら、一つ一つ観音さまをたどることは、意味があることなのではないか。非日常の体験をするから、信心を深めるから、自分一人で行きているのではないということを知ることができるから、故郷を再発見できるから、亡くなった多くの方々に祈りを捧げることができるから…。歩く人が百人いれば百通りの意味づけをするのであろう。でも、確かに何かを得ることができる、気づかせてくれるのが巡礼であると思う。
今回は、「大学生・高校生と気仙三十三観音を歩く」という企画である。気仙の将来を担う若い方たちに何かを感じ取ってもらいたい、そんな思いからこの計画がスタートした。東海新報社にご協力を頂き、誌上にて募集をしたところ、幸いにも大学生が一人参加してくれた。その一人とは、津波で大きな被害を受けた2番札所金剛寺のご子息である。観音霊場の将来をも担うべき若者と一緒に歩けるということはとてもうれしい。その他、我々が気仙を訪れる度にお世話になっているミキ店長、秋の一日徒歩巡礼に参加してくれた新川さんもご自宅からの通いで全日ご参加いただいた。
地図上では総距離140キロ程度であったが、皆の万歩計は160キロを超えていた。毎日20~30キロを、雨に打たれ、ミゾレにたたかれ、寒風に吹かれ歩き続けた。また、気仙の皆様に温かな心をかけてもらい、すばらしい出会いをいただいた。これらはきっと観音さまのお導きだと思う。こうして、活動報告を記しながら、満ち足りた時間をしみじみかみしめている。
10日 「いざ、徒歩巡礼へ。まだまだ足の痛みはナシ」
上野駅……一ノ関駅……………気仙沼駅………BRT長部駅……大舟旅館
11:46 14:14 14:45 16:07 16:29 16:52 徒歩10分
上野駅中央口11時半集合。車中で高瀬さんと合流。新幹線は一路岩手を目指すが、白河は雪、仙台は晴れ、それから曇りと天候がとても不安定である。この冬最大級の寒波がやってきているという。寒さが心配。一ノ関で大船渡線に乗り換え。駅で「ご支援の方ですか。ありがとうございます。私は気仙沼なんです」とご挨拶される。3.11に故郷に帰る人が多いのだろう。やはり寒い。車中で出発を待つ。ボタンで扉の開閉を行うという仕組みは誠に合理的だ。
気仙沼に向かう途中は大雪舞う中を走る。しかし、気仙沼ではやんでおりホッとする。気仙沼駅では、BRTへの乗り換えをスムーズにするため、線路を撤去しホームにバスが横付けできるよう工事が進んでいた。外で待つ15分程度で寒さがしみ入ってくる。BRTに乗り国道沿いの長部「駅」で降りる。寒風吹きあれたとき、この待合所は本当にありがたいだろう。国道を渡り旧道に入って、要害観音堂跡の脇を通り、すぐ先が大舟旅館。最近できたばかりのきれいな宿だ。仕事できている人が大勢泊まっている。ごはんをしっかり食べ、米汁で英気を養う。気仙に来ると「酔仙」がうまい。「酔仙」飲んで復興支援だ。
11日 「寒風の中 徒歩巡礼スタート 地元大学生小林さんともすっかりうち解ける」
大舟旅館…BRT長部駅…陸前高田市役所…0.8km…大石観音堂…5.5km
…古谷観音堂…1.2km…要害観音堂…3.5km…上長部観音堂…2.5km
…金剛寺…0.8km…泉増寺…7.8km…矢作温泉元湯鈴木旅館
計22.1km
6時起床。外を見ると屋根に道路にうっすら雪が積もっている。気仙は東京よりだいだい6度低い。朝食をしっかりと食べる。旅にでると必ずおかわりしてしまうのは、おかずが多いからか、テンションが高いからなのか。大舟旅館を出て長部駅に向かう。雪がキュッキュと音がして片栗粉のよう。ちょうど長部小学校に集団登校する生徒諸君と出会う。彼ら彼女らも我々に興味津々。みんなに観音さま散華をプレゼント。駅で待っていると、小学校に向かう坂道を一列になって上りながらずっと我々に手を振っていてくれる。飛び上がっている子、何かを見つけかがんでいる子、全身で手を振ってくれる子。どうかこのまままっすぐ育って欲しいと願ってしまうのは、おじさんになったからなのか。
定時より少々遅れバスが到着(8:00)。なじみの風景の中を進み、気仙大橋に近づくと「希望の架け橋」が頭を上高くかかっている。気仙川右岸の山を崩してその土を対岸に運ぶための施設である。1キロを超える長さなのか。とにもかくにも巨大なベルトコンベアでなんとも無粋だ。これにより工期が3分の1になるというが、130億円もかかっているという。トラックの往来が激しくなると仮設の橋が持たないからという説もあり。山を崩して得た土砂は、高田では使い切れず気仙沼にも持って行くと聞いたが、果たしてどうなのだろうか。
