活動が始まった当初は、ひとたび気仙に行けば、霊場の調査や各所への挨拶、仮設住宅の集会所でのお茶っこの会や子供会などなど、もりだくさんの内容であった。しかし、大震災から5年が経ち、我々の活動も一定の枠組みが出来た今は、行事を終えるとすぐに帰京というかたちになった。
今回は、立山観音堂落慶法要についての打ち合わせ、大中仮設でのにぎり仏ワークショップを柱として、お世話になった方々を訪問しもう一度ご縁を結び直す、そんな4日間にしようと考えた。内容盛りだくさんである。みなさん、温かく我々をお迎えいただきいろいろお話しを伺うことが出来た。観音さまからいただいたご縁のありがたさをしみじみ味わった気仙行きであった。
君島さんには、お忙しいところ、にぎり仏ワークショップの講師としておいで頂いた。これまた有り難いご縁を頂いた。お礼を申し上げたい。
8/2
上野(8:02)…一ノ関(10:12)…ニコニコレンタカー一ノ関花泉店…(10:30)(11:00)……やはぎ食堂…圓城寺訪問……本堂建設中の金剛寺訪問…陸前高田観光物産協会挨拶…陸前高田コミュニティーホールの下見……建設中の立山観音堂を訪れる…普門寺訪問打ち合わせ…大船渡温泉…なかむらで食事…竹野邸(泊)
この日は各所で雷雨。一部電車も止まったとのこと。君島さんもすごい雷鳴で目が覚め、停電になったそうだ。梅雨明けが遅れ、水不足が叫ばれている。そして雷雨、どうも不順な天候続きである。
君島さん乗っている電車が止まってしまったそうだがなんとか新幹線に間に合った。君島さんは宗教学の見地から仏像を研究されている方。新幹線の中では、仏像の造形が社会の求めによって変化していき、また新たな仏像が造形されることによって新たな信仰が生まれるというように、仏像を社会との関わりによって動的にとらえるという視点で研究をなさっているということを伺った。バブル期に作られた観音像が新たな物語を上書きされ、新たな意味づけがなされるなどなど。あっという間に一ノ関へ。
今回はニコニコレンタカーを初めて利用する。自動車整備工場やガソリンスタンドなど既存の施設を使うため割安なのだと聞いた。駅に迎えに来てくれる。車で20分の花泉店へ。そしてトヨタビッツを借り気仙へ。車での気仙入りは久しぶりだ。
今泉街道を笹の田峠ループ橋経由で陸前高田市矢作町へ。まずは昼飯、やはぎ食堂へ。私は焼き魚定食、君島さんはミックスフライ定食、焼きたてのほっけをワシワシ食べる。旅に出るとどうもたくさん食べてしまう。
すぐ近くの圓城寺さまへ。娘さんが普山され住職につかれたとのこと。おめでたいことだ。ご本尊をお参りをさせていただいた後、隣室にて立山観音堂のご本尊となる「あゆみ観音」を拝する。
立山観音堂の落慶法要が8月28日に決まった。2年ほどお預かりいただいたが、ここでようやく落ち着くべき所に落ち着く。榊原ご住職は、「あゆみ観音」に愛着がおありで、「娘を嫁に出すのはしかたありません」とおっしゃっていた。
君島さんにまだお預け中の金剛寺のご本尊如意輪観音さまを拝していただく。その横にはなんと一番泉増寺のご本尊が預けられていた。以前ご本尊が納められている金庫の鍵が津波でなくなり、開けるに開けられないとのお話しを伺っていたのでびっくり。厳重に箱に入っているので、写真を拝見するのみ。東北歴史博物館の方が言うには、室町期に鋳像されたものではないかとのこと。鋳像だということは都から僧侶がもってきたものなのかどうか。興味は尽きない。
