《あゆみ観音 立山観音堂のご本尊としてお迎え》
6月16日のこと、陸前高田観光物産協会のフェイスブックに「あゆみ観音プロジェクト」の記事が掲載された。奈良県当麻寺中の坊・松村院主の肝いりで、陸前高田市高田松原の被災松で「あゆみ観音」を製作、制作の過程でおよそ50カ所以上の寺院を巡り一人一彫りのノミ入れを行い、延べ5000人以上の方が結縁する、完成後は陸前高田市の金剛寺さまに納められることが記されていた。
金剛寺さまのご本尊如意輪観音像はがれきの中から見つかったが、立山観音堂の観音様はいまだ見つかっていない。「あゆみ観音」を立山観音堂のご本尊にお迎えできないかと思い立ち、翌日松村院主にメールをしたところ、金剛寺さんら関係各位の了解が得られれば異存はないとのこと。立山観音堂別当の大和田さんにおつなぎしたところ、ぜひにということとなり、そして金剛寺さんらの了解も得られた。数週間でトントンと話が進んだ。
「あゆみ観音」は立山観音堂のご本尊として迎えられ、観音堂完成までの間は、金剛寺さんが避難している圓城寺に仮安置されることとなった。7月11日に陸前高田市未来商店街にて行われた奉納法要には、「祈りの道プロジェクト」から吉水、福田の二名が参列した。
7月10日
上野駅(8:02)…一ノ関駅(10:12)…圓城寺(11:20)…村上製材所(13:30)…大中仮設…東海新報社(16:00)…竹野さん宅
台風来襲の報が盛んに流れている。九州にはいよいよ避難勧告が出た。九州上陸後は日本列島を縦断すると報じられ、果たして新幹線が動くのか帰ってこられるのかと心配した。当日の天気予報ではなんとかなりそうでほっとする。いつも乗る8時2分発の「やまびこ」は「はやぶさ」へ変更されたため、新幹線回数券が使用できなくなった。「はやて」にすればよいのに…。改悪だ。車中では、それぞれ読書と校正に集中し、あっという間に一ノ関着。小雨が降っている。駅レンタカーで軽自動車を借り、峠越えで陸前高田へ。
まず、矢作の圓城寺さまへ。立山観音堂完成まで圓城寺であゆみ観音を仮安置していただくので、改めてお礼を申し上げるために伺う。少し前にあゆみ観音プロジェクトの若手僧侶が、本堂にどかどかと上がり、置く場所を確認して行った模様。皆さまとしばしの歓談。
ご本堂には20以上もの大小とりどりの仏壇が置いてある。中には精巧な彫刻が施されているものも。「契約済み」の紙が貼ってあるものも見受けられた。名古屋の仏壇屋さんが仏壇をリサイクルしてお持ち下さるのだそうだ。気に入ったものがあればいただける。
なかなか仏壇購入まで手が回らないという方が大勢いるに違いない。気仙に来るようになった頃、お位牌も仏壇も流されて…と嘆いていた方が何人もいらっしゃったのを思いだした。いろいろな支援活動があるのだと感心させられる。
雨はしとしと降っているが、小林ご住職と近くのやはぎ食堂で昼食(12:30)(13:20)。なんでも店主は、夏油温泉で食堂を営まれていた方で、季節関係なくお客をとれ、かつ被災地支援にも繋がるということで、震災後こちらに越してきたそうだ。店はいっぱいの人。でも帰るときは我々のみだった。生姜焼き定食をおいしくいただく。
小林ご住職は、震災の時、大船渡病院に入院していた。寺で丸鋸を使って作業していたとき、歯が跳ね手をざっくり切ってしまい救急車で運ばれたという。時計の鉄のバンドがあったので手が残ったのだそうだ。傷口を洗い縫合手術をし入院しているとき、ものすごい揺れが起き、廊下にある給食を乗せる車が動いたという。それから、非常灯の灯りのみで何日も暮らしたそうだ。
いろいろな人が病院に担ぎ込まれ、各所から応援の医師や看護師さんらが駆けつけたが、私物を置いておいた空き病室に、見舞いをよそおう盗人がたびひたび入り金品が盗まれた。盗難が続発しているとの放送がよく流れたそうだ。人の出入りが激しいとよくわからないであろうし、緊急のとき平常心で貴重品管理をと思うゆとりもなさそうだ。人の苦しみにつけ込んで…なんとも悲しい話だ。