見慣れた荒れ地を抜け陸前高田市役所へ(8:10)。すでに小林さん、ミキ店長、新川さんが来ている。南無観世音菩薩と背中に記されたおいずると金剛杖を小林さん、ミキ店長にお渡しする。金剛寺ご住職と奥様、竹野さんにもお見送りいただく。簡単な自己紹介の後、出発(8:25)。総勢7名。国道へ下る階段で市役所に出勤の方とすれ違う。おはようございますと挨拶をしつつ階段を下り大石観音堂へ。
すぐに到着(8:34着)(8:49発)。縁先にご安置されている観音様をお参り。今回は、ひとさじの会で作成した勤行式の簡略バージョンである「巡拝のしおり」に従って読経。「東海新報」の記者の方が取材で同道される。この日は各所で追悼の行事が行われているので、取材を掛け持ちでたいへんそうだ。翌日の紙面にこの活動が写真入りで掲載された。ミキ店長と藤澤さんのインタビューが載った。いつも東海新報社にはご支援いただきありがたい。
目の前のコンビニで昼食の買い出し(8:52着)(9:05発)。この日はここしかコンビニがない。記者の方と別れ、気仙大橋を渡り長部へと向かう。昨年の3月電柱に貼った「観音さまシール」がまだ無事で嬉しい。でも枚数がまだまだ足りないので張らねばならぬのだが、シールを沢山張ると時間がかかるし悩みどころ。雨が降っても張れないし、疲れてしまうとボーッとしてしまい張ることを忘れてしまう。
寒風に吹かれながらぎしぎし揺れる橋を渡り、気仙中へ。夢の架け橋の向こうに奇跡の一本松が見える。向かいの山はだいぶ削られた。ダンプの往来激しい。気仙中は震災の遺構として残すそうだが、来る度に窓枠が外れていったりと荒れていくように見えた。国道を離れ長部漁港へと向かう。漁港が整備されつつあり、護岸もコンクリートで固められた。津波で被災した郵便局や漁協もそのままだったが、今は解体されがらんとしてしまった。
道をまっすぐたどると長部川を渡り、高台へと上がり、朝出会った子供たちが通う気仙小の脇を通り、要害観音堂跡へ(10:26着)(10:41発)。そこで法楽を捧げる。新川さん法螺貝を立てる。初めて訪れた方々のために要害観音さまが一ト月後に泥の中から発見された話をする。
元の道に戻り古谷観音堂へ(10:57着)(11:15発)。お宅の門を平気で入っていくのでミキ店長曰く「知っている人に連れてきてもらわないと分からない」と。確かに知らない人の家の庭にずかずか入っていくのは気が引ける。母屋裏の観音堂に入りお参り。いつもきれいに掃除をしていただいている。格子戸の鍵が開いていたので、直接観音さまを拝める。6体の内の前の3体は初めてじっくりとお参りできる。長部港に戻り長部川沿いの道をさかのぼる。途中公民館前の震災慰霊塔で心経一巻の法楽(11:49着)(12:00発)。トイレ休憩。
道を左に折れ、観音堂の石碑を左に見て少々山道を登ると上長部観音堂(12:11着)(12:41発)。杉林の中の大きなお堂は風格がある。法楽の後、色とりどりの布で守られたお厨子の中をヘッドランプで照らし観音さまを拝する。
ここで昼食。おにぎりやサンドイッチを食べる。杉林を出るとなんと吹雪になっている。風も強く寒い。雪が激しく舞う中を先へと進む。杖を持つ指先が冷たい。前回は林道の入り口を間違えたが今回はだいじようぶ。二股の林道を右へ。送電線巡視路を右手に登っていく。雪はいつしか止んでいた。しばらく山道を登りばっちり予想どうり林道の分岐点に出る。林道の途中に高速道路が建設される所があり通行止めになっているか心配だったが、現在周囲の伐採の段階であり林道の通行には支障なしとのこと。これで一時間以上短縮できた。今泉はダンプの往来が激しいのでそこを歩かなくてすむのはとてもよい。林道の下りで凍結している箇所があり、転倒する人2人。危ない。1人は手を負傷。
下り着いたところが金剛寺の脇。車が止まっており人が大勢いるのが遠くからでも見える。お寺の入口でご住職やご詠歌講の方々と会う。法要を終え、今度は泉増寺の半鐘堂の落慶法要に向かうのだ。我々は高台の不動堂に登り法楽(13:42着)(14:09発)。ご住職が缶コーヒーを保温ボックスに入れ温めておいてくれる。ちょっとのんびり。
