2015年3月25日(水)~3月30日(月)5泊6日

《第2回「高校生・大学生〈祈りの道〉を歩く―気仙三十三観音霊場徒歩巡礼―」報告》


参加者:

小林真子、吉水岳彦、福田亮雄(全日参加)、新川徳勝(全日車で参加)、大和田繁夫(全日参加、25、26日は車で参加)、小林敬正(25日)、藤澤裕雅(28日~30日)、工藤量道(27日~29日)、竹野生節(26日、28日)、ミキ店長(29日)、平山睦子(26日、30日)皆川さん(30日)、松沢さん(30日)、大坂さん(29日) 



 昨年の徒歩巡礼は、ずっと天候が不順であり、雨に打たれ、みぞれに叩かれ、風に吹かれ辛い思いをしたのだが、うって変わって今年は、6日間とも晴れつづけたうえ暖かな毎日だった。身も心も楽に歩くことができ、距離が縮んだかのような思いがした。   

 

 今年は地元の方の参加がぐっと増えた上、行く先々で御接待を受けた。お菓子、お茶などなど。これは歩いてお参りできないけれど、代わりに詣でて欲しいという思いからなのではないか、と思った。巡礼のさまざまなご縁がつながっていくことを嬉しく思う。

 

 同行の方とは、楽しくおしゃべりをしながら歩いているのだが、ある方は亡くなったご主人の写真をお持ちになって歩かれたし、またある方は、津波で亡くなった3名の同級生を思ってお参りしたとブログに記された。みなさんとお参りができて少しホットしたという方もいた。巡礼という器にそれぞれの思いを注ぎ込み、幾分かでも心が浄化される。巡礼という機会があるということ、それが大切なのだと思う。来年は、各日日帰り参加を原則とし広く参加者を募っていきたい。

 

24日

上野駅(11:42)……一ノ関駅(14:14)(14:57)……気仙沼駅(16:17)(16:27)……BRT長部駅(16:47)……大舟旅館(16:47)

 昨年は3.11からのスタート。ちょうど大寒波が到来し、気仙沼に向かう車窓からは雪吹き乱れる冬景色が見られた。下り立った気仙沼はシンシンと寒く、BRTを待つ間、足底から寒さがじわじわと伝わってきた。明日からもずっと寒いのだろろうかと心配した。今年は、学生さんも参加しやすいよう春休み期間に実施することにした。結果、後ろに2週間ずれたため、気候も安定し気温も上がり、おだやかな晴天の中歩くことが出来た。

 

 気仙沼駅では、駅前のバス停でBRTへの乗り換えをしていたが、ホームに直接BRTの車両が停まれるよう改善されていたし、鹿折唐桑駅までは軌道跡が専用道として走れるよう整備されていた。また、天窓や窓向き座席が設置されることによって、広く景色が望めるような観光車両となっていた。少しずつだが前進しているのが見て取れうれしい。


 長部駅に下車すると大舟旅館のおかあさんが車で迎えに来ていてくれた。昨年に引き続 いての宿泊である。早速広いお風呂に入りのんびり。美味しい食事とともに「奇跡の一本松」ラベルの「酔仙」を飲み「気仙にきたなぁ」と実感する。

25日

大舟旅館(7:30)…BRT長部駅…(7:55)…陸前高田市役所(8:05)〈8:17〉…0.8km…大石観音堂〈8:35〉〈8:49〉…5.5km…要害観音堂〈10:18〉〈10:25〉…0:5km…古谷観音堂〈10:45〉〈10:55〉…3.5km…上長部観音堂〈11:50〉〈12:15〉…2.5km…金剛寺〈13:25〉〈13:50〉…0.8km…泉増寺〈14:07〉〈14:17〉…馬頭観音堂〈15:10〉〈15:20〉…1.4km…観音寺〈15:50〉〈16:05〉…民宿343矢作〈16:10〉

メンバー:

小林敬正、小林真子、吉水岳彦、福田亮雄、新川徳勝、大和田繁夫

 大舟旅館のご主人は、以前は陸前高田市役所の近くに旅館と銭湯を営んでいたそうだ。震災の2年半後こちらに越してきて旅館を再開したと聞いた。津波が来たらともかく遠くへ逃げろと親から教えられていたため家族が助かったそうだ。生きていることそのものを負い目として背負っている人が多いのだという言葉が心の底に重く沈み込む。


「去年のこのくらいの時期に5人くらいで泊まってくれましたか」、我々を覚えていてくれ、「東海新報」に掲載された昨年の徒歩巡礼の記録のスクラップを見せてくれた。わざわざ切り抜いて取っておいていただいた。「うれしい」の一言である。


 長部駅まで歩く。待っていると新川さんが突然車で現れ高田駅へ連れて行ってくれる。ありがたい。新川さん、昨年は全行程徒歩で参加してくれたが、今年は我々への御接待に徹し車での巡礼となる。去年時間が押して宿の到着が暗くなってしまったことを慮っての配慮である。大変心強い。予定より早く陸前高田駅着〈8:00〉。


 市役所前にはコンビニ、コミュニティーホール、防災センター、陸前高田駅が完成している。木が生い茂っていた山を切り崩し広大な平場を造成し、市の拠点を創り出した。以前の風景を知っている者には驚きだ。金剛寺ご住職、奥様、昨年全行程を歩いた敬正くん、妹の真子さん、新川さん、東海新報の記事を読んで参加してくれた大和田さんが集まっていた。大和田さんは、股関節の調子が悪いとのことで車での巡礼となる。



 青空が広がり寒くもなく絶好の巡礼日和である。コンビニで各自昼食を購入し出発。この日徒歩は、金剛寺さんの兄妹、吉水さん、私の4人、車は新川さんと大和田さんの2人、この日は計6人での巡礼となる。金剛寺ご住職から「ざしきおやじ」が描かれたTシャツを頂く。 新川さんの法螺貝の音で出発〈8:17〉。切り通しが両側とも造成中、右手にあった杉林はもはやない。ここも風景が一変してしまった。



 坂を下りすぐに大石観音堂〈8:35〉。縁先に観音様が安置されているのだが、別当の矢作さんがカラス戸を開けて待っていてくれる。ご宝前にて初めてのお参り。大和田さん「この下の道は何度も何度も通っていたけれど、ここが霊場だとは…」、こういう発見も巡礼の楽しさのひとつだ。


