第3回「気仙三十三観音徒歩巡礼」
25日
上野駅(8:02)…一ノ関駅(10:12)(10:23)…気仙沼駅(11:46)(11:58)…盛駅(13:20) …船野さん事務所訪問…市役所 農林水産部、商工観光課訪問…大船渡観光物産協会訪問…五葉温泉にて工藤夫妻と合流…屋台村「天使の森」
今回の活動報告は、大船渡寺町チンドン一座のメンバーである佐藤忠清さんのお話から語り起こしたい。大津波来襲後まだ電気が通っておらず蝋燭で暮らしていたある晩、姪子さんの紹介で訪ねてきたという僧侶が戸を叩いた。暗がりにぬっとたたずむ姿にさぞ驚いたことだろう。
その方が長野・善光寺の若麻績上人であった。納屋を片付けてお泊めし、食事の世話をすることにする。それから佐藤さん宅を拠点に、長野の僧侶の方々が続々と読経ボランティアに大船渡を訪れた。ご遺体が安置所に幾体も幾体も運び込まれる。なかなか丁寧にご供養いただけなかったそうだ。そんなとき長野のお坊さんたちに読経いただけたことは本当に有り難かったと佐藤さんはおっしゃった。
その後、佐藤さんがお出しした大船渡のサンマのうまさに感激した若麻績上人らが、地元長野に働きかけ「大船渡サンマ祭り」が開催される運びとなる。「今まで食べたサンマは何だったのか」というほどの衝撃だったという。「サンマ祭」には大勢の人が訪れたと聞いた。さらに話は進み、全国展開する長野県の水産会社と大船渡とが提携し、販路を広げ経済交流につなげようというところまで話が進んだ。
その「お見合い」が長野市権堂にて開かれた。市長を初め、市議会議員、市役所、観光協会など両市のお歴々ならびに長野フリースタイルなお坊さんの会のみなさんが料亭の一室に顔を合わせた。
長野県の古田上人から我々にお声がかかった。大船渡で活動をしているのなら、大船渡の皆様と御縁を結ぶのに良い機会なので気軽にどうぞ、とのこと。事情もよく知らず吉水さんと二人で参加した。席にて船野議員、観光物産協会金野事務局長、商工観光課鈴木課長、農林水産部部長尾坪部長などなど、多くの方々お近づきになり、「祈りの道」再興プロジェクトについての説明や意見交換を行うことが出来た。気仙地域における観音様の大切さを再確認していただけたのではと思う。私どももよい「お見合い」ができた。
そして今回、その時頂いた御縁をさらに強く結び直そうと少し早めに東京を出発した。8時に上野を出て13時20分盛着が最速である。途中一ノ関にて駅弁購入。私は「三陸海の子」ホタテとウニといくらが入った豪華な駅弁だ。大船渡線でのんびり食べる。天気は快晴。気仙沼にてBRTに乗り換え終点盛駅に。
盛駅には、船野議員と佐藤忠清さんが待っていてくれた。佐藤さん属する大船渡寺町チンドン一座は昨年全国優勝を果たした団体である。長野では所用のため一足先にお帰りになったので今日初めてお会いすることになる。
車で船野さんの事務所に行く。来月17日が市議会議員選挙なので、そのために開かれた選挙事務所だそうだ。支援者の方々がいらっしゃり茶菓を接待してくれる。長野での経済交流のお話しは順調に進んでいるそうだ。大船渡の水産業にとって、「とんでもない力」になるものだという。間を取り持った長野の僧侶の方々の心に敬服する。
船野さんも佐藤さんもやたらとパワフル。またそこにいらした鈴木さんも、これから長谷寺の住職と会うので、収蔵庫を開けてもらって観音様をぜひ皆さんに拝んでもらいたいとのこと。収蔵庫を作った30年以上前、ご本堂から仏像を背負ってお運びした一人なのだと聞いた。
船野さんがご親戚宅にある「お御堂」をぜひ見せたいおっしゃりお連れいただく。「お御堂」とは御先祖を弔う仏壇を別棟に建てた御堂のこと。この辺り独特の風習だそうで、いまだ何棟か残っているという。
横一間、縦二間半ほどの大きなものであった。中にはいると正面には金箔が施された立派な龍の欄間が、正面の大きな仏壇には阿弥陀さまの軸、左には蓮如上人のお文の一節が記された軸がある。御信心の篤いこの気仙の気質が表れたものである。
その後、太子堂へ。この辺りには聖徳太子が祀られたお堂が点在しているという。地元では「おダイシさま」という。源氏の落ち武者が住まった集落には、信仰されていた聖徳太子が祀られると聞いた。
御厨子の扉を開けると400年前に造像されたという太子像が祀られている。説明書きには、このおダイシさまは「イモダイシ」と呼ばれ、太子が芋好きでお参りに来た人に山イモを食べさせたことによると記される。年に一度の御縁日にはにぎわいを見せるという。
「オシラ様」も10体以上あった。「オシラ様」とは、木で作った1尺程度の棒の先に男女の顔を書いたものに、布で作った衣を着せたものである。遠野のオシラ様が有名だが、ここ日頃市は遠野から馬を引いて買い物に来た人が、馬をつなぎ着物を変えて盛へと向かった場所だという。遠野との縁が深いためオシラ様があるのだろうか、興味は尽きない。気仙の宝物をまたひとつ発見した。
歩きながら聞いた話では、11月にオタイシ様とオシラ様の着物を着替えさせるという行事があるそうだ。これは、結婚を意味すると思われ、生命力を感染させ五穀豊穣を祈る儀式なのだろう。また、「ヨバイダイシ」なるものもあったという。気仙の習俗は奥が深い。
鈴木さんの車で市役所へ。尾坪部長と鈴木課長をお訪ねする。尾坪部長には長野でのお礼を申し上げる。鈴木課長は会議でお留守。次に観光物産協会へ。金野さんがいらっしゃりしばし歓談。大船渡のサンマをブランド化して全国に売り込みたいという決意を伺った。
合流予定の工藤夫妻と連絡を取ると、すぐ近くまで来ているという。五葉温泉にて合流とする。鈴木さんにわざわざお送りいただく。ほんとうに親切にしていただいて有り難い。
私は二度目の五葉温泉。熱めのお湯にゆっくりとつかる。工藤さんは昼に青森を出て、盛岡で借りていたレンタカーを大船渡にて返却とのこと。忙しい中をなんとか工夫をして駆けつけてくれた。
盛で車返却後、タクシーで屋台村へ。いつもお世話になっているなべ焼きの森さん経営する「天使の森」へ。帰りに得意の「なべやき」をおみやげに頂く。
お刺身、ポテサラ、たらの湯引き、ぎょうざ、あぶりチャーシュー、やまかけ、富士宮焼きそばなどなど。こう書いただけでかなりの量を食べていることを再確認した。酒は酔仙辛口。岳上人絶好調。つややかなこの顔を見よ。翌朝は、靴下を片足のみ履いていたそうだが、その理由は誰も知らない。