住職が毎月護摩を焚いているという、圓城寺別院「閑董院宥健尊師堂」を初めて拝する。車で数分。
閑董院さまは戦国時代の真言僧。讃岐に生まれ、高野山で修行し、奥州路に入り衆生を済度しようと発願、気仙の金剛寺第十七世となり観音寺を創建した。元和元年(1619)、悪疫が流行し人々は塗炭の苦しみとなったが、民衆の身代わりとなろうという誓願を立て白糸の滝上にある洞窟で入定した。
明治20年、信者の喜捨により気仙大工の粋を凝らした祖師堂が再建された。坂を上っていくと突然現れるお堂は、彫刻に飾られた立派なものである。またひとつ気仙の宝物を発見した。裏の八角形の建物の下には、閑董院さまの塚があるという。
それから金剛寺へ。電話で連絡をしたがご住職とはうまく会うことが出来なかった。ご本堂の高台造成が終わり、本堂工事が着工されたと伺った。ただいま基礎工事が始まったところ、すぐ隣にはご住職のご自宅が、周囲には何軒か住居が建っている。東京では当たり前だが、こちらではちよっと不思議な風景だ。
ただいま解体中の希望の架け橋を横目に、陸前高田観光物産協会に向かう。ちょうど大坂さんがいらっしゃり再会を喜ぶ。8月に来たことはあまりないのでびっくりしていらっしゃる。10月の行事を高田で行うことを申し上げると、情報発信をしていただけるとのこと。本当に好意的に受け止めていただきありがたい。すぐそばの陸前高田コミュニティーホールへ会場下見に行く。ご詠歌をお唱えするときは、会議用机に鈴と鉦を置いてお唱えいただくしかないことを確認する。
そして、完成間近の立山観音堂を訪ねる。アップルロードに入り、スーパーマイヤを過ぎ、カフェクローバー向かいの道を上っていくと、綺麗なお堂が目に入る。
この場所は「西風道」と書いて「ならいみち」と読む。眼下に海が広がる眺めの良い場所だ。お堂は内陣と畳が6畳。素人眼に見ても良い木を使っている。脇にある桜が満開になったら本当きれいだろうと思う。よくこのようなすばらしい場所を見つけられたものだ。
別当家の大和田さんをお尋ねする。さらに一段上に建てた日当たり良い広い家。おばあさんがいらっしゃりケーキを頂く。初めてお会いするが丁寧でキリッとした方だ。お堂完成のお祝いを申し上げた。これから落慶法要の打ち合わせで普門寺に向かうことをお伝えする。
約束の3時半に普門寺へ。庫裡にてご住職と打ち合わせ。あゆみ観音のご遷座と法要については普門寺ご住職にお任せすることとなった。
私は、「般若心経」と「観音経」の部分のみ一緒にお唱えすることになる。落慶法要は、大和田家に連なる方、あゆみ観音製作に関わった方、お堂建立に関わった方など関係諸氏をお迎えし、こじんまりと行いたいとの意向である。
その後、一ノ関動物園のすばらしさやら永平寺での修行時のエピソードを楽しく伺ったが、ここに詳しくかけない内容もあるので省略。本堂内陣右の以前ご遺骨をお預かりしていた部屋が、寄付された観音像や仏画などをお祀りした東日本大震災の慰霊スペースとなっていることを伺い、住職の解説付きで拝ませていただく。一時間以上お話しいただき寺を後にする。
車はまず大船渡温泉へ。そして車を置き屋台村「なかむら」へ。汗を流した私たちは、さしみ、いかのふ焼き、かんぱちのカマ焼きで第一夜を堪能したのだった。やはり一度は「なかむら」に来なくてはもったいない。
8/3
竹野邸…丸清食堂にて朝食…下船渡公民館にて観音様お参り…大中仮設にて握り仏作成…天使の森にて昼食…金剛寺訪問……三日市のお念仏のおばあちゃん宅訪問…大船渡温泉…盛町・街のクラブ食堂