 高田の街はかさ上げの真っ最中。以前よりぐっと盛り土が高くなった。15mはあるのだろうか。あまりの高さに驚く。きっと希望の架け橋は大きな役割を果たしているのだろう。坂の上から俯瞰するが、土が積まれている広大な土地から、近い将来形成されるという市街地のイメージが湧かない。どのような街が作られ、どのように人が集まり、どのような生活が営まれるのだろうか。


 ダンプが多く行き交うがこれでも以前の何分の一かに減ったという。架け橋効果の一つである。希望の架け橋を左手に見て気仙川の仮橋を渡る。脇を見ると橋桁が完成している。道しるべとして張った観音様シールを見つけると嬉しい。すべてが残っているようだ。


 廃墟となった気仙中の脇を通る。来る度に窓枠等が無くなり建物がむき出しになっているように思う。真子さんは、大震災当時気仙中の3年生。すぐに高台に逃げ、さらにその後二度逃げをしたので助かったという話を聞く。金剛寺が被災したため、お母さんが車を出すことも出来ず、最後の数名となるまで長部小に居残り心細い思いをしたそうだ。


 国道より坂を下り長部の港に入っていく。ガタガタだった港の護岸もがっちりコンクリートで固められた。まだまだ工事つづく模様。


 長部川から坂を上り長部小の脇を通り、要害観音堂跡にて法楽〈10:18〉〈10:25〉。初めて来る人もいるので、津波は海から二手に分かれお堂の辺りで合流し集落を呑み込んでいたこと、一月後別当の熊谷さんがお堂跡をほったところご本尊とお前立ちの観音様が発見されたことをお話しする。

 

 少し歩いて古谷観音堂〈10:45〉〈10:55〉。一人でもし来たとしてご自宅の門を入っていくのは気がひけると大和田さんの談。お堂に入って御法楽。いつも綺麗に掃除されており気持ちよくお参りできる。車巡礼隊は先回りしては、飴ちゃんの御接待や法螺貝のご接待で励ましてくれる。

 

 次は上長部観音堂。ポカポカ暖かく快調に歩を進める。長部港に戻り長部川沿いを歩く。高速道路の橋桁がだいぶできてきた。左手の山は造成され高台に瀟洒な建物が幾棟も建っている。上長部公民館前の慰霊碑の前で心経一巻を捧げトイレ休憩。観音堂の手前で新川さんのお茶のご接待。車からコンロを出しお湯を沸かしあつあつのお茶を頂く。上長部観音堂で昼食とするのでありがたい〈11:50〉。赤い鳥居をくぐり、坂をひと登りし堂内で法楽。各自昼食を取る〈12:15〉。    

 

 上長部仮設の脇を通り、林道の分岐を右手に入り送電線巡視路を登る。昨年のしるべがありまた嬉しくなる。杉林の中を緩やかに登ると尾根上を通る林道に出る。すぐ向こう側に下るのだが、来年は尾根を左手に進み金剛寺の裏手から境内に入る踏み跡をたどりたい。


 真子さんに次年度までの調査を依頼する。宿題だ。昨年は道が凍っており転倒した者もいたのだが、今年は雪もなくどんどん下れる。人家のある所まで下ると、真子さんは敬正く んに「ここどこ、わからない」と聞いている。金剛寺から5分程度なのだが、山から下ってきたうえ、回りの家も目印も無くなってしまったのでよく分からなかったようだ。「この道が小学校のマラソンコースだったじゃないか」と言われ現在位置をようやく確認できた。


 金剛寺の近くに行くと、大音量でご詠歌が流れている。行事の時に流すそうだ。住職ご夫妻の粋なはからいである。金剛寺も前の山を崩し本堂を作る高台造成がぐっと進んだ。入口にある完成予想図を見 て将来の山容を想像する。高台にあった仮設も解体され石仏も移設された。お話しによると開発許可がおりこれから道路の造成をし、住まいをまず建て本堂は3年後を目途に建立する計画だそうだ。不動堂で御法楽後、甘酒とお菓子を頂く〈13:25〉〈13:50〉。

 

 甘酒に「雪っこ」を入れるとうまいそうだが、階段を転がり落ちると困るので丁寧にご遠慮申し上げる。春の行事として「高校生・大学生〈祈りの道〉を歩く」と掲げているものの、昨年そして今年と金剛寺さんご兄妹の参加があって本来の趣旨にのっとり事業が行える。

 

 15分もしないで泉増寺に到着〈14:07〉。ご本尊が入っているお厨子の鍵が津波で流されてしまったため、開けることが出来ないとのこと。もし拝することができるときには是非立ち会わせていただきたい。本堂前で御法楽〈14:17〉。昨年半鐘が高尾山より寄付されたが、改めて見ると半鐘には「被災者現世安穏後生徳楽」とともに「気仙三十三観音霊場興隆」の文字が記されていた。これまたありがたい。

 

 ここから峠を越えて矢作に向かうのだが、山中では高速道路の建設とともに高台住宅地造成が大々的に行われ、以前の薄暗い杉林が切り開かれ土がむき出しになり明るくなってしまった。不思議なかんじだ。峠の下りでは舗装道路にするための側溝が完成しており来年はきっとアスファルト舗装になっているのだろう。


 まだ時間が早いので、馬頭観音堂にお参り。川沿いの道を進む。〈15:10〉〈15:20〉。お堂の壁板が壊れているので堂内を初めて見ることができた。観音寺もこの日のうちにお参りする。〈15:50〉〈16:05〉。ご住職に燈明をつけていただく。住職は、新川さんの法螺貝を手に取るとボーと音をだしたが、さすが長年の経験、厚みのある音が轟いた。


 この日はこれにて終了。昨年は鈴木旅館に泊まったが、今年は観音寺脇にオープンした民宿343矢作に宿泊〈16:10〉。ビジネスホテルのように個室であり快適だ。


 時間があるので、吉水さんと2人で村上製材所にうかがう。昨年の10月、奈良県当麻寺中の坊・松村院主の肝いりで、高田松原の被災松を材とし、延べ5000人以上の方が一人一彫りのノミ入れを行って完成した「あゆみ観音」が、立山観音堂に納められることとなった。その橋渡しを我々が担わせていただいた。その過程で村上社長にもお世話になったのでお礼旁々ご挨拶にうかがったのだ。