26日
陸前高田駅(8:00)(8:09)…0.8km…大石観音堂(8:22)(8:38)…5.5km…要害観音堂跡(10:09)(10:26)…1.2km…古谷観音堂(10:45)(11:00)…3.5km…上長部観音堂(12:00)(12:39)…2.5km…金剛寺(13:42)(14:07)…0.8km…泉増寺(14:30)(14:40)…7.8km…観音寺(15:26)(15:41)…1.2km…馬頭観音堂(16:03)(16:10)…0.5km…陸前矢作駅(16:20) 計21.8km
参加者:
佐藤忠清さん、宣子さん、船野章さん、鈴木憲助さん、金野博史さん、佐藤敬正さん、村上翔さん、中野貴之さん、大和田繁夫さん、寺澤さん佐々木さんを初め大船渡歩こう会の方6名、新川徳勝さん、吉水岳彦さん、工藤量導さん、絵美さん、福田 計20名
第1回、第2回は「高校生・大学生と歩く気仙三十三観音徒歩巡礼」と銘打って開催したが、学生で参加してくれたのは、金剛寺の敬正君と真子さんのみ。
今年からは日帰りを原則とし、広く一般の人を対象に徒歩巡礼を行うこととする。集合、解散も駅などの集まりやすい場所とした。よって今までより距離が短くなった日がある。
多くの方が申し込んで下さり、初日は20人の参加があった。長野でお知り合いになった大船渡の方々8名、大船渡歩こう会の方6名、昨年参加の大和田さん、サポートカーをいつも出してくれる新川さん、そして我々が4名。陸前高田観光物産協会の実吉さん、大坂さんにお出迎え頂く。
新川さんの法螺貝を聞きながら、賑やかにスタート。市役所から国道へと下りる道も整備された。うっそうたる杉林も高台造成され、警察署、消防署、ホール、駅などができたし、高田一中脇の森が宅地に変わっている。来る度に風景が変わり不思議な気持ちになる。
国道から坂を上り大石観音堂にてお参り。縁先にある観音様とお地蔵様を前に読経する。新川さんが霊場ご詠歌の一覧表を作って配付して下さる。下の道は何百回も通ったが、ここに来たのは初めてという方がほとんどだ。ご当主から坂の上ぎりぎりまで津波か来たことを教えていただく。新川さんは、法螺貝をたてた後に新たに作ったツブ貝の法螺を吹く。大きさが拳くらいなので音ももちろん小さい。かわいらしい音である。法螺貝の音を聞くと周囲の犬がいっせいに遠吠えするため自宅では練習できないそうなので、普段の練習用なのか。
長部三観音へ。気仙川沿いの道を気仙大橋へ。13mかさ上げが行われるそうで、だいぶ工事が進んだ。ゆくゆくはこの土盛りの上に新市街が建設される。また風景がどう変わるのだろうか。ダンプが多くとてもほこりっぽい。気仙大橋も橋桁の工事が進んでいる。ダンプが通る度に揺れる仮橋が早く頑丈なものになってほしい。
希望の架け橋も役目を終え、タコの足のように広がっていたベルトコンベアが無くなった。右手の今泉の町はかさあげの真っ最中。保存されることになっている気仙中は、窓枠が無くなってしまい、中が丸見え。さらに荒廃した感がある。ダンプに気を付けて国道を歩く。ようやく、国道から別れ長部港へと下っていくと、今度は堤防の工事のためダンプが追いかけてくる。どこもかしこも埃が舞っている。
長部川から長部小へと坂を上り、要谷へ。要害観音堂跡地にて法楽。震災後一月経ってから発見された観音様の話を皆さんにする。海岸には立派な防潮堤が完成していた。これも驚きだ。
大船渡歩こう会は、現在31名、震災前は70名も所属していたそうだ。亡くなった方、転居された方、歩けなくなった方理由はそれぞれだが、人数がだいぶ減ってしまった。しかし、家にじっとしていても気が晴れないので、心身の健康のため毎週集まって歩いているそうだ。30、40キロにもチャレンジするという。この日も蛍光イエローおそろいのジャンパーを着て参加してくれた。最年少は72歳。
この日88歳の方が参加、飲食店をやっているため、前日の3時半までお仕事をしていたとか。朝起きたらどうしても行きたくなって参加したという。この話を聞くと、足が痛いなどいっていられないと皆さんおっしゃる。盛の踏切のところにある店と伺った。今度そっと訪れたい。
次はほどなく古谷観音堂。庭木や芝生の手入れがキレイに成されており、みなさん感心していらっしゃる。母屋の裏の観音堂へ。皆さんで堂内に入り法楽。観音様6体を拝んでいただく。トイレをお借りする。
ここで金野さんとお別れ。午後から大きな行事が控えているのだ。長部港に下りた後、長部川を遡り上長部観音堂へ。高速道路工事がだいぶ進み橋桁がほぼ完成。雰囲気がだいぶ変わった。その先の上長部の慰霊塔にて心経一巻を捧げる。その場に居合わせた地元の方は以前一日徒歩巡礼に参加された方だった。ボランティアの仕事が入って参加できなかったとのこと。いろいろなところに御縁が繋がり嬉しい。
杉林の中にある上長部観音堂をお参りする。佐藤忠清さんの横笛の奉納がある。「気仙街道」という曲。お堂の中に哀切な音色が響き、目を閉じしみじみと味わった。ゆっくり山道を下り、明るい梅林で昼食。ポカポカと暖かく気持ちよい。持参のおにぎりを食べる。
これから本日の難所である峠越えだ。上長部仮設住宅を通り、二股の林道を右に入り送電線巡視路へ。傾斜はそうきつくはないが、慣れていない人は難儀そうだ。杉林の中の小沢を何度か渡り、うねうねと上っていく。新川さんは尾根上の林道へと先回り。鈴木さん足が痛くこの部分だけ車に乗る。上方から法螺貝の音が聞こえてくる。木々にこだまし、身体にも食い込んでくる。「いや、こういうのいいね。気持ちいい」。佐藤さんがしみじみおっしゃった。
ようやく登りも終わり下りになるが、石車に乗って転んでしまう人もいた。気を付けねばならない。高速道路予定地は伐採が進んでいた。来年はどうなっているのだろうか。
今泉に下り左手に折れ金剛寺へ。被災し本堂、庫裡が流されたが、高台造成が完了。住職の住宅が完成していた。翌日は地鎮祭とのこと。一年半後には本堂が建立されるという。来年の徒歩巡礼時は、ほぼ建物はできあがっていると思われる。こちらも楽しみである。
