《第4回「気仙三十三観音徒歩巡礼」》
昨年の第3回徒歩巡礼は、大学生という参加枠を取り払い、対象を一般の方へと広げ、一日毎の参加申込みとした結果、多くの参加を得た。
今年は、さらにコースに大幅な手を入れ距離を短縮した。①復興のための工事が各所で行われ、多くのダンプが国道を行き交うため、国道歩きを極力無くした。②一日の始発と終着は駅を原則とし出入りを楽にした。③距離を大幅に削減し全日20キロ以内になるようにした。
結果、25日22名、26日13人、27日14人、28日20人、29日20人、30日27人という多くの参加者が集まったことは大きな喜びである。お参りしている同行としての柔らかな連帯感。日を重ねるに従ってみなさん和気藹々とした雰囲気になっていった。気仙の地に観音霊場巡礼がより機能するべくこれからも働きかけていきたい。
また、大船渡のFM「ネマライン」に出演し、徒歩巡礼のお誘いをした。みちのく潮風トレイルを歩いた経験を元にしてマンガ「みちのくに みちつくる」を著された、しまたけひとさんに全日の参加をいただいた。気仙三十三霊場がそして徒歩巡礼がマンガとして発信されたとしたら、とてもすばらしいことである。発刊が楽しみだ。
24日
上野駅(9:40)…一ノ関駅(12:14)(12:55)…大船渡行きのバス…宮ノ前バス停(15:08)…徒歩…FMねまらいん〈東海新報社2階〉(15:30)…打ち合わせの後ラジオ生放送出演(16:45)(17:00)…大船渡温泉で入浴(18:00)金剛寺さんがお迎え…竹野邸にて鍵を借りる…金剛寺さんから夕食のご接待
一月のお念仏会「為先会」にて、浄土真宗僧侶の小笠原正仁さんより、マンガ『みちのくに みちつくる』(双葉社)を頂戴した。
環境省が肝入りで、今作られている青森県八戸から福島県南相馬をつなぐ700キロに及ぶロングトレイルを登場人物の男女が歩く。
被災地の復興がなかなか進まない現状を嘆き、寺社に詣でながら東北の方々と語りあい人情に触れて、心の中にある重たいものと向き合い、それを乗り越えていくという物語であった。このマンガは、作者のしまさんが「みちのく潮風トレイル」を歩いた体験を元にして記されたフィクションである。
一読し、この方なら徒歩巡礼に参加してくれるかもしれない。もし気仙三十三観音霊場及び徒歩巡礼がマンガに取り上げられたなら、「祈りの道」再興プロジェクトにとっても、また気仙の地にとっても大きな力を頂くことになるのではないかと考え、早速、活動報告やチラシを出版社経由でお送りしたところ、話がトントンと進み、一月後には全日参加とのお返事を頂いた。その丁寧なメールの数々にまじめな方だろうと想像したが、果たしてどんな方なのか、楽しみと少々の不安を抱いて当日を迎えた。
新幹線の車中にて初対面。思った通りの真面目で木訥な方でほっと安心した。いろいろ話が弾み、初対面とは思えないほど距離が近くなった。日常は、朝の6時に就寝し昼過ぎに起床とのこと。この暮らしを20年近く行っているそうだ。私とは真逆の生活である。この日は、早く寝つこうとしても寝られずほぼ不眠のまま家をたったとのこと。
話が盛り上がり、すぐに一ノ関に到着。駅のパン屋で昼食を取り、バスにて大船渡へ。気仙沼の手前でトイレ休憩があった。BRTとは行程がほぼ重なるものの違うところがある。唐桑辺りの旧道を行くのはバス、高田から大船渡まで高速に乗ってしまうのもバス。ちょっと新鮮だ。下船渡駅近くの宮ノ前バス停下車、歩いて東海新報社に向かう。
以前、ミキ店長経由で大船渡のFM局「ねまらいん」出演を打診したところOKの返事が。「ねまらいん」とは気仙語で「ちょっと寄っていきなさい」の意。翌日からの徒歩巡礼の広報のため、人生初のラジオ出演をした。初めての経験でワクワクだ。場所はなんといつも行事の広報を買って出てくれる東海新報社の2階である。
担当は田村華恵さん。以前丁寧なメールを頂き、資料一式をお送りした。それをもとに作成いただいたレジュメを見ながら簡単な打ち合わせを行う。質問は、①自己紹介、②巡礼の内容、スケジュール、③距離や昼食の用意について、④プロジェクトの概要、⑤参加方法、⑥リスナーへのメッセージの6項目である。時間は16時45分から15分間。