 久しぶりにお会いすると、さっき車の中から坊さんが歩いているのを見て似ているなと思ったら、やっぱ りあなたたちだった、とお話しになった。ちょうどこの日の午前中、立山観音堂の再建について、関西の設計士の方と連絡を取り、年内に完成できるよう話を進めていくつもりであるとのことであった。


 社長さんから、別当である大和田さんのおばあさんは「多くの方々の心が寄せてくれたあゆみ観音のお堂を建てなければ死んでも死にきれない」とおっしゃっていることを伺った。微力ながら当プロジェクトでも建設資金を集める手だてを講じたい。社長もあなたたちに連絡しなければと思っていたがこうして会えるのもご縁ですねと喜んでくれた。まさに観音様のお導きというしかない。気仙に来ると何度も繰り返し繰り返し「ありがたい」という言葉を述べてしまう。


 7時にロビーに集合。この日は観音寺さんで夕食のご接待がある。私が昨秋、岩手教区に講師として招かれたとき担当者としてお世話いただいたのが、観音寺のご子息長根先生である。

 

 お部屋に入ると、机いっぱいのご馳走が並べられ、ご住職、長根先生、奥様と楽しくお話をしながら美味しくいただく。お寿司、肉じゃが、唐揚げ等々…。調子に乗っていろいろまじめな話もしたようだが…、あまり明らかでない。ちょっと飲むピッチが早かったという説もあり。ありがとうございました。

 

26日

民宿343矢作〈8:00〉…延命寺〈8:40〉〈9:00〉…正覚寺〈9:35〉〈9:45〉…羽縄観音堂〈9:55〉〈10:05〉…川の駅よこた〈12:15〉〈13:10〉…常光寺〈13:20〉〈13:50〉…平栗福寿庵〈14:50〉〈15:00〉…7.0km…住田町役場〈17:00〉…農家民宿 一期舎〈17:40〉 

メンバー:

小林真子、吉水岳彦、福田亮雄、新川徳勝、大和田繁夫、竹野生節、平山睦子

 朝6時、観音寺のゴーン、ゴーンという鐘の音で起床。7時に朝食。おかずが多いせいもありもりもり二杯食べてしまう。天気は快晴、今日も楽に歩けそうだ。


 8時出発。民宿前に新川さん、大和田さん、金剛寺の奥様がもういらっしゃる。敬正くんとはここでお別れ。来年の再会を約す。この日は竹野さんが合流。徒歩巡礼に参加しようと決めてから、毎朝1時間ほどの散歩を欠かさず行ってきたそうだ。ミキ店長の談によると、毎日階段の上り下りも何度も行い、最初はその音に驚いたという。歩けるか心配だとはいいながら気合いがみなぎっている。


 国道を竹駒へ。橋の近くにセメント会社の工場があるためダンプの往来が激しい。道を渡るときは左右をしっかり確認する。歩道が道の右側に付いているところと左側に付いているところがある。横断歩道がないのでどうしても道路を横切らざるを得ない。国道を一列に黙々と歩く。左に折れ竹駒小近くの延命寺に〈8:40〉〈9:00〉。




 本堂に上がり左の部屋にご安置されている観音様をお参り。徒歩巡礼のチラシを本堂に張っていただいている。背後に巡らした釈迦涅槃図の絵、その前にお立ちになっている観音さま。以前は氷上山中のお堂にご安置されていたと聞いた。精巧かつ威厳のあるお姿である。大和田さんも竹野さんも初めて訪れたそうだ。確かに菩提寺以外のお寺に上がるというのは親戚のご法事以外まずは無い。


 いったん国道に戻り、一本先の道を左に折れ、正覚寺〈9:35〉〈9:45〉。浄土寺さんが兼務され今はこちらにお住まいである。ちょうどお会いしお話しをする。観音様は台座から外されているので、正面のご本尊に向かい合い法楽。右手には浄土寺の納堂にご安置されていた幾体もの観音様がある。それぞれ手に魚、柳などなど持っている物が違う。


 国道を進み羽縄観音堂へ〈9:55〉〈10:05〉。珍しく鍵がかかっていた。ちょうどお堂の近くで地鎮祭の準備中。お堂の裏手に初めて登ったが、祠があり、石仏や碑が立っている。ここは地域でも特別な場所なのであろう。国道を引きかえすが、行きより帰りの方がグッと短く感じられるのはどうしてなのだろう。


 竹駒駅近くの震災慰霊碑で法楽を捧げる。慰霊碑を建てたおばあさんから、津波に襲わ れつつも九死に一生を得たということや、背後ががけになっているため大勢のご遺体が寄せられたことなどをお聞きした。命ある限り近所の皆さんとお茶を飲んだりお話しが出来たりできる場を提供したいとおっしゃっていたのだが、お元気なのだろうか。広場に建てられていたコンテナが一つ撤去されていた。

 

 すぐ先の竹駒駅で平山さんと合流。ボランティアの方に車で送っていただいた模様。廻舘橋を渡り対岸の林道を行く。ダンプが通らず歩きやすい。採石場前のガードレールを綺麗に掃除しているおじさんがいた。汚したものは綺麗にしないと申し訳ないと考えるのか、どうせまた汚れるので綺麗にする意味がないと考えるのか、大きな違いである。広い空を眺めながら、満開の梅に時折目をやりながら春のひと日を堪能する。



 次の橋を渡り、少し国道を歩いて気仙川左岸の堤防の上をずっと歩く。土の道は気分がよい。梅が満開だ。昨年は雨に打たれなかなか着かず辛い区間であったが、今年は天候に恵まれ距離が縮んだかのようにすぐ着いてしまった。昨年常光寺さんで暖かな部屋にお通しいただき、お菓子と温かなお茶を頂戴し体が温まり生き返ったこと を思い出す。観音さまシールも順調に貼れている。お昼を川の駅よこたで取ることにする〈12:15〉。


 ちょうどお昼時で大変な込みようである。時間がかかると言われたが、昨年より2時間近く早いので座敷に上がって悠々と時を過ごす。平山さんがおにぎりを作ってきてくれた。うどんやラーメンなど各自注文。私は、ラーメンの汁は飲まないようにしているが、このときばかりは温かさと塩気が体に優しいような気がして半分のんでしまった。うまっ。


 売店のおばさんが私たちのことを覚えていてくれた。昨年腕輪念珠をどういう経緯だったか差し上げたのを思い出した。米崎産りんごをしぼったリンゴジュース購入、濃厚でうまい。一時間近く座敷でワイワイと過ごす〈13:10〉。