高台の不動堂にて御法楽。ご住職、奥様がいらっしゃり、節分に使った大豆入りのおにぎりを頂く。ちょっと塩気があり豆の香りと相まって大変美味しい。初めての味わいだ。ご住職から「雪っこ」をたくさん頂戴する。飲み過ぎ注意。
すぐ近くの泉増寺をお参りした後、ゆるやかに登り峠越えをする。以前は杉林の中の林道であったが、辺りが住宅地になるそうで、舗装道路となった。でも建設されている住宅は少ない。確かに夜帰ってくるときは真っ暗で怖いかもしれない。
「こういう登りは足にくるねー」と、みなさん励ましあいながら登っている。「あそこが峠の頂上で後は下るだけですから」と励ます。だらだら下りになると、「いやはや、くだりはもっと足に来る」。常に足は痛いのだ。
やがて家が見えてきた。矢作の町だ。絶対気動車が走ることのない線路を渡って観音寺へ。線路が繋がっていないというのは寂しいし、以前より時間がかかるので不便だとしみじみおっしゃる。
気仙三観音の観音寺さんをお参りする。高台にある観音堂までの登りがまた足にこたえているようだ。BRTの時刻が迫っているので、すぐに馬頭観音堂へ。ここもまた厳しい石段が待っている。
「これはまた足に来る。今日一番ツライ」、声を出さずには上がれないのであろう。ようやく予定の霊場を回るが4時過ぎ。4時22分に陸前矢作駅に着かねばならない。すぐに出発。なんと4時20分に駅到着。ぎりぎり間に合った。歩こう会の方は、どこかに車が止めてあるようでさらに歩いて行くそうだ。車窓から手を振り再会を約す。
帰りの車中では、「日常では味わえない達成感だな」「お参りすると清々しい気がするね」「33、000歩もよく歩けたな」など感想を述べ合っていられた。観光物産協会の若手の方々は「いつ逃げようかと思っていましたが、最後まで歩けて自信になりました」とおっしゃる。みなさんそれぞれ何かを感じていただけたようだ。船野議員はこれから選挙に向けての決起集会。お疲れではあるものの気力がみなぎっておられる。
下船渡でみなさんとお別れし、大船渡温泉に向かう。露天風呂でゆったりと疲れをいやす。タクシーで屋台村に向かいいつもの「中村」にて打ち上げ。刺身、いかの腑焼き、ほや刺し、ぶりかま焼き、締めはばっけ味噌の焼きおにぎり。うまいっ。
9時過ぎに参加された方から電話が。いきなりの「しもしも…」に驚く。だいぶ飲んでいるようで絶好調。周りの人が3万歩も歩いたのを信じてくれないのだとか。電話を変ってもらい私が証人なる。きっと激しい疲労でドーパミンがバンバン分泌され、脳が興奮しているのだろう。あるときを境にドッと疲れと酔いが体中を巡ったに違いない。きっと明日は足の筋肉痛がひどく大変だろうな、とちょっと思った。家路につけたのだろうか。
27日
竹駒駅(8:00)…1.1km…延命寺(8:13)(8:26)…1.3km…正覚寺(8:47)(9:08)…0.6km…羽縄観音堂(9:13)(9:32)…7.8km…常光寺(11:24)(11:36)…川の駅よこた(11:47)(12:40)…3.1km…平栗福寿庵(13:32)(13:42)…7.0km…住田町役場(15:32)
計22.7km
参加者:
新川徳勝さん、竹野美紀子さん、大和田繁夫さん、工藤量導さん、絵美さん、吉水岳彦さん、福田 計7人
昨年までは、陸前矢作駅から歩いていたが、国道歩きを短縮しようと竹駒駅を起点とする。新川さん、大和田さんがすでに到着、その後ミキ店長が到着。
法螺貝の音でいざ出発。延命寺はすぐ左に入る。国道歩きがだいぶ短縮され楽だ。本堂左の床の間に観音様はいらっしゃる。端正な観音様である。また背景の涅槃図がよい雰囲気を醸し出している。気持ちよくお参りし、寺を後にする。すぐ隣にあり漏電が原因で、本堂庫裡が全焼した荘厳寺さんも本堂が落慶したそうだ。ひとまずめでたい。
次の道をまた左、正覚寺へ。法螺貝の音を聞きつけて奥様が出ていらっしゃった。本堂の中に入り御法楽。観音様は左の床の隅にある。はやく相対してお参りしたい。ご本尊阿弥陀如来の御前で法楽。
ご住職とお話しする。浄土寺に事務所がある、浄土宗の岩手災害復興局も5年を期に閉所となるという。ニコマルクッキー作りなどさまざまな事業を行っていらしたが、一区切りだ。おやせになったのがちょっと心配である。正覚寺の総代長さんが、交代にあたり本堂の畳変えと合わせて椅子、柱隠しをご寄付頂いたそうだ。浄土寺さんの法要はこちら正覚寺で行っている。檀家の方々の思いが寄せられ寺が整っていくのはうれしい。
昨年参加してくれた真子ちゃんから電話があり、羽縄観音堂に差し入れをもって来てくれるとのこと。一年ぶりの再会。ぐいぐい歩いていた姿を思い出した。今年は都合が付かず歩けないとのこと。アメとチョコをいただく。あまり話ができずに残念だ。羽縄観音堂は鍵がかかっている。前にあった別当家の家も無くなってしまった。これからお堂はどうなるのか心配だ。
国道を竹駒方面へ。途中の慰霊碑で心経一巻を捧げる。休めるよう設置されているコンテナはあるもの人影はない。「気仙三十三観音巡礼」幟を掲げて歩いているので、車で行き会う人も目を止めてくれる。中には頭を下げてくれる方もいらっしゃる。昨年、竹野さん、大和田さんに、道行く人に霊場をアピールするために幟を作成してはどうか、とのご提案を受けたのだが、作って良かったと思う。怪しげな集団が歩いていると不審がられないという点でもよい。この辺りもコンビニがだいぶ増えた。
竹駒駅を通過し、廻舘橋を渡り、気仙川右岸の林道を歩く。おばさんがあいさつをしてくれたが、住田での一日徒歩巡礼に参加してくれ方だそうだ。縁のある方が少しずつ増えているのは嬉しい限り。ポカポカ陽気の中、話をしながらゆったりと林道を歩く。
アフロの森さんが先週高知から来ていたそうだ。こちらに来る前の日の「朝日新聞」に被災地で活躍した森さんが、南海トラフ地震の対策のため故郷の高知に戻ったことが記されていた。一旦国道に出てから気仙川沿いの堤防へ。この道はいつ来ても心地よい。新川さん先回りしては写真を撮ってくれる。
やがて横田の町に入り常光寺へ。なんと午前中に到着。観音堂にて法楽を捧げる。ご子息がいらっしゃったのでご挨拶。