いよいよ水谷豊「カリフォルニアコネクション」がかかる中、スタジオ入りし着席。前には楕円形の大きなマイクがある。田村さんは、コーナーを告げる効果音や流す曲など、左手にあるボードをちょいちょいと慣れた手つきで操作する。
いよいよ番組が始まり、質問を振られて答えたり笑ったりとごく日常的な会話をしているうちに終わってしまった。最後には「多くの方が亡くなった気仙の地において、先祖が伝えてきた観音霊場を、楽しくお話ししながら、そして真摯な祈りを捧げながら一緒に歩きましょう」と締めくくった。見事にリードしていただき時間もきっちり。地元観音霊場の存在を知らない方に声が届けばと思う。もっとべらべら話したいかんじだが、ぼろが出なくて良かったのかも。
一階で東海新報社上野さんから申込み状況を伺う。だいたい各日10名の参加があるそうだ。ご丁寧に集合・解散場所から交通についての一覧表も作成頂いていた。
しまさんと近くの大船渡温泉で入浴。回数券を購入。なんと船野さんと脱衣所でバッタリ。再会を喜ぶ。大船渡湾を眺めながら露天風呂につかる。風が冷たい。
夕飯は金剛寺さんからご接待。車で迎えに来て頂く。竹野邸で鍵を借り、斜め前の活魚料理「すごう」へ。初めて足を踏み入れる。刺身定食をおいしく頂く。金剛寺さん曰く「しまさんは取材だというけれど、知らず知らずのうちに福田さんのペースにひきこまれちゃうから…」と。実は少し前に「しまさんとは初対面ですがスタッフは私1人しかいないので、スタッフの一員です。最後尾をお願いします」と頼んでおいたのだ。さすがに私の行動形態を把握していらっしゃる。
私はその後、屋台村「天使の森」へ。既に来ていた若夫婦は、アートで被災地支援を行っている「PEACE PIECE」の代表の方。被災地のばあちゃんたちが作る手芸品に付加価値を付けて売るという活動らしい。アートで復興支援。毎月車で福島へ岩手へと足を運んでいるという。パワーあふれるトークに圧倒される。パフェをつまみに酒を飲んでいるのにはビックリ。
25日
参加者 金野郁子,佐藤則子,宗宮安宏,松田恒雄,山田謙介.船野章,平山睦子,千葉京子,今野寿子,川村浩子,河野ひさ子、河野節子,松田惣喜,岸浩子,大内 隆,佐々木一 郎,新沼文子,菅野イマ子,寺澤いく子,新川徳勝,しまたけひと,福田亮雄(敬称略) 計22名
長部駅(8:20)…0.5km…要害観音堂跡(8:30)(8:40)…1.1km…古谷観音堂(9:00)(9:30)…3.5km…上長部供養塔(9:57)(10:02)…上長部観音堂(10:16)(10:30)…金剛寺(10:54)(11:35)…0.9km…泉増寺(11:40)(12:35)…3.5km…観音寺(13:16)(13:34)…1.2km…馬頭観音堂(13:57)(14:06)…0.5km…陸前矢作駅(14:23) 計14.2km
いよいよ徒歩巡礼スタート。6時半に家を出てコンビニでおにぎりの朝食。BRT大船渡駅から国道脇の長部駅へ。みなさん駅前の広場に集まっている。総勢22名、昨年のリピーターの方が11名。大船渡船あるこう会の方々もまた参加いただいた。観音様バッチ、地図、経本をみなさんに手渡す。
今年も新川さんが手厚くサポートカーを出していてくれるのでいろいろな面で安心だ。しまさん、昨年も参加の山田さんから白衣の注文があった。背中に「南無観世音菩薩」と揮毫しお送りする。白衣を着てお参りしようという気合いがうれしい。
挨拶の後、要害観音堂跡地へ。山田さんが幟を持って先導してくれる。新川さん法螺貝の御接待。草が生えるばかりでお堂の跡地も判然としない。海の方に向かって法楽。防潮堤が完成し風景が変わった。
法楽の後、観音様が震災一月後にがれきの中から発見されたこと、観音様が東京両国回向院で行われた善光寺出開帳に呼ばれ何万という方から祈りを捧げられたことをお話しする。
要害観音堂は別当家熊谷さんの高台移転地の庭に再建されることが決まった。ただいまお堂の木組みを大工さんにお願いしているそうだ。ノビノビになっているがあと数ヶ月で落慶の予定。要害観音堂が完成すれば気仙の三十三霊場がすべて再興されることになる。その日が待ち遠しい。
のんびりと古谷観音堂へ。昨年はすぐ近くで鹿が現れた。立派な大きな屋根の左に観音堂の屋根がちょっと見えている。母屋脇を通り階段を上り、お堂の中で法楽。扉を開け6体の観音様を間近に拝んで頂く。