泉増寺へはすぐ(14:24着)(15:12発)。道ばたにたくさん車が駐車してあるのは法要に参列する人たちのものだろう。ちょうど法要が始まるところだった。この半鐘は高尾薬王院が寄贈したもの。高尾山の僧侶2人と真言宗智山派岩手教区の教区長さんが来ている。ご詠歌、御法楽の後、住職らの挨拶。とても寒い。「先祖になる」の直志さんと剛さんも来ていた。参詣者はそれぞれ半鐘をつく。我々はご本堂に初めて入り法楽。まだ写真撮影があったがブルドーザーが斜面を崩し、先があるので失礼する。
ここから近道でもある峠越え。まず、高速道路の工事にびっくり。次に山中に宅地が造成されているのにびっくり。すっかり周囲が明るくなってしまった。ゆるゆると坂を上りそして下ると観音寺の前に出る。鈴木旅館はすぐそこ(16:00着)。吉水さんは、ミキ店長と新川さんをBRT陸前矢作駅まで送っていく。観音寺前の横断歩道を渡り止まってくれた車に深々と一礼して寺への階段を上っていった小学生は観音寺さんのお孫さんだろう。まっすぐな礼儀正しさがまぶしい。
我々は一足お先に熱い湯に入りのんびり。しびれる熱さ。でも小林さんに聞くとこちらはこのくらいが普通だとか。出家したばかりの藤澤さんは吉水さんの指導を受け夕勤行。一泊二食3,500円は安い。ただし食事はお弁当。美味しく頂く。何だか疲れてビールを飲んだらすぐに眠くなってしまった。
12日 「雨に叩かれ住田町へ ともかく長く長く感じてしまった一日」
矢作温泉元湯鈴木旅館…1.2km…馬頭観音堂…1.4km…観音寺…2.8km
…延命寺…1.3km…正覚寺…0.6km……羽縄観音堂…7.8km…常光寺…3.1km
…平栗福寿庵…7.0km…高橋旅館
計25.4km
6時起床。二人は朝勤行。弁当を食べ8時出発。BRT陸前矢作駅でミキ店長と新川さんと合流(8:40発)。国道を渡り旧道に入ってのんびり15分、馬頭観音堂へ(8:56着)(9:09発)。
今は鉄道が通らなくなった踏切を渡り、急な階段を上って観音堂へ。新川さんが全霊場のご詠歌を一枚にプリントしてくれた。とても便利でありがたい。この日は雨の予報。まだ空は明るいがいつ降ってくるのか。でも少々暖か。もと来た道を戻り観音寺へ(9:29着)(9:53発)。ご住職がいらっしゃり、お堂のお灯明をつけていただく。法楽を捧げ失礼する。トイレをすませる。
これからダンプ行き交う国道歩き。気仙川を渡る廻館橋の細い歩道は、ダンプが泥混じりの雪を跳ね上げるゆえ泥が積もっており歩きにくい。まだまだ国道歩き。ここも歩道は泥。ダンプがちょっと中央に走路を変えて気を遣ってくれる。歩道が切れているところもあり、道路の反対に歩道が移っているところもあり、早くここを抜けたいと焦る。竹駒駅の先を左に折れ延命寺(10:31着)(10:49発)。
ご本堂に上がり左手にある観音様を拝む。氷上山の中腹のお堂にあったという観音さま。造りも精巧で風格がある。光背のように張り巡らされた釈迦涅槃図も素敵だ。また少々国道歩きがあり正覚寺(11:08着)(11:20発)。
庫裡の工事が入っていた。浄土寺のご住職がお住まいになるのだろうか。本堂の左の部屋にあった観音さまは工事中のため拝めず。空は徐々に暗くなっていく。羽縄観音堂前のコンビニは移転して空き地になっていた(11:31着)(11:42発)。
ちょっと来ないと風景がどんどん変わってしまう。お堂にお参りし、熊谷食堂で昼食(11:44着)(12:25発)。名物タンタン麺を食べる人多し。サンマラーメン黒船と担々麺熊谷が日清食品のご当地カップラーメンとして全国販売されたそうで、店内でも販売中。地元でも評判で行列が出来ていたそうだ。ちょっと早めなので全員入れる。ラーメン命の秀上人大喜び。
店を出ると雨が降ってくる。全員雨具装着。元来た国道をこわごわ歩くが行きよりずっと短く感じる。廻館橋を再び渡りすぐ気仙川沿いの林道を行く。昨年の徒歩巡礼では国道歩き長く辛いため、10月に訪れた際下見をした道だ。これで国道歩き大幅減。車もほとんど通らず歩きやすいが単調。ひたすら車道を歩き、土砂採取の工場で道が遮られるので、橋を渡って国道へ。すぐに気仙川の堤防を歩く道があるのでそちらへ。土の道なのでこちらも歩きやすい。雨の中を淡々とあるく。雨で心が萎えているのに加え単調な道が続き、辛くなってくる。
ようやく横田に入り常光寺に到着(14:09着)(14:58発)。やっとついたー。参加者一同この6日間で一番辛かったと感じた区間がここだった。町中でお年寄りに「あなたたちはアレの人、もっと早く着くと思ったけど遅かったねー」と言われる。「アレ」とは徒歩巡礼のこと。「東海新報」の記事を読み、我が家の前を通るかな、と気にしてくれていた模様。ありがたい。「東海新報」の力は絶大。