みなで「川の駅よこた」にて昼食。お店は混雑しているので広いお座敷に机を出して休ませてもらう。昨年は混雑しだいぶ時間がかかったが、今年は早めだったので順調。あんかけラーメンやチャーシュー麺、カツ定食など。被災前の高田の街の写真が展示されているので、ひととおり見て歩く。レジのおばさんが以前、腕輪念珠を差し上げた方だそうで、「いつもこの時期にいらっしゃいますね。以前念珠を頂きました」とお声掛けいただく。いろいろ心惹かれる物があり、本当は購入して帰りたいものだ。
国道を少し歩いてから橋を渡って対岸へ。緩やかに登り緩やかに下る道を行く。畑が出てきたり、森になったり、太陽光発電パネルが斜面一面に敷き詰められたところあり。のんびりと歩く。平栗福寿庵をお参りした後、一旦国道に出てからまた橋を渡り、未舗装の林道へ、森の中に入っていく。
初回は暗くなってから世田米に到着し、町の灯りが嬉しかったが、快調に歩いているので、明るいうちに住田町役場に到着。
岳上人は明日ひとさじの会なので、夜行バスにて帰京せねばならない。途中帰るのは初めてなので名残惜しそうである。ここで解散。
工藤夫妻と私は、観光協会職員で今日お世話になる農家民宿「小田の上」の佐々木康行さんの車で、「一期舎」の紺野さん宅に連れて行っていただく。本来は今年も「一期舎」にてお世話になるはずであった。昨年は、ヤマメの刺身に岩魚の塩焼き、カボチャの煮物に、住田名物鳥ハラミ、鹿肉ステーキなど珍しいものをお父さんの爆裂トークと共に美味しく楽しく頂いた。「もちろん今年も」、と思っていた。
しかし…、先週、紺野さんからお電話をいただいた。「昨日、一期舎全焼いたしました。お受けできず申し訳ありません」という声が電話から聞こえてきた。言葉を失うとはまさにこの瞬間だった。紺野さん宅は家の形は残っているものの、近づくとまさに全焼。二階のハリも黒くすすけており、一階の昨年泊めていただいた部屋も黒こげになっている。立派な仏壇はなんとか形が残っている。今までの思い出も、農家民宿を発展させていこうという希望も数時間で消え失せてしまった火事。ほんとうに悲しい。
横にあった離れはかろうじて残り、そこでお二人が住まっている。警察の方がお帰りになるのと入れ替えに玄関に入る。おかあさんが「ああ、わざわざ来てくれて」と手を取る。こたつに入って話をしたが、気がついたときには火の手が二階の屋根にまで入っていたこと、ただ火が広がっていくのを見ているだけしかなかったこと、二階は桐の木を使っていたので火が大きかった割に床が抜けなかったことなどを話された。
電話を頂きすぐ手紙を書いた。心配していること、とても美味しかったこと、また泊まりたいこと…、とても励まされたと喜んでくれた。翌日には設計士の方が図面を引いてきてこの形で家を再建するぞと励ましてくれたという。
家の片付けをしていると、民宿を開くに当たっての書類一式、宿泊者名簿が出てきたそうだ。お母さんは、また泊まってくれたとき同じ料理を出してはいけないと、それぞれ何をお出ししたか書き留めておいたそうだ。細やかな心遣いが心にしみる。「今年も来てくれるというので何をだそうかとメニューをメモしておいたのに…。去年いた孫もちょうど来ていたので、お坊さん達と一緒に歩くか聞いたら歩きたいというので楽しみにしていたんですよ」と。
ぜひ、来年はお孫さんとも歩きたい。再建までの道のりが遠いことは承知しているが、また、お母さんの料理に舌鼓を打ちながらお父さんと杯を酌み交わしたい。名残を惜しみつつ後にする。
佐々木さん宅に荷物を置いた後、五葉温泉へ。ゆったりとお湯につかり帰って夕食。薪ストーブが暖かい。お父さんの釣ってきたお魚の煮魚、おひたし、天ぷら、つみれ汁等美味しく頂く。「雪っこ」を一本飲んだだけでぐっと効き、眠くなった。
28日
世田米駅(8:00) …1.2km…向堂観音堂(8:20)(8:30)…0.9km…満蔵寺(8:45)(9:00)…5.8km…中清水観音・長桂寺(10:50)(11:20)…7.6km…城玖寺(13:40)(13:50)…0.5km…坂本堂(14:00) (14:22)…2.2km…上有住公民館
計18.2km
参加者:
新川徳勝さん、寺澤さん佐々木さんを初め大船渡歩こう会の方4名、福田 計6名
起床し出発準備。工藤夫妻はすぐ近くの小田上バス停6時50分発にて盛岡へ。昼過ぎには東京到着予定。お見送りをする。長男の公一さんが制作した観音様が成就院に納められていることをご存じなかったので、後日冊子をお送りしようと思う。
8時に世田米駅集合。佐々木さんに送っていただく。歩こう会の方々すでに到着していた。まず向堂観音堂へ。途中、新たになった住田町役場にてトイレを借りる。木造のシャレた庁舎、みなさん初めて訪れたそうで感心していらっしゃる。大きなホールに大木が3本天井まで伸びており、木の町住田をアピールしている。
バイパス脇の向堂観音堂はすぐ。「ここにお堂が有るのは知っていたけれど、ここが観音様とは知らなかった」と。
堂前にて法楽を捧げ、満蔵寺へ。来た道を引き返す。立派な山門をくぐり本堂前にてお参り。気仙大工の粋を凝らした建築にみなさん感嘆の声が。
町を抜け国道をただ歩く。ローソン前から国道から脇道に逸れると、「この道は国道から見て気になってはいたけれど歩いたことがない。新しい道を歩けて嬉しい」とおっしゃった。歩こう会の方々はさすが目の付け所が違う。
小一時間歩いたので休憩。寺澤さんからワッフルを頂く。カスタードがとろっとして美味しい。歩いてカロリーを消費しているものの、甘い物がとても美味しく感じられ食べてしまうので、結局トントンになるのだろう。
しばらくゆったり歩き国道へ。川口を右に折れ、有住方面へ進む。ダンプが結構通り歩きにくい。幟はためき今日も絶好の天気。道で会う人も挨拶をすると気持ちよく返してくれる。天風にて気仙川を渡り家が点在する旧道へ。
歩こう会の方々は、この道も初めてと再び感動してくれる。車通りもなくのんびりとあれこれお話しをしながら歩く。みなさん、一昨日は徒歩巡礼で23キロ、昨日は歩こう会の例会で平泉に行き10キロ、そしてこの日は18キロ。健脚である。
途中一休みして長桂寺へ。ご住職が待っていて下さる。本堂で法楽を捧げ、須弥壇の長桂寺の聖観音さまと中清水観音さまを間近く拝させていただく。庫裡にて温めていただいた缶コーヒーとお菓子を頂戴し、しばし歓談。みなさん「とってもいい道ね。今度歩こう会のコースに入れたい」とのこと。喜んでいただけて嬉しい。ひろびろと見える青空の下をゆるゆると進む。