 トイレをすませ常光寺へ〈13:20〉。観音堂でお参りをしようとしているとご詠歌講のおばあさんが5人坂を上ってきた。御接待をしようと奥様からみなさんに声を掛けていただいたそうだ。観音堂でみなさんと一緒にお勤めができる。


 ご本堂に上がるとさらにメンバーが増え、お赤飯やきなこ入りのゆべし、お新香など手作りの逸品をご接待。それぞれ名人がいらっしゃり心を込めて作ってくれたそうだ。みなさん一生懸命にお世話をしていただいた。徒歩巡礼の目的の一つとして地元の方々との交流があるので、本当にうれしい。最後にひとことお話しを申し上げ常光寺さんを後にする。本堂の入口からみなさんにお見送りいただく〈14:00〉。これからご詠歌の練習らしい。


 国道を離れ気仙川の対岸に渡り林道を行く。緩やかに登っていくと国道が見下ろせる。けっこうなところまで上がったようだ。国道はトラックの往来が激しいことに加え、風景の変化が乏しく長く感じてしまうのだ。緩やかに上り下りを繰り返し、林の中を通り、人家の横を過ぎゆく。静かでのどかでのんびりする。一時間歩いて平栗福寿庵への分岐。車部隊は分岐点で待っていてくれる。右に坂を下っていき川への小径に。堂内に入り本日最後のお勤め。周囲の杉林が切られ明るくなった。


 坂を上り返し林道を北へと進む。四十八滝への林道に入らず右手に下っていく。昨年右へ下るよう教えてくれたおばあさんが今年も我々を気に止めてくれた。国道を少し歩きまた橋を渡り、対岸の林道を世田米へ。杉林に入り砂利道の緩やかに登りとなる。

 

 昨年はこの辺りで5時を回り徐々に暗くなっていき、果たして道が世田米に繋がっているのかと不安になった。今年は距離感もつかめているし一時間も早いので余裕である。竹野さんはあと30分というところでスパート。登りをぐいぐい引っ張り、鍛錬の成果を見せつけている。

 

 ほどなく舗装道路へと出て、世田米の街に入っていく。新たに成った木造の町舎前で観光協会の佐々木康行さんと待ち合わせ。太い木で作られたホールはとても居心地よくおしゃれ。木材の町・住田らしい建物だ。陸前高田観光物産協会の実吉さんも会いに来てくれた。酔仙をお土産に頂く。庁舎についてひととおり説明を受けた後、この日の宿、世田米の小股にある農家民宿一期舎に向かう。


 過日、住田町観光協会ホームペイジに農家民宿なるものを発見し、今回是非にと佐々木さんにお願いしたのだ。風呂にちゃっと入り夕食。岩魚の塩焼き、住田の固豆腐の田楽、住田ハラミ、行者ニンニクをばっけみそで、アサツキのおひたし、カボチャの煮物、ヤマメのお刺身、サービスで鹿肉の焼いた物を出していただき、締めは卵とアボガド、シラスのご飯、タレはお母さんのお手製。


 おとうさんと飲みながら、若い頃サウジアラビアの王宮を建てた話や、食の重要性、農家民宿に懸ける真摯な思いなどなど熱いトークと酒に酔いしれた。真子さんはいつもコンビニ弁当が多いとのこと、普段の食生活をしきりに反省していた。やさしいお母さんと押しの強いお父さんのコンビが絶妙である。泊まりに来ていた小学5年生のお孫さんのはつらつとしたふるまいが素敵だった。また来年も訪れたい。


27日

農家民宿 一期舎〈7:45〉…住田町役場〈8:00〉…向堂観音堂〈8:10〉〈8:18〉…満蔵寺〈8:35〉〈8:51〉…中清水観音・長桂寺〈10:10〉〈11:00〉…城玖寺〈13:12〉〈13:44〉…坂本堂〈14:00〉〈14:15〉…八幡寺〈14:40〉〈15:30〉…上有住公民館〈15:50〉…農家民宿 水野貞子さん宅〈16:00〉 

メンバー:

小林真子、吉水岳彦、福田亮雄、新川徳勝、大和田繁夫、工藤量導

 6時起床。昨日食事を頂いた部屋にある半間もあろうかという立派な仏壇の前で朝のお勤めをする。朝食もおかあさん手作りの蕗の佃煮、切り干し大根の煮物、枝豆入れのサラダなどまたご飯2杯。おみやげに古代米を頂く。ご飯を炊くときにスプーン一杯入れればよいとのこと。

 

 車で役場まで連れて行っていただく〈8:00〉。この日から大和田さんが徒歩での参加となる。以前からお参りしたいとは思っていたものの、一人ではなかなか行く気になれず、みなさんに引っ張ってもらえればと思って参加した、とのことだった。この日はバス路線も並行してあるので、具合が悪くなっても迷惑がかからないと思って歩こうと思ったという。歩き始めると竹野さん同様ぐいぐいと我々を引っ張っていただいた。


 役場のすぐ近くに向堂観音堂がある。バイパスを渡り今日初めてのお参り〈8:10〉〈8:18〉。以前一日徒歩巡礼のとき、このバイパスは何十回も通ってきたけれどお堂があることさえ知らなかったといった方がいたのを思い出す。役場から橋を渡り世田米中心部に。満蔵寺に向かう。気仙大工の粋を凝らした山門をくぐり本堂前でお参り〈8:35〉〈8:51〉。


 ここから国道を進む。各自コンビニで昼食を購入〈9:39〉。ここ小府金バス停にて工藤さんと合流することとする。夜行バスで盛岡に到着し、大船渡行きのバスに乗り換えこちらに向かっているのだ。向川口で合流予定だったが、時間を見て小府金に来てもらう。昼食購入とトイレをすませ出発。もう一人メンバーが増えた〈10:10〉。


 橋を渡り車通りのない道を行く。工事の際、日本最大の金塊が見つかったという橋を渡り、国道に戻ってから世田米街道に入り、天風にて旧道へ。またまた畑の中の車通りのほとんどない道をのんびり歩く。暖かだと精神的に楽だ。長桂寺もまだまだ先と思っていたところ早くも着いてしまった。杉の大木の間を通って境内に〈10:10〉。