観音堂でお参りしていると常光寺の奥様がいらっしゃる。常光寺のおばあさんが小林さんに会いたがっているとのこと。同じ宗派でありお付き合いがあるそうだ。暖かなお部屋に上げていただき甘いお菓子と暖かなお茶を頂く。甘さと暖かさが体にしみ入り、心もホッとする。ゆっくりさせていただき回復する。ここでのご接待がなければどうなっていたことかと後になって皆つぶやいていた。
横田市街を過ぎ、対岸に橋を渡り林道歩き。緩やかな登り下りを繰り返す。結構登るが国道歩きよりずっと良い。森を過ぎ、畑の脇を歩き、また森の中にたたずむ家の横を通り過ぎる。ともかくタンタンと歩き、右に坂を下ると平栗福寿庵(15:47)(16:04)。堂内で読経。要所で新川さんの法螺貝を立てる。
元の道に戻る。ゆったり登ってゆったり下って、雨の中をただただ歩くのみ。対岸の右下には国道が見おろせる。一人のおばあさんが道の脇に立っていた。挨拶をして通り過ぎると、後ろの人に「まっすぐ行かずに右に下るように」とお話下さる。私たちにそれを伝えるために待っていてくれたとのこと。まっすぐでもいけないことはなかったが、お教え通り下ることにする。後で考えればこの先は伐採地で道が荒れており、この雨の中ではどろどろの道を歩かねばならず難渋したに違いないと気づく。これまたありがたい出会いだった。
いったん国道に出て、一つ目の橋を左に渡り細い道に。当初からの予定の道に戻る。人家が見えなくなり、森の中の土の道になる。対岸に国道がし通っており、30分もすれば市街にでることが嘘のような静けさ、寂しさだ。雪が結構積もっている。雨模様の上森の中なので辺りがことさらうす暗い。舗装道路にやっと出ると向こうに町灯りが。ようやく世田米の町だ。6時を回っていた。雨の中をほんとうによく歩いた。
町の中心部にある高橋旅館に到着。ここで高瀬さんとお別れ。今晩の夜行バスにて帰京することになる。ミキ店長に五葉温泉経由で盛まで送ってもらったそうだ。五葉温泉は筋肉痛にたいへんよく効くそうで、ミキ店長もそれまで行くこともなかった五葉温泉の実力に驚いたとか。驚異の回復力で引きずる足が翌日復活。
高瀬さんが盛駅の夜行バスのバス停で待っていると、新川さんが突如現れ、パンの差し入れと二日間の記録を頂いたとか。そのおもてなしの心に感激していた。
我々も、ゆっくりお風呂に入り疲れを癒した。靴が雨でびちゃびちゃだが、新聞紙を靴の中に入れておき翌朝まで3度変えると、かなり靴の中がさらっとする。みんなで試してみる。高橋旅館の美味しい食事に大満足。またまた「酔仙」を飲んで復興支援だ。
13日 「午後より雨 最後に小松峠の観音さまとご対面」
高橋旅館…0.9km…満蔵寺…1.2km…向堂観音堂…5.8km…
中清水観音・長桂寺…7.6km…城玖寺…0.5km…坂本堂…2.2km…高橋旅館
計18.2km
起床6時。8時集合。曇り。世田米のメインストリートを歩きすぐ満蔵寺(8:24着)(8:39発)。ご本堂前にて朝のお勤め。この素晴らしい伽藍がある満蔵寺が無住とはもったいない。
橋を渡ってバイパス沿いにある向堂観音堂へ(9:00着)(9:19発)。お堂内で法楽。格子の戸が開いており中を見ると、お堂の建立についての経緯が記してある札があるのを初めて知る。明治40年に火災に遭いご本尊は何とか運び出すことが出来、いまお堂を再建するとの旨が書いてある。
ここから国道歩きが続く。この日秀上人はミキ店長の車を運転してサポートに回る。昨日の後半、膝の痛みのあまり一足一足顔をしかめて歩いていたとのこと。とりあえず今日一日膝を休めてもらい最後まで共に歩きたい。この先のコンビニで各自昼食を購入(9:49着)(10:03発)。
麺太の脇を通過して橋を対岸に渡り国道とは別れる。今日も各所で新川さんの法螺の音が響き渡る。昨秋千葉修悦さんに教わった道だ。ゆったりと歩ける。昨秋は実吉さんが工事の時、親指大の金塊が見つかった場所だと教えてくれた橋を渡り国道と合流。分岐で遠野へ向かう道に入る。なんと、千葉さんが突然登場。車から我々を見かけたという。後ほどの再会を約す。住田は山あいなので昨日より積雪の量があきらかに増えている。
しばらくして、天風で橋を渡り昔の道すじへ。秋の徒歩巡礼で歩いた道だ。田や畑、家が交互に現れる中を道はうねりながらついている。観音さまシールを張ったり、新川さんの法螺の音を聞いたりしながら歩く。まだ雨は降らないが空は徐々に暗くなっていく。