12時の村内放送が聞こえたので、満開の梅林の下でお弁当を広げる。ピクニックに来ているよう。ここで新川さんと合流。歯医者にかかったため昼からの参加。農家民宿「小田の上」のお母さんに作っていただいたおにぎり3個とお新香を頂く。
歩こう会のメンバーの一人は、津波でご姉妹を亡くされたとのこと。あの日はちょうど金曜日、銀行でお金を下ろしたため、一度逃げたにもかかわらず取りに戻って津波に遭ってしまったそうだ。各所の遺体安置所を廻りひとつひとつご遺体の顔をあらためたが、その時怖いという思いはちっとも抱かなかったという。間もない頃のご遺体は、木製のお棺だったが、すぐに足りなくなり、毛布にくるまれるのみ、ブルーシートに包まれるのみとなる、ご遺体も遠く秋田などにて火葬されたそうだ。
「五年経ったら五年目の悲しみがある」という言葉はずっしり重く心に届いた。「毎日楽しいと思って生きているんですよ」という言葉もまた深い。
右手の山が近づいてくると眼鏡橋、国道に合流する。こちらも初めてだそうで喜んでいただける。眼鏡橋といっても片眼鏡アーチが一つのみ。灌漑のために作られた物。
脇の公園には弁慶の足跡の表示が。といってもどれがそれに当たるのか分からない。畑の中の巌なのか、水辺の岩なのか、あれこれと意見を言い合う。
道は世田米街道を行く。上有住中を左、気仙川沿いに別れる小径に入ると城玖寺はすぐ。杉木立の参道を登りご本堂へ。若奥様がいらっしゃる。扉を開けていただき御法楽。以前ご子息が修行にでる直前にお会いしたのを思い出しお話しすると、2年の行を終え、2日前に帰ってきたとのこと。ぜひ来年は参加して欲しいと思う。
すぐ先の坂本堂で今日の行程の終了。お堂の中で観音像、役行者像、神鏡、お稲荷様、大黒様などが渾然一体となった神仏習合の姿をご覧頂きすこし説明する。縁先でワッフルをいただく。残りの二つは別当家のお孫さんとお母さんに差し上げる。上有住公民館近まで歩き、みなさんとお別れする。最終日にまた参加いただけるとのこと。
私は新川さんの車で以前から気になっていた、住田高校近くの樺山三十三観音をお参りに行くが、よく分からなかった。ずっと荒れた林道を歩いてしまった。帰って調べると、荒れ果てた風呂屋の先の崖に聖観音像があると知った。再訪の要有り。
その後、「麺太」にて下ろしていただく。要害観音堂別当の熊谷さんに久々にお会いする。高台移転したお住まいの庭にお堂を建てることに決めたそうだ。いろいろ紆余曲折あったようだが、目が届く場所にあるのが一番良かろう。
5時頃、クラブツーリズムのお二人が、5時半に山伏の山本さんが合流。佐々木さんの運転で五葉温泉へ。佐々木さんは行き帰りの車内及び食事中のトークで、住田町の魅力について存分にアピールできた模様。夕食はポテサラ、じゃことほうれん草のおひたし、めかぶ、海鮮鍋など美味しく頂く。雪っこ一本でまた眠くなる。
29日
山脈地バス停(8:03)…小松峠入口(8:51)…小松峠(10:46)(10:55)…16.0km…国道合流点(11:53)…まるよし(13:20)(13:58)…舘下観音堂(14:14)(14:48)…0.6km…稲子沢観音(14:56)(15:18)…2.3km…長谷寺(15:51)(16:35)…2.4km…洞雲寺(17:22)(17:30)…2.3km…盛駅
計25.8km
参加者:
新川徳勝さん、クラブツーリズム岡山さん、船本さん、山田謙介さん、山本匠一郎さん、福田 計6名
朝食をもりもり食べいざ出発。山本さんは山伏装束。佐々木さんご家族と家の前で写真をぱちり。法螺貝の御接待。初めて聞く音に子供達は目をパチクリしていた。お父さんに山脈地バス停まで送っていただく。千葉修悦さん、山田さんがすでにいらっしゃる。山田さんは高田市の方、数日前に電話で申し込まれた。
千葉さんはあいかわらずの元気印である。声もでかく張りもあり圧倒的な存在感だ。
バナナとチーズの差し入れを頂く。郷土愛あふれる千葉さんは、「鏡岩」に山田さんをお連れしたいようだが、時間の都合上ご遠慮いただく。山田さんは、上有住郵便局にお勤めの期間があったそうで、上有住市街を通るとき、なつかしそうに各家を眺めていた。郵便局前では大きく腕を振っていた。
千葉さんに通る家々の方の様子を尋ねられていたが、当然代が変わった家も多い。自転車を引きながらの千葉さんの熱い解説を聞きながら小松に向かう。愛染山、五葉山、鏡岩、上有住の町について…。千葉さんは自転車の行けるところまでの参加である。
小松峠入口から林道に入りしばらく行くと、小広く開け畑があったと思われる場所がある。ここで山仕事に来ていた菅野正義さんと出会った。千葉さんともちろん顔なじみだ。
「どこへ行くの?」「小松峠へ」「旧道の方が距離も短く早いよ。一緒に行ってあげるよ」「じゃお願いします」。この何気ないやりとりが後の試練をもたらした。
いつもは突き当たりの「旧盛街道」の標柱を左に林道をうねうねと上っていく。以前から右に伸びる道に興味はあったが、あえて突っ込むことはしなかった。こちらが旧小松峠道なのだと初めて知る。
菅野さんが子供の頃はすぐの所に木の杭があったそうだ。峠越えをしてきた人がここで亡くなったという標である。お会いした所に以前は小屋があり、薪などがあったという。そこを目指して峠から下り、あと100メートルというところで息が絶えたそうだ。さらに進むともう一人はこの辺りかな、と言った。伝える人がいないと歴史はすぐに風化してしまう。
右手の山は牛がはむ牧草が育てられていたことや、地名にまつわるお話しなど興味深く聞かせていただいた。道幅は広く通るのに問題はない。やがて杉の倒木が道をふさぐようになる。春の湿雪により山が荒れたそうだ。菅野さんは腰に差す鉈やのこぎりで枝を払いながら進む。
道が二手に分かれた。右の道は倒木が多かろうということで、左の小沢沿いに斜面を登ることにする。ここで千葉さんとお別れ、いくらなんでもこの急斜面、自転車を担ぎながら登ることはできない。