 ご住職が本堂で待っていてくれた。堂内で御法楽。中清水観音が一緒に祀られていることを初めての方々に話す。庫裡にて南部せんべい、カステラ、お茶を頂く。ご住職と、宗派によってお唱えするお経や、衣の色や身につけているものの違いについてあれこれ話す。実際、他宗の僧侶と身近なことについてざっくばらんに話をする機会はほとんどない。不思議といえば不思議である。ゆっくりくつろがせていただき出発〈11:00〉。


 気仙川左岸の畑の中の道をのんびり進む。歩くときは心が開かれいろいろな話ができる。気仙の歴史、自分の来し方、震災後の生活いろいろ…。新たなつながりを紡ぎ出すときとなっている。青空を見上げながら、あれこれ話をしながら、観音様シールを張りながら、その時間に溶け込んでただ歩く。思えば幸せなときである。ただし、こう思えるのも好天に恵まれていることによるのだろう。


 山が近づいて来ると眼鏡橋。渡って世田米街道にもどる。千葉修悦さんから電話が入り城玖寺で待ち合わせることとする。川沿いの道に分け入り城玖寺〈13:12〉。本堂前で御法楽。ここで昼食を取る。駐車場で、新川さんからスポーツドリンクとチョコパイのご接待。その時々の状況を考えて御接待頂いた。千葉さんと合流。気仙に来て多くのご縁に恵まれている。


 すぐ近くの坂本堂へ〈13:44〉。堂内で御法楽。鳥居をくぐりお堂へ。堂内では、正面に役行者像、左手に観音様。まさに神仏習合である。今日のお参りはここまで。千葉さんに教わり、尾根の裾野を巻いていく道を行く。有住小の裏に出る。この後八幡寺さんを初めて訪問した〈14:40〉〈15:30〉。


 ご本堂で法楽の後、ご住職からご説明を頂く。ご本尊左には観音像が幾体も安置されているがこれは廃寺となった大泉寺に伝えられたものだそうだ。前には厨子に入ったお地蔵様が…。これは5年ほど前に檀家さんから寄託されたもので、昔、回国修行者である六部が家に泊まり亡くなってしまい、その時背負っていた仏像をずっとお守りしてきたという。厨子がそっくり残っているのも珍しい。思いがけず尊いご縁を頂いた。ご住職にこころからのお礼を申し上げ上有住公民館へと歩く。


 気仙にはまだ隠れたお宝がたくさん眠っていそうだ。大和田さん曰く、もし蔵を片付け仏さまが出てきた場合、粗末にしてはいけないと人に言われることもあるし、補修をしなければならずお金もかかることある。だからそっとしておくのですよ、と。地域の宝物を眠らせておくのはもったいない。


 上有住公民館に住田町観光協会の佐々木さんが迎えに来てくれている〈15:50〉。ここで新川さん、大和田さん、千葉さんとお別れ。予定の宿泊所が諸般の事情で受け入れることが出来なくなったため、宿泊は初めて受け入れるという水野貞子さんのお宅に宿泊させて頂くことに。上有住なので数分で到着〈16:00〉。


 佐々木さんもこたつに入りしばし歓談。工藤さんは千葉修悦さんから「東海新報」「それぞれの生きるかたち」の原稿を依頼され早速水野さんのお宅に要項が届けられた。お世話になった手前逃げられず。


 こたつには一杯のごちそうが並べられていた。行者ニンニクの天ぷら、かつおのサラダ、茶碗蒸し、かまぼこ各種、トマトときゃべつと卵のサラダ、さんまのみりん干し、行者ニンニクと豚肉の炒め物、松茸ご飯、ホタテの味噌汁など。ビールを飲み、おかあさん手製のゆず、ブルーベリーなどの果実酒をたくさん飲む。


 楽しくなってあれこれ話して盛り上がる。二階の部屋に布団が敷いてありゆったりと眠る。田舎に帰ってばあちゃんに甘えているそんな心地よい空間であった。ありがとうございました。


28日

農家民宿 水野貞子さん宅〈7:50〉…上有住郵便局〈8:10〉…小松峠入口〈8:48〉…小松峠〈9:20〉…国道〈10:20〉…まるよし〈13:10〉〈14:00〉…舘下観音堂〈14:15〉〈14:55〉…稲子沢観音〈15:10〉〈15:30〉…長谷寺〈16:20〉〈16:25〉…洞雲寺〈17:30〉〈17:40〉…旅館 菊水館〈18:00〉        

メンバー:

小林真子、吉水岳彦、福田亮雄、新川徳勝、大和田繁夫、竹野生節、工藤量導、藤澤裕雅、大坂俊也

 6時起床。お仏壇で朝のお勤め。貞子ばあちゃんは、朝食からサバ焼きやこごみ、こんにゃくの煮物、おひたしと頑張ってお料理してくれた。またまた2杯ご飯を食べる。佐々木さんが迎えに来てくれた。千葉さん再び来訪。今度は真子さんに原稿依頼。快諾していた。原稿が楽しみだ。お礼を申し上げ上有住郵便局に出発〈8:10〉。


 藤澤さんが今朝、遠野につきタクシーにて駆けつけてくれた。大和田さん、竹野さんも小松峠越えを一緒にする。お二人とも筋肉痛は全くなしとのこと。郵便局前に集合しいざ7人で峠越え。千葉さんに山裾を流れる水路沿いの道を教わる。地元の人しか知らない道を歩いているというのは楽しい。やがて車道に合流。すぐ先で右に別れる林道に入る 〈8:48〉。


 耕作を放棄された田が道の脇に広がっている。草がぼうぼうと生え、元に戻すことは甚だ困難そうだ。一年耕作しないと雑草の種がたくさん落ちてしまい、とってもとっても草が出てくるため、元に戻すのに2年かかると聞いたことがある。もとの森に還っていく過程なのだ。うねりながらゆるやかに道は付いており車も通らないのでのんびりと歩ける。昨年は雪が残っていたため凍っているところをよけなかがら歩いていたので、今年はペースがぐっと早い。休憩を取る〈9:20〉〈9:30〉。


 見晴らしの良い場所に出ると、今まで歩いてきた道が森の中に一本の線として見える。だいぶ上がって来た。昨年はビニールを足に履いたうえ靴を履いたっけ。向かいの尾根と合流したところが峠なのであと少し〈10:00〉〈10:10〉。