遠く大きな杉が…秋はゆっくりゆっくり歩いたのでだいぶ長く感じられたが、サクサクと歩け長桂寺到着(11:02)(12:00)。サポート車も待っている。ご本堂に上がり法楽。ご住職が本堂を温めて待っていてくれる。缶コーヒーもストーブで温めお菓子も頂く。外が冷えているのでホッとする。いつもご接待を頂き恐縮である。昼食も取らせていただき大変助かる。ゆっくり休ませていただき出発。ここで雨具装着。秀上人は「麺太」で一人ラーメン。
道はのどかに田畑の中を進む。雨がしょぼしょぼ降ってくる。曇り雨の予報なので、午後までなんとか降らずにいてくれて助かる。先ほどと同じようなのんびりした道だ。山がこちらに迫ってくると雪の量がぐっと増える。凍結しているところもあり慎重に歩く。昨日同様靴の中は雨でぐちょぐちょ。
上有住のめがね橋を渡り川沿いの道を城玖寺へ(13:28着)(13:46発)。あいにくお留守。本堂前で読経。トイレを借り坂本堂へ(13:53着)(14:24発)。5分ほど。お堂の中には子供の机が入っていた。4月からお孫さんが入学するのだろうか。まさに生活空間なのだ。
ここで千葉さんに電話し、これから小松峠の観音さまを拝めないか打診する。ご快諾いただく。千葉さんの車とサポート車とに分乗し、上有住の寒風に向かう。サポート車雪のため坂を上れずちょっと時間がかかる。
12月の徒歩巡礼同下見の際、昔は住田と盛を結ぶ要路であった小松峠を訪れたときのこと。盛の日頃市から入り最奥のお宅の前に車を置かせてもらった。そのお宅のおじいさんから、小松峠には昭和10年頃まで峠の茶屋があったこと。大正時代には夕方雪の降る中峠越えをした人がおり、茶屋のご夫婦が泊まって行けと制止したにもかかわらず進んだため遭難死した人がいたこと、小屋の少し先に観音像を祀った祠がありいまは小屋ゆかりの人が上有住のご自宅の庭にお祀りしていること、小屋跡には遭難された方のお墓があることをなど伺った。
その後、千葉さんに観音像についてお尋ねしたところ、資料をしらべても文献に載っていないし、当時峠越えをした人にも話を聞いたが祠があった記憶もないので峠に観音様があったというのは勘違いではないかとのことであった。が、その電話を頂いた翌朝、さらに調べたところ、現在小屋をやっていた方の子孫が観音様を仏壇でお守りしていることが判明した。この仏さまは、小屋をやめた後、家の近くに祠を建ててお守りしていたが祠が開墾のため、一旦は上有住のお寺に預けられた。しかし、なかなか返してもらうことができず、住職交代の際、ようやくお宅に戻ってきたという。
濡れた体で申し訳なかったが、家に上げていただきお仏壇の前で読経する。念願の観音様と対面できた。12、3センチメートルぐらいの金銅仏を手にとって見せていただく。よく見ると智拳印を結び宝冠を被っているので、観音さまではなく大日如来である。お宅に戻してもらうとき観音像と取り違えたのか、もともとこの仏像が峠にお祀りされており大日如来を観音さまと思っていたのか。仏像を安置された方は、既に亡くなっており真実は茫々たる時の彼方に隠された。お会いできたらまた謎がひとつ。たぶんずっと忘れられない仏さまとなる。
その後、車で峠越えの際、遭難した3人の学生の冥福を祈った碑を見学し、高橋旅館まで送っていただく(15:26着)。ミキ店長はまた五葉温泉。足が痛そうだ。
14日 「雪の小松峠越え しかしその後の国道歩きの方が辛い」
高橋旅館…(小松峠経由)16.0km…舘下観音堂…0.6km…稲子沢観音…2.3km
…長谷寺…2.4km…洞雲寺…2.3km…つつみ旅館
計23.6km
昨日、車の窓から小松峠への林道入口を見たところ、積雪10センチ強であった。千葉さんは、峠の上部は切り通しになっているところもあり、腰辺りまで雪があるかもしれないので峠越えはやめておいた方がよいとおっしゃった。でも、入口が10センチならばなんとかなるのではということになり、予定通り小松峠越えを行うこととした。
宿のすぐそばのバス停から盛岡行きのバスに乗り向川口で下車。住田町コミュニティーバスに乗り換えた。そのまま盛岡行きのバスで上有住まで行けたと後に聞く。コミュニティバスは、あちこち遠回りをしつつ、各所のバス停で保育園児を乗せながら走る。わいわい、がやがや子供たちの歓声が響く。ひとりの子が我々を「おっさん」と叫んでいる。気仙では和尚さんのことを「おっさま」という。さてどちらの意味で呼んでいたのか。抑揚が違うとかなり意味合いが変わってしまう。かわいらしい。