さてここから道なき急斜面を立木の根本に足場を確保し、その上の立木へ手を伸ばし「エイ」と腕で全身をずりあげる、という行為を繰り返す。足場がよくないためいろいろな筋肉に力を入れ体勢を整えなくてはならず、息が上がる。まさに全身運動。登山の経験がある私は、沢登りをした際の詰めの藪漕ぎを思い起こし、岳人スイッチがカチリと入ったのを耳にする。なんだか楽しくなってくる。
尾根にようやくあがり休憩。しかしそこには踏み跡がない。みなさん疲労困憊の様子。果たして小松峠にたどり着けるのか…。
菅野さんは、向かいの尾根と自分たちの行く尾根の合流点が小松峠であることを伝える。小刻みなアップダウンを繰り返し進んでいく。やがて旧道らしきところに出る。左の急斜面を上がらず右の道をまっすぐ進めば良かったようだ。そこにあった土盛りは一里塚の跡だという。
休んでいるときにいろいろ山で暮らす智慧を教えてくれた。太陽に向かって立つと太陽の方向でおおよその時間が分かること。山にはいるときは必ず大きなおにぎりを3つ持って行き、一つは必ず家まで持ってくるようにすること。おにぎりの中身は梅干しにし、もしもの時は種をしゃぶれば一日持つこと。熊除けのため枝を拾い、辺りの木を叩きながら歩いた方が色々な音が出てよいこと。ラジオや鈴などの一定の音では熊の耳が慣れて効果が薄いこと。熊と出会ったときは、決して走って逃げたりせず、目を合わせたままゆっくり退くことなど。
ほどなく、観音さまシールを発見。やった、いつもの道に戻った。シールはとても役に立った。新川さんの法螺貝の音が聞こえてきた。山本さんも法螺で応答する。木々の中で法螺の音が交響する。小松峠小屋跡に到着。
結局旧道はどうだったのか。2キロ近く短く、時間も大してロスではなかった。でもだいぶ疲れた。菅野さんは25年ぶりの小松峠越えだそうだ。下りもだいぶ杉が倒れ歩きにくい。
ずんずん下って一番上の家に到着すると、佐藤忠清さんの奥様が差し入れの大福を持って待っていてくれる。家の方からも縁先でお茶のご接待いただく。甘さが身にしみる。ここまで菅野さんがつきあってくれた。これから山を登り返して上有住へ帰るのだ。登り返そうという、その気力がすごい。
ここから車道歩き。田代というこの地は稲子沢家が出たところだという。のどかな道を歩く。国道に出るとただひたすら進むのみ。日頃市駅当たりで道の向かいに車が止まると女性が下りてきて、「拝ませていただいていいですか」と聞かれる。500円ご接待を頂く。車で行き交う人の中には、黙礼をして通過される人もいる。
なかなか着かないのでじれ新川さんに尋ねるとあと15分くらいという。教えられたとおりに国道を左折し、岩手開発鉄道沿いの道を行き、木の橋を渡ると「まるよし」だ。ようやくここまで来た。時間はほぼ予定通り、不思議である。
サンマラーメンやチャーシュー麺など各自腹を満たす。普段はラーメンの汁は飲まないのだが、このときばかりは塩気がうまいっと飲んでしまった。水もがぶがぶ飲んでしまう。
舘下観音堂は15分程度。お堂に入り本日初めてのお勤め。お部屋で茶菓の接待を頂く。ここ久名畑で作っている「おひとつ」というおまんじゅうをいつもおいしくいただく。
亡くなったご当主妹さんが対応してくるのだが、おじいさんという方はなかなか厳しい方で、物心が付くと論語などの覚えさせられたという。学校に行きそれを改めて学び理解が進んだそうだ。理屈ではなくただ体に覚えさせるというのも教育の大切な方法のひとつである。
お礼を申し上げ稲子沢へ。立派な庭は梅が綺麗に咲いている。しだれ桜の季節はさぞ美しかろう。新たに成ったお堂の中に入り法楽。稲子沢家は中国との貿易に従事したことにより巨万の富を得たという話があると言うが実証されていないとのこと。
山田さんは足のまめがつぶれ、新川さんの救護車に。本当に伴走してくれる車の存在は有り難い。今回のように色々な方が参加なさる場合、欠かせないものだ。三陸道をくぐった辺りから盛川の河川敷を歩く。空が広く気持ちよい。大船渡高校の脇を通り長谷寺へ。
初日にお会いした船野さん、佐藤さんら9名もの方が待っていて下さる。「おつかれさま」と皆さん声を掛けて下さる。長野の会合と今回の徒歩巡礼で大船渡の方々との強くて太い絆が結ばれた。住職よりリポビタンD2箱ご接待。
収蔵庫にて平安時代作のご本尊十一面観音の御前で法楽。コンクリート造りで声がよく響く。ご詠歌もいい感じで聞こえた。お集まりいただいた方のなかの多くは、長谷寺の観音様を初めてお参りしたという。ぜひこの気仙の宝を多くの地元の方にお参りいただきたい。
その後、市役所の三浦部長と鈴木課長がお忙しい中おいで下さる。甚だ恐縮。「かもめのタマゴ」イチゴバージョンを頂戴する。みなさんにお見送りいただいて出発した。
盛の町に入る。歩こう会で参加された方のお店は、「街のクラブ」というシャレタ名前のお店だ。なべ焼きうどんとラーメンが名物と聞いた。なかなか盛で食事をすることはないが、機会を見つけて訪れたい。今晩の開店に向け買い出しに行っていたのかもしれない。新川さん宅に上げさせていただき茶菓の接待を受ける。ヨーグルトのR1、こくと香りがうまい。
そしていよいよラスト洞雲寺へ。竜宮門をくぐり観音堂前にて法楽。とりあえず無事終了。この日は風呂ナシと思っていたが、新川さんが大船渡温泉まで送ってくれるというので、よろこんでご接待を受ける。くたびれた体にお湯は身にしみる。
皆でタクシーに乗り「なかむら」へ。刺し盛り、ぷりぷり牡蛎のバター炒め、穴子の白焼きで十分満足。ばっけ味噌の焼きおにぎりも注文。クラブツーリズムの方々とも楽しくお話しする。「忘れられない巡礼になった」とおっしゃっていた。良い一日だった。
大船渡駅(8:07)…3.0km…田端観音堂(8:48)(8:58)…居場所ハウス(11:38)(12:10)……14.4km…熊野神社熊野堂(12:45)(12:55)…9.1km…小舘観音堂(15:32)(15:41)
計26.2km
参加者:
新川徳勝さん、山本匠一郎さん、福田 計3人
朝目覚めるとクラブツーリズムのお二人がいない。気配を消して家を出た模様。さすがプロの振る舞いだ。
我々はもう一泊するのだが、時間があるので各部屋の掃除をしておく。この日歩くのは3人のみ。ゆったりと出発。いつものローソンでおにぎりを購入。