見舞いに来てくれた方々は、住職に「怪我をしてよかったね。あなたの性格なら、ご本尊を守らなくては、過去帳を取りに行かなくてはと、必ず津波に巻き込まれて命を落としたに違いない」とおっしゃったそうだ。禍福はあざなえる縄のごとし、まさにその通りである。
雨の中、村上製材所に向かう。金剛寺さんも同道して下さる。「善光寺出開帳両国回向院」の際、回向柱の制作はここ村上製材所でおこなわれた。私も斧入れ式に参列させていただき、皆さんとともに社長さんから海鮮丼をごちそうになってしまった。そのときのお礼をまず申し上げる。新築された家に入ると木の香りがする。格天井を観た金剛寺さんは、新たに建てられる本堂を思って、こういう天井にしたいなぁ、とつぶやいていた。
村上社長があゆみ観音の地元の窓口として名前があがっていたため、ご挨拶に伺ったのだ。葛城市役所から陸前高田市役所に出向してきた西川氏が、故郷に戻った後、高田のために何かがしたい、高田松原の松で観音様を造りたいので松材を提供してほしいと連絡があり、このプロジェクトがスタートしたとのこと。高田松原の松は、先人がたいへんな思いをして育ててきたもの、ともかく人が踏むようなところには使ってほしくないとの思いは常にあったという。
震災後、被災松を譲ってほしい、この住所に送ってほしいとあちこちから電話がかかってきた。お代をいただきますというと態度が一変して、ただ拾ってきたものを金を取るのかとガチャンと切るような人がたくさんいたそうだ。被災松でひと儲けしようとたくらんだ人が大勢いる。これまた悲しい話である。高田松原の松は、確かに松材としてもすばらしいものだが、商売には使いたくないと静かにおっしゃった。社長は、あゆみ観音の材としてひとつひとつ水で清め製材して送ったという。金剛寺さんとはここでお別れ。
まだ時間があるので大中仮設に向かう。高速道路が開通し、市役所前からすぐに乗れるようになる。集会所にはおばあさんが一人、支援員の方々と歓談。邂逅観音の前でまず読経。130戸あった大中仮設も入居者は100戸を切ったという。
そう思えば復興が徐々に進んでいるということになる。確かにこちらに来始めた頃は、いつ行っても大勢の方が集会所に集っていて、にぎわいがあった。カレンダーには全国各地からのご支援が入り、炊き出し、コンサート、マッサージなどなど、びっしり予定が書かれていたっけ。今は日曜日の学習支援、体操などがちらほら入っているのみ。カレンダーも寂しげだ。時とともにいろいろなことやものも移ろいゆく。
4時に東海新報社到着。上野さんが対応してくれる。今回は8月2日に行う気仙三十三観音についての会議に向けての下打ち合わせ。「祈りの道」プロジェクトは、来春の「気仙三十三観音ご開帳」を提案するつもりだが、実現のための重要なことが朱印帳作成である。巡礼の方を集めるのには、御朱印がいただけるというのが、大切な条件となる。しかし、気仙霊場は一般のお宅がお守りしているところが半数近くに及ぶため、その場で揮毫するというのが難しい。
この4月、12年に一度という神奈川県にある三浦三十三観音本開帳にお参りしたことがご縁となり、霊場HPを管理している遠藤さまと知り合うことができた。ちょうどそのころ、遠藤さんは、「東国花の霊場」の神奈川霊場の朱印帳を作成したということでご恵贈いただいた。各霊場の揮毫部分もあらかじめ印刷してあり、花の写真がふんだんに掲載され、合わせて寺の紹介、簡単な地図まで載っている充実したものであった。これをベースに気仙霊場のオリジナル朱印帳ができないか提案した。
上野さんは、けせんきらめき大学のメンバーで、気仙三十三観音バスツアーを一昨年より4度行い、あと一度で成満という。最近参加者も増え、20人のバスでスタートしたが次回は大型バスにしようかと話しているそうだ。詣でる霊場のしおりは作っているものの、朱印帳があればよいと思っていたという。