 倒木を乗り越え、崩壊 地を過ぎ、だいぶ山深く分け入った。平らな地形にでると小松峠は近い。すると、峠の向こう側からあやしげな山伏風情の人が登ってきた。新川さんだ。車を向こう側において登ってきたのだ。驚いた。小屋跡の水場で休み。一段高いところにある供養碑には「宮田佐吉 妻孝子の墓」とある。小屋を管理されていた方の墓なのだろうか〈10:45〉。みなさんとても元気。真子さんは昨年歩いた兄に負けじと「余裕よ」のポーズ。彼女はワンゲル部なので足は達者なのだ。ただし荷物はムダに重い。まだまだ研究すべき余地がある。



 峠の下りは楽勝。ただ足に任せれば自然と下ってしまう。ただし杉の枝が道に落ちており引っかかって転倒しそうだ。大船渡側は急であるが峠までの距離はグッと短い。ただし道の土が流れ荒れている所があるので注意が必要。


 ほどなく下界に到着。ここから県道を歩き、国道にでてただただひたすら歩く。大和田さん、竹野さんは絶好調でずっと先行しており、なかなか追いつけない。


 昨年の徒歩巡礼にてもっともきつかったのは、竹駒から横田の常光寺の間、その次は、峠越えの後の国道歩きであった。同じような風景が続き消耗した身には心が萎えてしまった。昼食が2時を過ぎたため腹が減ってたまらなかった。この道を普段車で走っている人は、数分で通過する感覚があるのでことさら長く感じたようだった。ところが……、今年は天候が良いためあれもう着いちゃったのという感じで1時過ぎに「まるよし」に到着〈13:10〉。


 サンマラーメンやら野菜炒め定食やらとんかつ定食やら腹が減っているのでもりもり食べる。体が水を欲しているのでおかわりして何杯もがぶがぶ飲む。お腹が一杯になると心が緩む。栄養が体に染み渡る気がする。のんびりさせてもらい。出発〈14:00〉。ここで陸前高田観光物産協会の大坂さん合流。大船渡の観音霊場を参るのは初めてとのこと。


 もう舘下観音堂は近い。奥様がいらっしゃりお堂を開けて頂く〈14:15〉。おまんじゅうとお茶の御接待を受けてお話しを伺ったが、先代から倹約して観音堂を建てるようずっと言われてきたとのこと。今は鞘堂に覆われた立派な観音堂が建立されている。鈴木家のご先祖の来歴についてもお伺いした。今度メモを取りながらゆっくりうかがいたい〈14:55〉。


 ローソン横を入ってすぐに稲子澤〈15:10〉。庭に入っていったとき、何か違和感が。池 の向こうの高台に立派な観音堂が新たに建立されていた。真新しいお堂の中で御法楽。ご当主が彫られた観音さまが納められていた。以前のお堂は、昔、百観音が納められたお堂が建っていた高台に移設されていた。今回の大きな収穫である。霊場が徐々に荘厳されていくのは嬉しい。ご当主にお礼を申し上げ後にする〈15:30〉。


 国道を渡り高速道路をくぐり、大船渡高校の脇を通り、長谷寺へ〈16:20〉。総代さんがお堂を開け待っていてくれた。ご住職よりリポビタンDご接待。また、上有住の仏師佐々木公一さんがわざわざおいで下さり、栄養ドリンクご接待。以前駐車場だったところに大きな家が建っていた。収蔵庫のご本尊十一面観音像は、東北歴史博物館の「みちのくの観音さま」に「ご出張」の後、調査が入り5月にお帰りになるとのこと。


 ここから盛の町に向かう。サンリア前を通過していると、真子さんが後輩とあったらいやだといっていたので、店の中に連れて行きたい衝動にかられた。この4月で大学2年生。この辺りには高校の後輩たちがたくさんいるに違いない。


 新川さんのお宅にお邪魔する〈16:48〉〈17:13〉。昨年お祖母さんが亡くなったとのことで、仏壇前にてみなさんと御法楽を捧げる。あつあつのホットレモンとイチゴ味の鴎の卵を頂く。昨年、法螺貝を家で練習しているか聞いたところ、町中で吹くと近所の犬が一斉に遠吠えをするので吹いていないとのことだった。確かに犬の心を無意味に燃えたぎらせるのは良いとはいえない。


 すぐ近くの洞雲寺へ〈17:30〉。観音堂前でお参り。稲子澤家寄進の竜宮門はいつ来ても立派だ〈17:40〉。入り口にある観音様の前で法楽。ここで大坂さんとお別れ。リアスホールの駐車場から菊水館まで竹野さんの車で送って頂く。


 菊水館到着〈18:00〉。広々とした綺麗な旅館である。昨年、気仙で知り合った村上さんが宿に「酔仙 煌淋」をわざわざお届け下さった。こんなに心を懸けて頂き感激である。お風呂に入って7時5分ロビー集合。


 この夕食は、ずっとお世話になっており新装開店した屋台村前の「なかむら」にて。いっぱいの人であった。常の如く海の幸を堪能する。詳しい様子は秘密。さらに大中仮設を訪れる度になべやきを接待してくれた森さんが、屋台村にお店を出したというので訪問。酔っぱらいと格闘しながらがんばっていた。なべやきを購入し明日のおやつとする。


29日

旅館 菊水館〈8:05〉…田端観音堂〈8:40〉〈9:01〉…熊野神社〈12:00〉〈12:30〉熊野神社熊野堂〈13:20〉〈13:40〉…小舘観音堂〈16:20〉〈16:40〉…民宿 吉十郎屋〈17:30〉 

メンバー:

小林真子、吉水岳彦、福田亮雄、新川徳勝、大和田繁夫、工藤量導、藤澤裕雅、ミキ店長

 6時起床。部屋にて朝勤行。朝食また2杯。気仙に来ると飯がうまい。8時旅館前集合。


 この日は日曜日、お店が休みなのでミキ店長が参加。竹野さんも参加したそうだったが、庭木の手入れなどがあるため断念したとか。足はまったく痛みがないそうだ。


 ただ今かさ上げ工事が始まっている港側に出て橋を渡り対岸へ渡る。被災したままのビルが建っているが、リフォームして使うのかどうか。大船渡プラザホテルは、かさあげ地に新築、移転すると聞いた。綺麗にリフォームしたのにもったいない気はする。太平洋セメント工場の脇を歩き赤崎へ。