5時より1時間港の辺りを走る。ルート・イン大船渡というホテルが建っており、その前には巨大なスーパー・マイヤとホームセンター・ホーマックができあがっている。それにも増して驚いたのは、BRT大船渡駅向こうのかさあげ。以前は荒れ地が広がり草がぼうぼうと生えていた。道の両側には地盤沈下し水が湧いてきてしまうため路肩を守るための大きな土嚢が両側に埋められていた。それらは風景は土の中に埋められ、ずっと以前から綺麗な道路がそこにあったかのようである。記憶との現実とのギャップ、不思議な感覚だ。周囲をきょろきょろと見ながらおよそ1時間のジョギングを楽しむ。
7時半、新たに成った魚市場の食堂を目指すがあいにくの定休日、市場の食堂「丸清食堂」に行く。大勢の市場関係者がご飯を食べている。日替わり定食は、アジの南蛮漬け、大根のアラ煮、鰹刺し、アラ汁がついて650円、うまい、安い。周囲の方を見ると、天ぷら蕎麦にご飯、ラーメンにライスなど。麺類とご飯の組み合わせ多し。そうすると生卵と納豆がバッと配られる。みなさんガッツリ2杯は食べるのだろう。大中へは10時にうかがうことになっているのでまだ早い。
国道を走っていると下船渡公民館に灯りが付いているのが見えた。ここは一昨年のサンマチの下船渡コースで子供たちとの交流を行った場所。それに吉水さんが参加していたのだった。
公民館2階の広間には、立派な観音様がご安置されているとのこと。この日は、一階の部屋が選挙の投票会場になっていたので、たまたま扉が開いていたのだ。係の人にお願いすると快くお参りをお認め頂いた。
2階に上がると、広間の正面中央に観音像が、左には講の写真が飾られている。着物を着たお母さんたちが写っているが、昭和の初めなのだろうか。でも、公民館に観音様が堂々とお祀りされ、講が営まれているというのは、驚きである。信心深い地域がらなのだろう。観音信仰が地元の方の中に息づき溶け込んでいるということはすばらしい。君島さんは興奮気味だ。
いよいよ、大中仮設の集会所へ。通い始めたころは、集会所いっぱいの人であったが、今回は支援員さんを含めて8名の参加。あくまで仮の宿りであり、人が減っていくのは喜ばしいことではあるが、少し寂しくもある。これまた不思議な感情である。130戸あったのだがすでに30戸を切ったと聞いた。駐車場にも車は数台あるのみでがらんとしている。来月には近くの災害公営住宅が出来るのでさらにぐっと減るという。この12月にはすべてを取り壊し、中学生に校庭をお返しすることになる。被災地もひとつの区切りを迎えようとしている。
ワークショップは、ます君島さんから飛鳥時代から現代までの仏像の歴史を10分程度で写真を見ながら解説を受ける。
それぞれの前にある紙皿にはラップでくるまれたパウンドケーキに見まがうような固まりがある。それと楊枝とへら。茶色の固まりは木の粉をベースとした粘土、思わず食べそうになった。鼻を近づけると木の良い香りがした。
まず紙に願い事を記し、ようじを芯にしてくるくると丸める。「家内安全」「身体健全」など、私は「気仙三十三観音興隆」と記した。そして粘土を手でつぶし平らにし、お願い事を記した紙を芯にして仏さまへと造形していく。
親指と人差し指でぐっと握ると顔の部分と胴の部分ができる。耳を付ける人手を付ける人、楊枝で模様を入れる人。顔を描いてできあがり。隣の人の工夫をあれこれ批評しながら少しずつ仏さまらしくなっていく。みなさん、それぞれの個性がある仏さまを1時間程度で完成させる。