「こういうのいいなー、大きさもバックに入るからいいよなー」と箱から出したり入れたりしていた。こちらからは、虫のよい話だが、東海新報社で編集・出版、販売まですべてを担っていただきたいとお願いした。後日、佐々木編集長とも相談の上、お返事を頂くこととなっている。私に課せられた宿題は、印刷所名、発行部数、価格で3点を連絡すること。好感触なのが嬉しい。
いつものオーシャンビュー丸森で入浴し、竹野さん宅へ。ミキ店長と夢商店街のやきとり香善で歓談。いつものように酔仙て乾杯。
7月11日
竹野さん宅…丸清食堂(7:30)…陸前高田観光物産協会(9:00)…正覚寺…荘厳寺…あゆみ観音奉納法要・陸前高田夢商店街(10:40)…圓城寺…一ノ関駅
台風が心配されたが、雨も小降りとなる。これなら帰りも心配なさそうだ。部屋の掃除をし、大船渡魚市場にある丸清食堂へ。いつものローソンが、うどんそばを出さなくなってしまったので、初めて市場の食堂へ行く。あるお客さんは、今日は時化で出られないから休みだと携帯で話していた。オムライスやラーメンなどありきたりの食堂メニューで魚に関わるものがほとんどない。漁師さんはあまり魚を食べないのか。日替わり定食が鯖塩焼きだというのでそれにする。他にも小鉢や刺身がつく。がっつりの朝ご飯である。竹野さん宅に鍵を返し、陸前高田観光物産協会へ。事故渋滞が少々。
観光物産協会へ到着。大坂さんと打ち合わせ。8月2日の会議では、気仙三十三観音に関わる活動をしている方々が集まり、今後の活動について意見交換をするのが主旨であることを伺う。我々はご開帳を提案することを確認する。昨日の朱印帳についての報告をし、好感触であったことをお伝えする。秋の講演会、一日徒歩巡礼についての記事を広報してくれるそうだ。
昨年「徒歩」の字を見落として参加された方を思いだし、今年はその部分を強調しましょうとお話しする。震災以降キャンピングカーで高田を訪れ、海岸近くの駐車場で泊まろうとする人がいるという。そのような人には他の山間のキャンプ場を強く勧めるそうだ。もしものことがあってから、いっておけばよかったというのでは遅い。もう犠牲者は出したくないし、あのような思いは二度としたくない。なまなましい叫びだ。被災した建物がすっかりなくなった今、これからどう震災を語り継いでいくか考えていきたいともおっしゃっていた。
まだ時間があるので、正覚寺そして荘厳寺に向かう。正覚寺は、3月には庫裏と本堂の工事をしていたのでちよっと見に行く。庫裏がだいぶ綺麗になった。こちらにお住まいになるのだろうか。ご本堂でお参り。左の床の間にある観音様の台座が壊れてしまったのか、体を壁によりかけていらっしゃる。
すぐ近くの荘厳寺へ。ご住職と娘さんが津波で亡くなった上、昨年漏電により本堂・庫裏が全焼した。在りし日の姿を記憶しているが故に、がらんと何もなくなったしまった風景が、いたたまれない。本堂前の太い松は類焼を免れたが一部火事の熱で葉が茶色くなっている。本堂跡地には御札がご本尊として祀られている。奥様がちょうどいらっしゃってお話しをする。本堂再建への道のりは遠そうだ。
未来商店街集会所へ。大型バスが何台も止まっている。岐阜の寺、埼玉の寺の団参も来ている模様。仏師の静山会のバスも止まっており、会場内は150名を超える人でぎっしり。あゆみ観音の前で写真を撮っている人、仏師の静山さんと話をしている人、当麻寺の松村院主と打ち合わせをしている坊さん、賑わいである。
法要は、奠供、観音経偈、般若心経、御真言、読経中、全員がお焼香する。あゆみ観音の、一人一彫りに協力した方は、嬉しそうだ。法要終了後、普門寺さまにごあいさつに伺い、あゆみ観音を仮安置することになっている圓城寺に向かう。もう観音様は本堂に運び込まれている。ツアーの方か、一台のバスが訪れ、読経している。時間が押しているとすぐに仙台空港に向かったそうだ。着替えさせていただき、一ノ関へ。こんなにゆとりのあるときも珍しい。一ノ関の銭湯、亀の湯に入る。390円也。東京はは450円。むむ、やすい。
まだ4時半でお店も開いていないので、前も行った駅前の居酒屋へ。あんなこと、こんことを話して新幹線乗車。乗ってからもあんなこと、こんなことは続く。早く寝てくれないかなー。