階段下にはけせんきらめき大学が設置した霊場案内板が据えられた。すべての霊場に備え付けたとのこと。霊場としての体裁が整っていくのは素晴らしいことだ。女性はトイレ休憩。庭をよく見ると池が掘ってあったり、松がきちんと手入れされていたりと丹精されていることがよく知られる。
ここから長部港に向かわず長部小の脇を通り、国道下をトンネルで抜けるショートカットに変更した。保育所の子どもが手を振ってくれる。長部川沿いの道を歩く。高速道路の橋は架かったがいまだ周囲は工事中。右手山の上には高台住宅地が出来た模様。立派な道路ができていた。川沿いの道を歩き上長部へ。長部公民館前の慰霊碑で般若心経をお唱えする。ここから海は近いがまったく見えないので逃げ遅れた方がいらっしゃったのであろう。
道を左に折れ畑の中を通り、山道を少々登り上長部観音堂をお参りする。堂内は暗いので蝋燭に火を灯す。昨年は佐藤忠清さんが笛を奉納してくれた。梅の花が開き初め良い香りを漂わせていた。法楽後新川さんが手製の小さな法螺貝を立てるが、なかなか良い調べとならず。不調。
上長部観音堂別当家も御当主が亡くなり空き家になってしまったとのこと。当プロジェクトに関わり、気仙三十三観音霊場の最大の問題点は過疎化であることが分かった。
別当家で管理するお堂が多いこの霊場に置いて、別当家が空き家になってしまうところが何ヵ所も出てきた。霊場が次代に継承されるためにはこの問題をクリアしなくてはならない。が、なかなか解決しがたい問題だ。
今年の巡礼で一番気がかりだったところは、上長部から金剛寺へ向かう手だてをどうするかであった。今までは送電線巡視路を登り、山越えをして林道を垂水が沢に下り、最短距離で金剛寺へ向かったが、今年はルートの一部が高速道路工事にかかっているため、通れるか分からない。工事事務所に問い合わせたところ通行止めとのこと。
数日前、金剛寺の真子さんに歩いてもらったのだが、発破の時刻を除けば通れそうだと報告された。でも大勢を連れて行くことを考え、大事をとってタクシーを呼ぼうと決断した。しかし、前日、東海新報社の上野さんにお話しをすると、ワンボックスとオデッセイを出してくれることになった。まことにもってありがたい。観音様はとてもよい縁を結んでくれる。新川車と合わせていっぺんに金剛寺へお連れすることが出来た。すんなりクリア。
車で通った今泉の街は、かさ上げ工事の真っ最中でダンプが行き交い埃が舞い立つ場所、やはり歩ける場所ではない。金剛寺への道には土盛りがされトンネルかできている。かさあげのための措置なのであろう。
金剛寺さんに着くとスピーカーで歓待のご詠歌が流れていた。不動堂への階段を上がり今泉の街を俯瞰すると、各所土盛りの真っ最中、またまた風景が変わっている。ご住職と奥様が待っていてくれた。法楽の後、おまんじゅうとお茶のご接待。温かいお茶が身にしみ入る。帰りがけに再建中のご本堂を拝する。屋根もほぼ出来上がり8月中には完成の手はずとなっている。落慶法要は10月に行われるそうだ。
泉増寺へは、工事のため道が付け替えられていて少し遠回りになった。ほこりっぽい中を歩く。坂下の金精様の祠には新たに布がかけられてあった。法楽の後、泉増寺で昼食。ベンチに座って持参した昼食を頂く。参加された方々の距離がグッと近くなる。
ここからは峠越えをして観音寺へ。初めて来たときは暗い杉林の中、未舗装の林道を歩いたのだが、今は杉が切られ住宅地になってしまった。登り口に荒川一里塚の標識在り。未舗装の道が旧今泉街道でと初めて知る。
去年は登りで足の痛みに悲鳴を上げていた方がいたが、今年は距離が短くなったこともあり楽々と観音寺へ。ご住職から法螺貝のご接待。「酔仙」も頂戴する。国道を歩き、もう電車が通ることもない大船渡線の線路を渡り馬頭観音堂へ。昨年壊れていたお堂の羽目板は修復されていた。
みなさん悠々と陸前矢作駅へ。しまさんは近くの鈴木旅館泊。私は新川さんの車で大船渡温泉へ。昨日に引き続きまた脱衣所で船野さんとばったり。不思議だ。裸の付き合いというやつか。
BRTで下船渡駅から大船渡駅へ。この晩は「さよなら屋台村ライブ」。寒いうえ、ひとりだったので別の店に行く。9時に天使の森でシンガーソングライターの濱ちゃんと待ち合わせ。
26日