その後、全員でお経をお唱えし願い事の成就を祈る。仏像の製作とは祈ることで完成するというのは、さすが君島さん。終了後、お新香やおいなりなどを頂く。みなさんと歓談して解散。今度の10月には仮設にお祀りしている「邂逅観音」を川原住宅の集会所に移すためお参りに来ることになっている。それがこの仮設に来る最後となる。みなさんに見送られ屋台村「天使の森」へ。
森さんが待っていてくれる。二度送ったプレミア焼酎も完売とのこと、もう一度見繕って送る約束をする。屋台村も移設店舗ができ次第閉鎖とのこと。あとどれくらい営業できるかはよく分からないそうだ。君島さんはラーメン、私たちは富士宮やきそば。もちもちしていてうまい。
昨日金剛寺さんと行き違ってしまったので、再度訪れることとする。今泉はかさあげの真っ最中で道路が付け替えられ走りにくい。新居をお訪ねする。本堂が完成し落慶法要を迎えるまでは、まだまだ御苦労がつづく。不動堂のご本尊を拝観させていただくことになり移動。参道に横たわる石造りのお地蔵様は頭と手が補修されているが、これはご住職が河原で石を拾い、削りだして製作したとのこと。なんでも器用に作られるご住職。不動堂の中にあった御朱印用紙の木箱もお手製だ。
厨子前にある香呂や花立てをどかして棚に上ると御厨子の戸を開けてくれる。するとその向こうに小さなお厨子があり、その戸を開けると小さなお不動様、矜羯羅童子と制吒迦童子像が見えた。お護摩の煙で煤けて真っ黒だ。懐中電灯で照らして拝ませていただく。精巧な造りの仏像だ。君島さんの見立てでは、江戸初期が中期の作、かなりの腕を持った仏師であるとのこと。光背に特徴があるため帰ってから調べてみたいとのことであった。直接拝むことの出来ないお不動様を眼にすることの出来た幸せ。でも写真を撮らせて欲しいとは言い出せなかった。お礼を申し上げ三日市へ。
海縁の道は工事中で迂回しなくてはならない。ぐるりと回って久々の三日市。ちょうどおばあさん在宅。最近こないねとみんなで話をしていたとか。みなさんご活躍とのこと。牡蛎が始まると忙しさを極めるそうだ。事前に知らせてくれれば集まることが出来ると聞いた。わかめの芯の煮物やとうもろこしをご馳走になる。お菓子も頂きいざ大船渡温泉へ。
海を見ながらのんびり入浴し、車を家に止めてから、BRTで盛へ。遅れていたのでたまたま乗ることが出来た。6時前に「街のクラブ」に到着。
春の徒歩巡礼で「大船渡歩こう会」の方々に3日間も参加いただいたが、その中の一人が「街のクラブ」を一人で切り盛りする松野さん。御年88歳。巡礼の時は3時まで仕事をしており行くのはやめようと思ったものの、朝起きたら行きたくてたまらなくなり参加したと伺った。
お店は、盛の踏切のところにあると聞いたので場所はチェック済みである。盛の街が盛んなりし頃、カフェーがいくつもでき、その中の一つがこの「街のクラブ」であるらしい。後で聞いたが、総合商業施設・サンリアの場所には以前病院が建っており、前には映画館がいくつもあったという。その裏にあるこの「街のクラブ」、たいそう流行ったのだろう。寺澤さんは若い頃は親から行ってはいけないと言われたとのこと。カフェーの様子は知らないという。いろいろな歴史が堆積している場所なのだ。
外見は木造モルタル二階建てでちょっとくたびれた感じだが、中にはいると装飾が凝っている。天井板には馬の絵が描かれていたり、床柱もしゃれている。
特筆すべきはカウンターが畳敷きで座布団と座椅子があること。これは初めて見た。文化財に指定したいような渋さである。小上がりで皆さんを待つ。5人も参加してくれる。