大船渡駅に行くと最近完成したロータリーに新川さんの車が止まっている。港沿いの道を北上するのだが、いま工事の真っ最中。ダンプがバンバン行き交っている。仮設の歩道を辿り橋を渡り、対岸の太平洋セメント工場の方へ。大船渡もかさあげ工事は一段落。いよいよ防潮堤や周辺部の工事に重点が移った模様。通勤の時間とも重なり、車も多い。ほこりの中を黙々と歩くしかない。
陸前赤崎駅周辺は高台造成の真っ盛り。山を切り崩し土地のかさあげを行っている。辺りの雰囲気ががらっと変わってしまった。観音堂の向かいは屋敷跡と杉林だったのだが、明るく切り開かれ平らに整地された。駅の辺りの高台には瀟洒な住宅が建っており、変化に驚く。
田端観音堂でお参り。来た道を引き返すのもダンプと埃がツライ。海沿いの道は工事と魚市場のダンプが多いと思い、国道を歩くことにする。ここも交通量が多くつらい。この日はダンプと埃にツライという言葉を何度も吐くことになる。
お魚センターでトイレ休憩。そして東海新報社にご挨拶。上野さんがいらっしゃり再会を喜ぶ。10日ほど前に徒歩巡礼の記事を載せていただいたようで、何人かから「ああお参りはもう始まっているんだ」と言われる。募集も含めお世話になっている。
国道を別れ広田半島方面、細浦へ。ここもダンプ多し。この日のお昼は、道程から少し外れるだけなので、末崎町「居場所ハウス」で取ることにする。
「居場所ハウス」という名称には、「震災を生き延びた高齢者を勇気づけ、地域の復興の過程で頼りにされる存在として、多様な世代の人々をつなげる役割を担って欲しいという願いが込められて」いるという。
建設資金は、アメリカの空調設備関連の企業である「ハネウェル社」の社員の方々からの募金からまかなわれた。建物は陸前高田市気仙町の築約60年の古民家を北海道大学建築計画学研究室の協力を得て、移築・再生したものである。
花を育てるのが得意な方は花の世話を、料理が得意な人は料理を、みなさんそれぞれが持つ得意分野を生かして「居場所」を作っていこうという素晴らしい試みだ。
私たちは暖かなお昼ご飯を食べようと訪れた。古民家には畳のスペース、椅子のスペース、厨房、トイレが機能的に並び、イベントにも活用できるし、リラックススペースもあると楽しめる空間となっていた。10人ほどの方が集っていらした。
3人ともチャーハンを頼む。500円也。おにぎり続きなので特に美味しく頂く。そば、うどん、中華丼、玉子丼などいろいろメニュー有り。山伏と僧侶が突然訪れたので、みなさま興味を持たれた模様。気仙三十三観音霊場のことや徒歩巡礼のことなどお話しする。
生活支援員の山口睦夫さんとお話しする。津波で親を亡くした子供達が生活するレインボーハウスにサンタとしてお菓子を届ける活動を続けているそうだ。どのような協力ができるのか帰って検討したい。帰るとき法螺貝の音を聞かせて欲しいと言われる。山本さん、新川さんのコラボで法螺をたてると皆さん外に出て聞いてくれた。会へのご寄付を頂いた。ありがたい。
道を進み末崎中、そこを右に曲がるとなじみのある末崎小前に至る。ここからは知ったる道である。右手に海を見ながら緩やかな上り下りを繰り返すと熊野神社。三面椿が美しい。
お参りの後、麟祥寺さまへご挨拶。最近行事を終えると直帰ということが続き、三日市や麟祥寺さまでお念仏を教えていただいたおばあさんたちにお会いする機会がない。今度是非機会を作りたい。ご住職と人々にお会いする。いつお会いしても静かで丁寧な方だ。再訪を約し失礼する。
これから少し戻り門の浜をぐるりと回る。この辺りも防潮堤を壊し再建する過程であり、たいへんダンプが多い。海から一旦登り返し下ってまた登り返し。疲れている足にはきついところだが、この日は快調。
陸前高田市との境から左に折れる道を新川さんから提案いただいたが、こちらも防潮堤工事で通行止め。次年度検討に値するルートだ。道をさらに進み、大野湾にあるサンクスにて休憩。以前あったところは堤防ができたためこちらに移転した模様。
徐々に空が暗くなってきた。広田小の脇を通り小館観音堂へ。途中「東海新報」の記者佐藤さんより取材を受ける。明日の朝刊に載れば、心を掛けてくれる人がいるかもしれないとのご配慮である。
巌の上に建つ観音堂をお参りしているとぽつぽつ雨が落ちてくる。最後のお参りをして、金剛寺の奥様のご実家へ。一昨年、観音堂の上までなべやきをお持ちいただいたおじいさんがお亡くなりになったという。昨年仙台の病院に移ると聞いていたが残念だ。お参りさせていただく。おばあさんは大歓迎をしてくれた。ほや刺しを作り、おこわを蒸し、味噌汁とご飯を用意し、最後は巨大ななべやきだ。おいしく頂きお腹いっぱい。心づくしのおもてなしに感激した。
おばあさんの額の傷は一歳のとき三陸を襲った津波によって出来たものだそうだ。母親を亡くし大変な御苦労をして今日まで頑張って来られた。
「おじいさんも優しい人だったし、子供にも恵まれたから…。悪いこともあれば良いこともあると思って生活している」。優しい言葉で私たちを諭すようにお話し下さった。すっかり長居をしてしまった。また来年お会いしたい。元気で過ごして欲しい。
帰りは大船渡温泉で下ろしてもらう。ゆったり風呂につかって「天使の森」へ。森さんと歓談の後、就寝。
31日
小友駅(8:01)…1.5km…田束観音堂(8:21)(8:42)…2.8km…常膳寺(9:36)(9:53)…4.5km…立山観音堂(11:05)(11:18)…マイヤ(11:32)(12:03)…3.4km…普門寺(12:42)(13:13)…2.4km…氷上本地堂(13:46)(13:58)…2.2km…坂口観音堂(14:29)(14:54)…0.4km…浄土寺(15:06)(15:28)…陸前高田駅
計20.5km ≪総計142.3km≫
参加者:
新川徳勝さん、岸浩子さん、鈴木菊男さん、川村浩子さん、平山睦子さん、皆川さん、松沢さん、寺崎さん、佐々木さんを初めとする大船渡歩こう会の方5名、山本匠一郞さん、福田 計14名
いよいよ結願の日を迎える。今年は、小館観音堂出発でなく、小友駅集合なので5キロ短縮された。スムーズに行動できるだろう。コンビニで「東海新報」購入。おお、徒歩巡礼の記事が掲載されている。