上有住の保育園に全員下ろし、我々は終点の公民館前下車(8:41着)。トイレをすませいざ出発。町中の道を過ぎ山が迫ってくると路面に雪が多くなり凍結している。こわごわ凍っていないところを伝いながら林道へ(9:10発)。日がよく当たってるところは雪が全くない。
分岐があるが地図をよく見て左の道へ。徐々に雪が増え15センチ程度に。踏み跡があるので外さないように歩く。鹿やうさぎの足跡も錯綜している。大して登らずゆったり尾根を巻いていく。踏み跡が途絶えた辺りからようやく登りになる(10:03着)(10:08発)。
ザックが肩に食い込み痛くなる。休んだときは肩を回す(10:50着)(10:56発)。少しずつ登っていき、昨日観音様を拝ませていただいた家を小さく見下ろすようになる。対岸の山も近づいてきた。どんどん山の中に入っていく感じだ。一休みすると眼下に歩いてきた林道がミニチュアのように見え、一筋の道がついている。
だいぶ登った。徐々に向かいの山が近づいてくると峠が近い。ぐっと雪が深くなり膝下あたり25センチ程度まで積もっている。雪山登山の際のラッセルとなる。雪山歩行がはじめての人は、いつもとは違う筋肉を使うため足がとてもつかれたと聞いた。靴が濡れるのはあらかじめ予想されるので、靴下の上からビニールを履いておいたのであまり冷たくはない。一足一足ゆっくり雪を踏み固めながら進んでいく。段差があるところはジャンプ。エイと気合いが入る人、腰が引ける人様々だ。
前回の小松峠越えで木の枝につけた観音さまシール発見。ようやく小松峠に到着(11:26着)。小屋跡で休憩する(11:29着)(11:38発)。休むとどんどん体が冷えていくので長い時間は休めない。下りはどんどん足が前へと出てあっという間に下界へ到着(12:26)。
前回お世話になったおじいさんがちょうど居合わせて、よく雪の峠を越えてきたねー、どうかと思っていたんだと、我々を心に止めておいて下さる。さて、ここからが長い。この6日間で二番目に厳しかったのはこの区間。お昼が過ぎお腹もすいてくる。食事予定のサンマラーメンははるか彼方。
県道をずーっとくだり、ようやく国道へ出た。少しだけ残っている旧道を歩いていると、突然車が止まり、「歩いてお参りしている人ですか、これどうぞ」と、きのこの山とウイスキーボンボンが入った紙袋を頂く(12:30)。「参加したいところだけどなかなかできなくて、頑張って歩いて下さい」と励まされる。どうして旧道をあるいている我々が分かったのか。ともかくお心をありがたく頂戴した。
日頃市に入り国道を延々歩く。右手の山がうねうねとうねっている。あのカーブを曲がれば…と思うが、その先も同じような道が続いている。あの尾根の向こうは…。ミキ店長も新川さんも普段は車でよく通り、道を知っているが故につらいと言っていた。車だったらすぐなのに…。歩くとそう簡単にはつかない。お腹もすききり気持ちも切れかける。食堂を発見するとすぐそこで昼食を取ることに決定(14:02着)(14:57発)。
ぐったり疲れる。各自トイレをすませ、海鮮ラーメン、チキンカツ定食、野菜炒め定食などそれぞれ食す。わたしは無性にご飯を食べたくなり野菜炒め。力のもとが体内にしみていく感じ。腹ぺこで食べるとしびれるほど飯がウマイ。ゆったりとしてちょっと復活。水もいっぱい飲む。
いざ舘下観音堂へ(15:13着)(15:31発)。お留守らしく門が締まっていた。中に入りお堂の前で法楽。
裏道を行き、すぐに稲子沢へ(15:40着)(15:49発)。ここもお参りしてすぐ出発。国道を横切り、高速道の下を通り大船渡高校へ。小林さん、ミキ店長の母校である。
ちょっと先の長谷寺着(16:22着)(16:35発)。4時を回っていたのでお堂の扉が閉まっていた。堂前で法楽。新川ん法螺貝。いよいよ盛の町へと入ってくる。12月のサンマチで訪れた。
新川さんのお宅にお邪魔しご接待を受ける(16:59)(17:16)。コーヒーにせんべい、カモメの卵季節限定イチゴ味、それぞれ美味しく頂く。新川さんの法螺貝、家では立てないことになっているという。法螺貝の音に呼応して犬が一斉に遠吠えをするからだとか。おもしろい。
この日最後の洞雲寺へ(17:29)(17:39)。辺りは徐々に薄暗くなっていく。観音堂の前でお経をお唱えする。寺の入口にある東日本大震災の物故者慰霊のために建てられた観音様の前で心経一巻。