 田端観音堂の向かいはすっかり整地され高台造成が成されている〈8:40〉〈9:01〉。木に囲まれた屋敷が建っていたのに不思議な感じだ。陸前赤崎駅に通じる新しい道も造られ、ホームから直接道に降りる階段が撤去されていた。


 お堂の前でお参りの準備をしていると向こうからおじいさんがやってきた。田端観音堂別当の志田さんである。私たちのためにお堂を開けて頂いた。初めてお堂の中に入ることができた。


 この霊場は毎月講が開かれており、講員さんたちがお茶やお菓子を持ち寄って一日を過ごしているのだ。中は奥行きが深く長机が置いてあった。正面の厨子に納められている観音さまは直接拝せないが、燈明を付けて法楽を捧げる。ジュースをご接待頂く。


 お堂の敷地が道路の造成計画にかかり向かいの高台に移設しなければならなくなると聞いた。まだ詳細は未定とのこと。地域に息づいている観音堂、ぜひ今と変わらず信仰の場としての役割を担い続けて欲しい。志田さんに見送られて元来た道を戻る。


 去年は魚市場への道を歩いたが、今年はかさ上げ工事が始まり歩道がまったくないとのこと。国道を歩く。おさかなセンターを通過しコンビニで昼食購入。トイレ休憩とする。


 歩いていると東海新報社の上野さんが車窓から手を振っている。後ほど立ち寄ろうかと思ったが、日曜なので会社はお休みなのだ。それでもこうして観音様さまは会わせてくれる。


 観音さまシールを快調に貼ることができる。左手に道を折れ細浦へ。駅近くの長源寺さまに立ち寄るがご住職は不在。震災後多くの方が長い間本堂に避難されていたと伺った。津波到達点の碑を見ると津波は本堂脇にまで達していたのが分かる。


 細浦の町を通過し小細浦から熊野神社へ。ここで昨年同様昼食〈12:00〉〈12:30〉。霊場の熊野神社とは 別である。私たちの姿を見つけた宮司さんがけげんな顔で近づいていらっしゃったが、ミキ店長が青年商工会議所でご一緒し顔を見知っていたご縁で、拝殿の中に入れて頂く。


 長机を使わせていただいたうえ、お茶のご接待も頂く。森さんの鍋焼きとめかぶの酢の物を皆で食べる。さすが地元に顔の広いミキ店長。お腹が満たされいざ出発。


 これから海を望みながらゆるやかにアップダウンをくり返しながら歩を進める。ミキ店長すでにふくらはぎに張りが出た様子。最近運動をしていないので…。お父さんの健脚に驚いていた。碁石海岸からのバスの行き来が多い。海岸は防潮堤工事が進んでいる。2倍の高さにしているがこれではまったく海が見えなくなるし、無機質な壁が延々と続く様は美しくない。果たしてこの建造物で津波を食い止めることが出来るのだろうか。


 三面椿の看板に導かれ熊野神社に到着〈13:20〉〈13:40〉。脇のお堂に観音さまとお不動さまが祀られているのでそちらで御法楽。今晩泊まる吉十郎屋はすぐそこ。観光トイレで用をたし広田へ向かう。工事のため元来た道を少し登り迂回する。海岸縁は津波で破壊されガタガタにされた堤防が放置されていたが、今はきれいに撤去されている。道は向かいの丘陵へ続き緩やかに登っていく。いったん傾斜は緩むがまた登り。このダラダラ登りは足に来ている人には辛い。真子さんは平坦だ、平坦だと言い聞かせて歩いていた。


 BRTの線路を越えもうひと登りすると、今度は下り。広い田園地帯の真ん中に小友駅が見えた。ここで工藤さんとお別れ。彼はこの日のうちに帰京しなければならない。みんなで記念写真を撮る。ひとりとぼとぼ駅に向かう後ろ姿が寂しそうに見えた。この日も温かなため快調だ。ぐっと海岸縁まで下る。きれいな砂浜が広がっていたが、砂の流失を防ぐためか鉄の板がずっと打ち込んである。海水浴場でなくなってしまうのか。


 スーパーヤマザキ前の東屋で休憩。トイレを借りる。ここまで来ると広田小の交差点は近くである。この日の終りが見えてくる。緩やかに登り広田湾が見渡せる。


 慈恩寺さんの近くに真子さんのお祖母さんが住んでおり皆で立ち寄る。奥さんも来ていた。普通の3倍はあろうかというデカイ鍋焼きを作ってくれた。たくわんもうまい。たくさん食べてしまう。ここまで来ると小館観音堂は目と鼻の先だ。


 海の脇にそびえる巌の上に建つ観音堂へ上がる〈16:20〉。お堂前で法楽〈16:40〉。新川さん竹野さんの車でこの日の宿、民宿‎ 吉十郎屋へ〈17:30〉。今日歩いた道をそのまま引き返す。見慣れた風景だ。あんなに苦労して歩いたのに、車だと10分少々。車の速さに驚くと同時に、もったいないような、腹立たしいような不思議な気持ちになる。


 吉十郎屋は麟祥寺さんの真ん前。津波で荒れ地となった場所に民宿がオープンしたときから知ってはいた。お父さんにもお母さんにもとても親切にしていただいた。


 その晩は刺身にすきやき、煮物等々。お酒は昨日頂いた「酔仙 煌淋」。宿のお父さんや同宿の方にもおすそわけをする。香りよし味よし高級な酒という趣である。全て飲みきれる実力はないので余した分はペットボトルに入れ明日に持ち越し。


 工藤さんは帰りの新幹線の中で、独り「雪っこ」3本の峠を越えるべく努力していたのだが、やはり2本でギブアップした模様。携帯で我々とラインをしながら酒をグビクビ飲んでいる僧形の男の隣に座っていた出張帰りのサラリーマンは、けげんな顔をしていたという。

 

30日               

民宿 吉十郎屋〈8:00〉…小舘観音堂〈8:24〉…田束観音堂〈9:54〉〈10:30〉…常膳寺〈11:13〉〈11:30〉…立山観音堂〈12:00〉〈12:10〉…マイヤ〈12:45〉〈13:28〉…普門寺〈14:08〉〈14:30〉…氷上本地堂〈15:00〉〈15:10〉…坂口観音堂〈15:42〉〈16:00〉…浄土寺〈16:15〉〈16:30〉…陸前高田駅〈16:35〉〈16:57〉…気仙沼駅〈17:28〉〈17:50〉…一ノ関駅〈19:14〉〈19:21〉…上野駅〈21:55〉