小友駅に集合するとみなさん集まっていらっしゃる。岸さんは小友駅近くの方、川村さんは高田出身で花巻にお住まいの方、鈴木さんは、高田出身で埼玉在住の方、チラシや観光物産協会HPなどでこの巡礼を知り参加された。大中仮設に住んでいた平山さん、松沢さん、皆川さんはおなじみ。巡礼の輪が広がっていくのが嬉しい。
善性寺・田束観音堂へ。20分ほどで到着。ここが霊場の中で一番の難所。善性寺本堂裏から墓地を通り杉林の中を急登の後、山の上に建つお堂に向かう。みなさんハーハー息を上げながら登ってくる。杉林が切り開かれた明るい空間に建つお堂はとても趣深い。
お堂前で法楽。ゆっくり下ってトイレへ。もと来た道を戻り小友小へ。この辺りは左と右両方から津波がぶつかったという場所。左手には防潮堤が出来どんどん工事が進んでいる。
BRTの踏切の所に、小松峠を共に歩いた山田さんがいらっしゃる。この辺りにお住まいなので、私たちを引率するためわざわざ来て下さった。足裏の豆の具合も良いようだ。ありがたい。
「こっちが近道だ」と小友小を左に曲がり、うねうねと坂を登ると常膳寺。この辺りも砂金が採れた所だという。平泉の黄金文化を創り出したのは気仙の金、各所でとれたのだろう。常膳寺の参道も緩やかな登りでかつ長い。境内に入るとさらに階段が。みなさん結構堪えている。
姥杉の大木を初めて見る人は感嘆の声をあげた。岩手県内では三陸大王杉に次ぐ太さだそうだ。ただし大王杉は樹医に見てもらうほど弱っているので、この姥杉の勢いは大変価値があるという。この本堂は元禄9年(1696年)の再建、気仙で一番古い木造建築。地元でも知らないことばかりだとみなさん感心していらっしゃった。
辺りは梅の花盛り。馥郁たる香りが漂っている。この辺りを上の坊という。歩いていく途次には西の坊という地名もあり、もともと常膳寺に住む僧侶や山伏の住居があったに違いない。裏の山は箱根山であり、修験者が集まる場所であったろう。
気仙三観音の一つ常膳寺は坂上田村麻呂伝説があるお寺。蝦夷の早虎という悪党が田村麻呂に成敗され、その屍を葬るため十一面観音を祀ったという伝説が伝わる。裏山は早虎岩が、近くにある「岩井沢」という地名は、勝利を祝った場所だという。早虎という存在がずっと昔に確かにここに居たという痕跡が今なお残っているのだ。
脇を通る秋葉神社には古墳がある。こんもりと小高く盛られた土まんじゅうの上に小さな社が建っている。他にも山田さんに指摘をされると古墳のようなものが散在している。いろいろな歴史を秘めた特別な場所なのだろう。
肝入をしていたという紺野さん宅でご接待。山田さんがわざわざ手配してくれた。納屋にある椅子に腰掛けお茶を頂く。母屋をあえて西向きに建てなかったのは、南の海側に木を植え、敵から家の存在を隠すためという。そこに立ってお話しを伺うとこつんと心に落ちる。いろいろご説明を頂いた。みなさん、解説付きのお参りに大感激であった。
この辺りもうっそうとした杉林が切り開かれ明るい住宅地に成っている。風景がどんどん変わっていく。立山観音堂跡地付近もリンゴ畑が住宅地に変わっていた。お堂跡地にあるお地蔵様に読経する。
さてマイヤで昼食だ。お店内の飲食スペースにて昼食。松沢さんがおにぎりをたくさん作ってくれた。有り難く頂戴する。そして、昨日頂いた大きななべ焼きを皆さんにお配りする。みなさん、共にお参りをしている仲間であるという柔らかな紐帯を感じ、初対面の方ともなごやかにお話ししている。
アップルロードをくぐり普門寺へ向かう。米崎保育園の脇を通り、米崎小をかすめ高田病院へ。車通りの多い道を進む。これでも高速道路が開通後かなり交通量は減ったのだ。
普門寺到着。大木の杉が並ぶ参道を行く。地元の方も奥まで車で入ってしまうので、参道をずっと歩くということはまずない。復興事業として作られている五百羅漢もだいぶできたようだ。様々な顔の羅漢さんがここそこに立っている。秋には開眼法要と聞いた。善光寺の親子地蔵や三重塔などを見て観音堂前にて御法楽。普門寺の奥様から「東海新報」を読んだ方からの御接待ということでご芳志を頂戴した。わざわざ足を運んでいただき有り難い。
岸さんからの提案で、裏の墓地にある身元不明者のお墓をお参りする。普門寺の檀家だそうだが、身元が分からず住職以外にお参りされないのが忍びないとおっしゃった。
皆で心経一巻を捧げる。石板には「矢作小No□」と安置された場所と番号が記される。5年が経った今でもご遺骨の身元が分かったとの報道があった。家族のもとに帰れるよう祈りたい。
前の道を地形の通りに上り下をしながら前に進む。左に折れると氷上神社。お参りが終わると寺崎さんから米崎リンゴのご接待。香りたつりんごおいしくいただく。今年の巡礼はたくさんの方からお茶やお菓子のご接待をいただいた。
晴れ晴れとした空のもと、光照寺へと向かう。坂口観音堂の脇にあった消防団屯所跡の慰霊施設の前で心経一巻。大勢の若い消防団の方が亡くなったのだ。脇の坂を登って墓地に出て新築成った坂口観音堂へ。参加者の鈴木さんは高田高校時代、肝試しでこの坂を登って墓地を一周して帰ってくるということをしたそうだ。真っ暗なお墓はさぞ怖かったろう。
お堂の戸も開いており、高澤ご住職が来てくれた。読経後、お茶の御接待。ご子息が修行から帰られたそうだ。ぜひ来年は参加してもらいたい。
しばし歓談の後、坂を下り浄土寺へ。いよいよ結願だ。本堂に上がり御法楽。立派な阿弥陀様の前で成満のご報告。6日間はるばる歩いたものだ。
みなさん、来年も参加してくれるとのこと、再会を約してお別れする。車で陸前高田駅に連れて行っていただくが、1時間ほど待たねばならない。山本さんは陸前高田市コミュニティホールにて部屋を借り、山伏の衣体を変える。その間私は、陸前高田観光物産協会にご挨拶。大坂さんがいらっしゃらず残念。
するとなんと新川さんが一ノ関まで車で送ってくれるという。渡りに舟とはこのこと、有り難く運転のご接待を受ける。新川さんからさらにシュークリームのご接待。ドラゴンレール大船渡線という名称は龍のように線路が大きく蛇行していることから付けられた。車で峠越えの私たちは、ショートカットしているため、千厩で乗車予定の気動車を追い越した。一ノ関にて名物のソースカツ丼を食べ、一路東京へ。
家に帰ると日焼けして清原のようだといわれる。来年はさらに工夫をして、大勢の方をお迎えできるようにしたい。