初めは乾杯の練習、誰かが付く度にまた乾杯。寺島さんがとりたてのトウモロコシを茹でて持参いただく。これが甘くてうまい。止まらない。君島さんは3本は食べたようだ。枝豆を頂き、きりこみ(塩から)、茹でたぜんまい、締めは冷やし中華だ。
みなさん、徒歩巡礼はとても楽しかったと喜んでいただいた。いつも長い距離歩いているけれどお参りしながら歩くのは良かった。今まで知らなかったことを知ることが出来たとのこと。ビールをさんざん飲んだ後に酔仙の純米冷酒をぐびりといく。いや楽しいひとときだった。なんとごちそうになってしまった。たくさん飲んで申し訳なかった。
帰りは盛から歩いて帰る、40分ほど。腹ごなしにちょうどよかった。来年の徒歩巡礼には是非参加していただきたい。
8/4
竹野邸…大船渡魚市場堂にて朝食…大船渡観光物産協会訪問…新川さん宅訪問…世田米「よりあいカフェしょうわばし」訪問…住田町観光協会訪問…「一期舎」お見舞い…麺太(12:30)(昼食)…樺山三十三観音……五葉舎訪問……小松峠旧道下見…五葉温泉……船野さん宅にて夕食
7時半に魚市場の食堂へ。焼き魚定食を食べる。650円。天ぷら、いかの酢味噌和えも付く。さらにご飯、サラダ、スープ、煮物、漬け物が食べ放題という大サービス。なんとカレーもあった。ご飯3杯はいけそうだ。カレーに行きたかったが、食べ過ぎなので我慢、我慢。気仙の魚はうまい。満足して一日がスタート。
まず大船渡観光物産協会を訪問。長野市との水産物を通しての経済交流、各地のさんま祭り、そしてサンマ焼き士認定と大船渡の水産業が勢いづいており、観光物産協会もおおいそがしい様子。上り調子の様が金野事務局長から伝わってくる。船野さん宅での再会を約しお別れする。
そして、いつも行事に参加くださるるばかりでなく、徒歩巡礼の際にサポートカーを出していただいている新川さん宅へ向かう。
ちょうど、前の道路の掃き掃除をしているところだった。歩こう会の寺島さんが、裏の公園と前の道をいつも掃除してくれているのに、徒歩巡礼でご一緒してから気がついたと言っていた。陰徳を積んでいる方である。
家に上がり「鴎の卵」を頂く。昨晩の「街のクラブ」にもお誘いしたが、ちょうど七夕まつりの準備で毎晩9時すぎまで忙しいとのこと。家を後に公民館にて作成している山車の装飾を見せていただいた。山車を飾る絵を毎年描いているとのこと。
パーツパーツに別れているが、過去の写真を見せていただき、その壮大な山車の飾りに感激。これなら確かに一月前から準備をしなくては間に合わない。
新川さんは「棟梁」として中核をなしているとか。蝋引きをするための器具は新川さんの手製である。図柄も浄土寺の本堂幕の龍を書き起こして彩色すると聞いた。地域の力と知恵を集結して祭りが形造られているのだ。夕方、灯りが入るとしても綺麗だろう。とても貴重なものを見せていただいた。
ここで君島さんとはお別れ。青春十八きっぷを使って各駅停車で東京へ向かう。12時間ほどかかるそうだ。
この日は住田町へ。まず世田米の「よりあいカフェしょうわばし」へ。日中一人で暮らしがちな高齢者らの居場所を作り交流を深めようという目的で作られた施設である。昨年の六月オープン。世田米の商店街の中の古民家を改築し、カフェやレストランも併設している。なかなかオシャレなたたずまいである。あいにくこの日カフェは職員研修でお休みであったが、立派なお宅の隅々まで見学した。