薄暗がりの中、町中の道を行き、ほどなくつつみ旅館(18:08)。ロビーで竹野さんが待っていてくれる。しばし歓談し風呂に入り夕食。
15日 「うってかわって快晴 みなさん筋肉痛がピーク」
つつみ旅館…3.0km…田端観音堂…14.4km…熊野神社熊野堂…9.1km…小舘観音堂…3.0km…民宿志田
計29.5km
6時起床、8時出発。津波の被害をもろに受けた大船渡の海辺の道を行く。いまだ荒涼とした場所である。地盤沈下が激しく、大潮と満潮が重なった時は水がしみ出てくるそうで、道の両側に大きな土嚢がずっと積んである。路肩の保護のため必要なのだ。道より一低い歩道もデコボコのうえ、道を合わせる度に段差を上り下りしなくてはならず甚だ歩きにくい。
川口橋を渡り対岸の赤崎へ。まだ津波の被害を受けたままのビルが放置されている。太平洋セメント工場脇を通り、陸前赤崎駅へ。すぐ脇の田端観音堂(8:46着)(8:58発)。お堂の向かい別当家があった場所も更地となってしまった。お堂前でお経をあげ元来た道を戻る。
竹野文具さんで今日合流する工藤上人、植木さん、山下さんと合流(9:40着)(10:04発)。3人は昨晩一ノ関に泊まり、6時前の電車でこちらに向かったのだ。
トイレをすませ、いつものローソンで昼食を購入(10:09着)(10:21発)。国道を避け海沿いの魚市場の脇の道を行く。ダンプ結構通るがこれでも土曜日なのでかなり少ないとか。
国道と合流した少し先にいつもお世話になっている東海新報社がある(11:26着)(11:45発)。坂を登るのはキツイがちょっとご挨拶。上野さん、佐々木さんが、「よく歩いたねー」と歓迎してくれ、缶コーヒーをご馳走になる。しばしの歓談の後、入り口で写真を撮っていただき出発。横断歩道を渡るとき振り向くと駐車場からみさなん手を振り送ってくれる。坂を下り近道の階段を下ると、突然車が止まり佐々木さんが下りてくる。栄養ドリンクご接待。重ね重ねありがたい。
海沿いの道を歩く。細浦駅跡を通過し、BRTの橋にそって左に坂を上がっていく。上り下りが結構ある地域だ。この辺りは以前歩いているので心配なく歩ける。電柱の観音さまシールもしっかり残っている。ちょっと脇道にそれ熊野神社で昼食(12:31着)(12:51発)。
さらに進みもうひとつの霊場の熊野神社へ(13:27着)(13:49発)。観音さまが安置されているお堂の中もだいぶ片付いた。ご詠歌を教えていただいた麟祥寺さますぐ近くなのでちょっと立ち寄る(13:54着)(14:10発)。ちょうどご詠歌講を行っていた。以前お世話になった佐々木さんがいらっしゃる。楽しい再会。これから小館観音堂までがたいそう長い。
もと来た道を戻り左に折れ海岸べりをゆく。津波で破壊された堤防がまだそのまま。延々と道を行き緩やかに登りまた下る。いくつか同じような登降を繰り返す。途中一時間歩いて一休み(15:08着)(15:17発)。
砂浜の上の堤防を歩きコンビニで休憩(15:45着)(15:57発)。トイレを借りる。小林さん高校の後輩とたまたま再会。
ここから少しで広田中、坂を上り下って慈恩寺さんへ。すぐ近くに小林さんのおじいさんおばあさんがお住まいとのことで会いに行く(16:12着)(16:14発)。軽トラでちょうど帰ってくるところに出くわす。
慈恩寺さまにご挨拶の後、慰霊塔で心経一巻(16:15着)(16:22発)。ここまで来ると小舘観音堂はすぐそば(16:31着)(16:50発)。海辺にそそり立つ巌の上にあるお堂を拝観。お堂前でおばあさんが作ったのべやきご馳走になる。
後は宿への30分。ずっと道なりなのだが、薄暗くなっていき心細い。足が痛い人もおり前後がだいぶ開いてしまった。
民宿志田に到着(17:39着)。志田のご主人は現役の漁師さん。自ら取ってきた海の幸をこれでもかと出してくれる。毛ガニ、サクラマスの焼き物、ツブ貝、鱈の刺身、鱈汁などなどなど。小林さんのおじいさんおばあさんから缶ビール一箱の差し入れ。みんなでキレイに飲み干してしまう。料理が美味しいのでついつい飲んでしまったのだろう。体が疲れているかと思いきや心が元気な人多し。
16日「成満へ 最後は気力のみ 満足感、安心巻そしてちょっと寂しさ」
民宿志田…7.8km…田束観音堂…2.8km…常膳寺…4.5km…立山観音堂…3.4km
…普門寺…2.4km…氷上本地堂…2.2km…坂口観音堂…0.4km…浄土寺
計23.5km 《総計142.3km》