メンバー:

小林真子、吉水岳彦、福田亮雄、新川徳勝、大和田繁夫、藤澤裕雅、平山睦子、皆川さん、松沢さん

 朝6時起床。朝食2杯食べたが、温泉卵が残ってしまったため、さらにご飯を食べてしまう。気仙に来る前ご飯を小盛りで食べるよう習慣づけていたのだが、巡礼を機に満腹中枢が壊れてしまったようだ。もとに戻すのが大変そうだ。おかあさんから御接待で生わかめとめかぶを頂く〈8:00〉。

 

 新川さんと大和田さんの車で小館観音堂へ〈8:24〉。大和田さんはここに車を置き、帰りに新川車にて車を回収するという手はずである。


 真子さんのお祖母さんの家の前を通る。はたきの棒に黄色い布を付けた旗を振って見送りしてくれる。孫に「旗もってくかい」というと「いらない」。普段何かに使っている旗なのか、わざわざ見送り用に作ってくれた旗なのか。あたたかな思いが伝わってほのぼのとしてしまった。


 坂を緩やかに上り広田小脇を仁田山トンネルに向けさらにだらだらと上る。真子さんちょっとつらそう。右下に見下ろせる海岸線は昨日歩いた場所だ。この日も順調にシール張り。トンネル入口で休憩〈9:19〉〈9:25〉。新川さんトンネル内で法螺貝を吹く。音が響き荘厳に聞こえる。後は下るのみ。どんどん進み田束観音堂へ〈9:54〉。荷物を置き山道の急登。明るく開けた頂にあるお堂に入り法楽。大和田さんはこの登りがきつかったと言っていた。大中仮設にお住まいの平山さん、松沢さん、皆川さんとはお参り後にここで合流〈10:30〉。


 松沢さんは車で巡礼。分岐を右に進むと広い田園地帯を通り小友小脇に出る。ちょっと先を左に折れると常膳寺〈11:13〉〈11:30〉。


 まっすぐな参道が徐々に傾斜が増していき足に来る。真子さんと参道をダッシュで競うが、私の勝ち。今度盛岡でラーメンをご馳走になることになっている。境内に入ってもさらに階段を登りようやく観音堂。太い姥杉は枝下ろしがされていた。お堂の前で法楽。


 元の道に戻り道なりに進む。アップルロードの上を橋で渡り山間の道を行く。この辺りは高台造成が甚だしく進み、杉林を崩して宅地に成っている。土がむき出しで工事中の箇所も多い。昨年の森の中の薄暗いイメージと打って変わって明るく開けてしまった。


 現在位置が確認できずちょっと立ち止まるが、新川さん情報でそのまま進めばよいことが分かる。日当たりの良い大きく瀟洒な家が幾棟も建っている。リンゴ畑もだいぶ宅地になってしまった。


 住宅地の中を下っていくと立山観音堂跡に出た〈12:00〉〈12:10〉。土台はなくなり霊場名を記した石柱と石灯籠が横たわっているのみである。石のお地蔵さんに向かってお経を唱える。


 お昼はアップルロード沿いにある、こんの直売センターでホタテラーメンをと思ったが激込み。隣のマイヤに入り休憩コーナーにて昼食〈12:45〉〈13:28〉。お湯や電子レンジもそろい便利だ。パンやカップラーメンなどを各自購入。昨日頂いた大きななべやき完食。


 アップルロードを離れ国道をトンネルでくぐり高田病院脇を通り直進。車通りが多い。程なく普門寺〈14:08〉〈14:30〉。本堂裏手の土蔵づくりの観音堂の前で御法楽。善光寺が奉納した親子地蔵や三重塔などの説明をする。


 帰りかけると境内に観光バスが入ってきた。震災の語り部の実吉さんが下りてくる。昨年クラブツーリズムの岡山さんが、「祈りの道再興プロジェクト」のホームペイジに関心を示してくれ、わざわざ自坊を訪ねてくれた。その結果、被災地ツアーの一環として気仙の旅が実施されたのだ。実は父と近所の寺のご住職も参加しており、まさかの対面。数分ずれていれば会うことはなかったろう。これまた不思議なご縁である。


 道はゆるやかなアップダウンをくり返す。昨年より遅れているというとハイピッチに。まだまだみんな元気だ。左に折れ氷上神社へ〈15:00〉。左手のお堂に観音様が祀られていたという説があるが、以前宮司さんの奥様に聞いたところによると、山の上にあったお堂を壊す予定だったが、もったいないと言うことになり移築したそうだ。中に観音様はいないとおっしゃっていた。本殿の前で法楽し出発〈15:10〉。


 道なりに坂を下り左に続いている尾根に向かって歩く。その突端が光照寺となる。火の見櫓近くの消防団跡にしつらえられた慰霊施設の前で心経一巻。


 坂口観音堂跡から坂を上り光照寺の墓地に到り新築成った坂口観音堂を参る〈12:45〉。ここに千葉修悦さんが駆けつけてくれた。


 お堂の向かいに建つ「ののさまの陸前高田駅」にて被災者の方々の名前が記された大きな位牌とご住職が書いた天井絵を拝見する〈13:28〉。元来た道を引き返し、災害公営住宅の脇を通り浄土寺へ。本堂前で法楽を捧げた後、一緒にお参りをした方ゆかりの方々のご回向を行う。


 すぐ車に分乗し陸前高田駅へ。金剛寺ご住職、奥様、実吉さん、大坂さん、千葉修悦さん、一緒に歩いた平山さん、松沢さん、皆川さん、新川さん、大和田さん、真子さん大勢の方が集まった。一言ずつ感想を述べる。


 真子さんは「大船渡や高田のことをたくさん教わりました」と述べた。若い人にふるさと気仙の素晴らしさをたくさん知ってほしいと思う。みなさんからいろいろおみやげをいただく。松沢さんから酔仙とゆず酒を千葉さんからは、柿ピーとチーズ、ビールにお茶を頂く。


 定刻にBRTがやってきた。乗り込んで外を見ると大勢の方が手を振ってくれていた。ああこんなに多くの方に見送ってもらうのだ。成満の満足感とともにありがたさが目の奥からこみあげてきた。ああ、また気仙に来たい。よき6日間をありがとう。