お茶を買ってちょっとまったりする。ここで写経と法話が出来ないかと考えたが、机が30人かけるほどないのではないかということになる。町役場内のホールを使うのが良いか。
そして、役場内にいる観光協会佐々木康行さんを訪ねる。3月の徒歩巡礼では、農家民宿のお宿としてお世話になった。「すみっこ」購入。
その後、「一期や」の紺野さん訪問。火事で母屋を焼いてしまったが、玄関のみ被害が少ないからか残してあった。再建に向け大工さんに頼んでいるが、仕事が忙しくなかなか工事に着手できないとのことであった。お母さんは遠野へおでかけで会えず。再建への道のりはまだまだ遠そうだ。
数年ぶりに「麺太」に伺う。お昼どきなので後から後からお客さんがやってくる。
熊谷さんご夫妻と少しお話し。今は、再建するお堂の材料を製材し乾燥させているところだとか。再建された自宅脇にお堂を建てると伺った。要害観音堂と金剛寺本堂が再建されると気仙三十三観音霊場のお堂がすべてそろう。
私は、博多風濃厚豚骨ラーメン、岳上人は辛いラーメン、汗だくで食べている。餃子をサービスで頂く。
千葉さんから電話をいただく。樺山三十三観音は、林道に入って右手の斜面にかかる鉄ばしごを登った上の岩倉にあるとのこと。
いざ、出発。右に注意をして歩くと、崩れた斜面に土に埋もれ壊れた鉄ばしごを発見。上を見上げると岩倉が見える。
崩れた土の斜面をそっと上がるとコンクリの階段があり、朽ちた賽銭箱がある。ひと頃はだいぶ御参りがあったに違いない。
観音様のお姿が刻み込まれた石がたくさん据えられているが倒れてしまったものもある。綺麗にお姿が見られるものもある。このまま埋もれさせてしまうのは惜しい。どうにかならないものか。一日徒歩巡礼で大勢を連れてくるのは危険なことが分かる。
お参りした後そろりと慎重に下る。対岸の緑の中には、地元の方が奉納した聖観音様が見えた。
久々に五葉舎に向かう。佐々木公一さんご一家がいらっしゃる。圓城寺さんの護摩壇の鳥居の棒を彫っていた。子供たちもぐっと大きくなって頼もしい限り。椿の木で彫ったスプーンを頂戴し小松峠へ。
3月の徒歩巡礼で旧小松峠道を初めて歩いたが、途中から左の沢に入り急斜面を木につかまれながら登り、尾根筋を辿ったところ、旧道にある一里塚跡に出た。今回はその歩かなかった部分を踏査しようと、旧小松峠道を歩いた。
林道を辿り分岐を右に、杉林の道を行く。とりたてて困難な部分はない。3月は雪のため倒木がたくさんあったが今は取り除かれている。道は徐々に上っていき3月に旧道から別れた地点にすぐに付いた。さてここから草をかき分け登っていくが、ブルドーザーが付けた道がいくつも分かれており道形が薄くなっていく。さらに藪が密になっていき半袖できた私たちにはちよっと荷が重くなった。今回はここで撤退することにした。藪が枯れた時にまた来よう。
五葉温泉に立ち寄り汗をすっかり流して車を竹野邸に置き、BRTで盛へ。そこからタクシーで船野さんのお宅へ向かう。
船野さん、佐藤さん、金野さん、船野さんの奥様、佐藤さんの奥様、後から鈴木さん、鈴木さんの奥様とにぎやかに食事を頂く。かつおといかの刺身、茹でたいかげそ、鉢いっぱいのほや、マンボウ刺しを酢味噌で、冬瓜の煮物、ヤマメの揚げ物と豪華絢爛。
ほやは気仙で食べるに限る。東京で食べると、どうもつんと鼻に来る臭いがあるがこちらではワシワシいただける。そのままが旨味を味わえて良い。マンボウの刺身も初めての味わい。エンガワの食感に近いか。こりこりしていて味は濃厚、油分が強いのだろうか、酢味噌と相性バッチリ。ヤマメの揚げたものも美味い。3匹食べてしまう。最後におこわも頂きお腹いっぱい。