いよいよ最終日。朝から海の幸をたっぷり頂き、ご飯二膳。出発(8:00発)。昨日来た道を引き返す。小館観音堂までずいぶん距離が短く感じられる。坂をゆっくり登り広田小入り口で一休み(8:55着)(9:05発)。
小林さんはこの道は車で何度も通っているので、歩いたときの長さがよく分かってしまうという。ここから少しずつ道は上っていく。トンネルを越えると田束観音堂なのだが、歩いても歩いても現れない。左に道を分け山へ分け入る。この日は日曜日、ダンプが少なく助かる。広い道をたんたんと歩きようやくトンネル。ここからは下るのみ。キャンプ場で今は仮設住宅があるモビリア入り口で休憩(9:50着)(10:00発)。
どんどん下りすぐに善性寺・田束観音堂に至る(10:20着)。近くのイオンで昼食を購入(10:10着)(10:15発)。善性寺の本堂縁側に荷物を置いて、山道を5分程度山上の観音堂に到着。堂内には鍵がかかり入れず。坂を駆け下り昼食を取る(10:47発)。
次は常膳寺(11:27着)(11:54発)。広い田の中の道を行く。ただいま工事中。車が通らずラッキー。BRTの道をまたぎ小友小脇を通り、細い道に入っていく。常膳寺の上り坂の参道を歩きさらに階段で観音堂へ。姥杉が迎えてくれる。雲行きが怪しくなってきた。
ここからは道なりに進む。この道は初めて通る道だ。いよいよ雨が落ちてきた。道ばたの納屋で雨具装着。タイミングよし。これからは雨脚強まる。アップルロードの上を橋で渡り、山際の道をうねうねと歩く。林の中は雨がかからずちょっとの間だがホッとする。地図を見てこの辺りだろうと左に道を折れる。ここまでは津波が来ていないので、リンゴ畑をつぶして住宅がどんどん建っている。
ちょうど立山観音堂跡にでる(12:50着)(12:59発)。お堂の土台が撤去されている。まだ再建計画が進んでいないそうだ。法楽を捧げ出発。川に突き当たると右に道は折れる。新川さんこの日は、祭りの手伝いがありここから車での参加。法螺貝で励ましてくれる。
アップルロードと国道の下を通り普門寺へ(13:55着)(14:08発)。この道は高田から大船渡方面への抜け道になっており、普段はトラックの往来が激しいのだが日曜なので安全に歩ける。新川さん先回りして待っていてくれる。普門寺の参道を初めて歩く。太い杉の並木が荘厳だ。観音堂、三重塔とお参りする。門前の県道をまっすぐ。左に折れて氷上神社(14:43着)(14:52発)。
風が強い。南に下っていき坂口観音堂跡より坂を上り光照寺。墓地の裏手から新たに落成した坂口観音堂前で御法楽(15:18着)(15:30発)。雨脚強くなる。ご住職にご挨拶に伺うがご不在。
いよいよ成満が近づいてきた。歩いて5分ほどで浄土寺(15:44着)。復興住宅の建設が進んでいる。
地図で図ると総距離140キロちょっとだが、万歩計では160キロ超。豆をつぶした人、膝が痛い人、足がよく上がらない人、それぞれどこか痛みを抱えているが、なんとか最後までたどり着いた。ご住職不在で堂内に入れなかったが、参加者全員満ち足りたものを心にたたえながら最後の御法楽。
2年前から始まった「気仙三十三観音再興プロジェクト」も徒歩巡礼を終えたことで当初考えた事業をほぼ実行することが出来た。もっと長い期間関わってきたような気もするし、あっという間であった気もする。活動の土台はほぼできあがったといってよい。これからは中身をどう深めていくか、どのように気仙の霊場を県外に広めていくかということに重点が置かれてくる。末長く気仙の観音様と気仙の方々と関わっていきたい。
新川さんと竹野さんの車に分乗し陸前高田駅へ。金剛寺さんご住職ご夫妻、竹野さんご夫妻が迎えてくれた。雪っこの差し入れを頂く。これがまた帰りの新幹線での様々な出来事を引き起こした。
ちょうど陸前高田観光物産協会の大坂さん、新沼さんらが会議が終わって事務所に引き上げてきた。再会を喜ぶ。大変だったねー、よく歩けたねー。優しく声を掛けていただく。小林さんも6日間お疲れ様。さぞ足が痛いことだろう。ミキ店長も根性を出して足の痛みを乗り切ってくれた。新川さんも法螺貝の音で励ましてくれた。
家に帰ってからじわじわ巡礼が思い出されてまた来たくなっちゃうんですよと話していると藤澤さんは今から次回も参加したいと思っていると即答えてくれた。多くの方々に見送られ気仙を後にした。
大船渡線から反省会、新幹線でさらに深く反省をした。翌朝、朝のお勤めで昨日の行いをさらにさらに深く反省をした人がいたとか。