それにしても激しく盛り上がった。船野さんは一滴も酒を飲んでいないのだが、一番のんでいるかのような声であることや、金野さんは仕事同様ビールの飲み方も粘り腰であることや、鈴木さんが薄めの焼酎柿酢割で難しい話をしていたこと、また、岳上人が妙に熱く語っていたことを記憶している。ごちそうさまでした。
8/5
竹野邸……常光寺訪問……藤里毘沙門堂参拝…江刺郷土文化館野坂さんご挨拶…一ノ関博物館…ニコニコレンタカー一ノ関花泉店…亀の湯…酒蕎麦「こまつ」…一ノ関(19:30)…上野(21:55)
この日の朝も盛まで走ったが、中町の市が立つ日に当たり、みなさん道ばたにパラソルを張ったり、棚を出したりと出店準備をしていた。野菜やら煮干しやら苗やらいろいろな物を売るようだ。残念ながらサッと見ただけで帰る。
朝食は昨晩船野さんの奥様が持たせてくれた、おこわのおにぎりとヤマメの揚げ物。おいしくいただく。竹野文具さんに鍵を返却に伺い、常光寺さまへ。
秋の行事の講演会において、ご詠歌は常光寺様にお願いした。奥様は大震災以降お母様からご詠歌講を受け継いだそうで、講員さんが13名という。机や曲の選択についてはおまかせすることにした。以前徒歩巡礼の際にもご詠歌講の方々にお赤飯やお新香お菓子などをご接待いただいた。雨に打たれたときなのでしみじみとありがたく感じた。ご住職は近くの寺の彼岸会に。
まだ時間があるので、藤里毘沙門堂にお参りする。毘沙門天は、仏土を守護する四天王のうち多聞天のこと。
岩手に毘沙門天像が多い理由は北方鎮護という神格と同時に、「北天の化身」いわれた坂上田村麻呂との関連が大きい。田村麻呂は、陸奥で英雄となり、子孫は鎮守府・陸奥の国の高官となった。
藤里毘沙門堂の毘沙門天は、トチ材の一木造、顔を除いてナタ彫りであり、地天女像の手のひらに支えられた独特の姿で造形されている。 製作年代は西暦1,000年頃といわれ、田村麻呂の身長五尺八分(176cm)と同じであることから、田村麻呂の生き写しといわれている。事前に電話をし別当家の方に鍵を開けていただかなくてはならない。ゆっくりと毘沙門様を拝することができた。
そして、えさし郷土文化館へ。学芸員の野坂さんに秋の講演会の講師をお受けいただいたお礼を申し上げる。もちろん、稲子澤の観音様も拝ませてもらう。何度見ても100観音は壮観である。野坂さんの解説付きで展示品を見られるという幸せ。
お昼は江刺の町の食堂で焼き魚定食を食べ、一ノ関博物館へ。松川二十五菩薩像が特別展で拝せるので伺う。
二十五菩薩像は、極楽浄土から阿弥陀如来や観音菩薩などが死者を迎えにくる「来迎」の様子を立体的に描いた仏像で、全国的にも珍しいものである。
かすかに残る漆から、中尊寺金色堂の仏像と同じく金箔が施されていたことがわかっているが、残念ながら、完全な姿の仏像はない。都の仏師の作とされるこれらの仏像は、その見事な彫像から、完全体ならば国宝級とされている。 実際に見ると思ったより小さい。顔は無くなっているため痛々しく感じてしまう。こちらもゆっくりと拝見しレンタカーを返却に行く。
その後、一ノ関の銭湯・亀の湯にて汗を流し、居酒屋「こまつ」へ。鰹のしおたたき、かつおのはらす焼き、しいたけ焼き、焼きかきなどをつまみに、地酒をぐびり。気仙行きの良き締めくくりが出来た。帰りの新幹線はぐっすりと眠る。あっというまに上野に着いてしまった。