参加者 宗宮安宏,松田恒雄,山田謙介.船野章,千葉京子,今野寿子,川村浩子,松田惣喜,岸浩子,鈴木憲助、新川徳勝,しまたけひと,福田亮雄(敬称略) 計13名
陸前高田駅(8:03) …0.8km…大石観音堂(8:12)(8:27) …1.5km…羽縄観音堂(8:50)(9:02) …0.6 km…正覚寺(9:17)(9:35)…1.3km…延命寺(10:13)(10:32)…7.0km…常光寺(12:14)(13:10)…3.2km…平栗福寿庵(13:44)(14:18) 計15.7km
この日はほとんど昨日も参加頂いた方なので、朝からすっかりうち解けて良い雰囲気だ。陸前高田駅に集合し、まず大石観音堂をお参り。
ご当主が待っていてくれる。縁先の観音様を拝し、高くそびえる高野槙に触れ、高台から高田の街を俯瞰する。土がむき出しの風景はどう変わっていくのか。想像が追いつかない。
国道を登り返し市役所の反対側へと坂を下る。羽縄観音堂へ。扉を開けてお参り。ご当主はすでに東京にお住まいだとか。お堂もこれからどうなるのか心配だ。
ここから国道を歩き右手に折れるとほどなく正覚寺。お寺のすぐ脇にあるお宅が千昌夫さんの実家だと初めて知った。
お堂に上がり左手の観音様の前で御法楽。ご住職と歓談し寺を後にする。
竹駒駅近くの震災慰霊碑で心経一巻の法楽。後に巌があるためご遺体がたくさん集まったところだそうだ。その駅近くの建設会社の駐車場に向かってみなで心経法楽。参加された方の娘さんが津波でなくなったところだと聞いた。ただただ成仏を祈るのみである。
少し戻りほどなく延命寺。本堂左手の床の間に据えられる観音様を拝む。背後に涅槃図が張り巡らされ、大きな切り株の上に端座していらっしゃる観音様は神々しい。もと氷上山中のお堂に安置されていたという。
ここから山田さん引率のもと新たな道を行く。国道に出る手前を右に入り、山の中腹を行く旧街道を行く。竹駒神社の鳥居の脇をかすめ登りになる。松並木の切り株が連なる道を進む。雨がしょぼしょぼ降ってきた。雨具を着るかどうかは微妙な量である。
徐々に高度を上げ、右手に田を見渡し、左手下に国道を見下ろせる。晴れたら気持ちの良い道であるに違いない。突然、山の中にホテルが出現したのには驚いたが、徐々に高度を下げ国道に突き当たると、昨年までのルートである仙川右岸の林道との合流点であった。確かにこちらの方が国道歩きが少ない。すぐに気仙川の土手上の道を歩き横田の町に入っていく。小降りの雨は止まず。
常光寺さまに着き墓地上にある観音堂で法楽。その後、ご本堂でご接待を頂く。昨秋の講演会にて常光寺ご詠歌講の皆様にはご詠歌御奉納を頂いた。とても緊張していらした姿を思い出す。
再会すると参加賞として差し上げた赤腹巻きのお礼を言われた。巣鴨とげ抜き地蔵の威力はすごい。机にはおこわ、自家製たくわん、プリン、ブドウ液などなどが並んでおり美味しく頂戴する。
ここで各自持参の昼食も頂く。温かなお茶が体に染み入る。思わずおこわをお代わりしてしまう。今度東北のご詠歌大会があり、これから猛練習だそうだ。すっかりリラックスしてしまう。
お礼を申し上げ、平栗福寿庵へ。国道を歩き舞出、急坂を上って平栗福寿庵。みなさんに一言感想を頂く。「もっと故郷のことを知りたいと思ってきた」「日々の暮らしで苦しいときはお祈りをする。祈りの場と出会うことを幸せだと思う」「亡き娘に祈りを捧げていただきよい法要ができた」など、みなさん色々な思いを胸に参加いただいていると言うことを垣間見れた。
ここで解散。車をここまで上げている方もあり、迎えに来て頂く方あり、円滑に帰りの手だてが確保できた。
私たちは新川さんの車で、小股の農家民宿「一期舎」紺野さん宅へ挨拶。火事から立ち直り母屋も再建された。ほぼ以前と変わらぬ間取りとなっていた。やさしいお母さん、豪快なお父さんにもお会いできる。5月から営業再開予定とのこと。住田の食材を使ったおいしい創作料理をまた味わいたい。お元気そうで安心した。秋の行事はぜひ泊まりたい。
そして今日宿泊する農家民泊佐々木文一さん宅へ。昨年もお世話になった。観光協会の佐々木康行さんのご実家だ。車を出していただき霊泉玉ノ湯へ。
玉山金山にかかわる旧跡を車窓から眺めながら高度を上げていく。しまさんは興味深そうだ。とても温まる良いお湯だ。一緒に入っていたおじさんから、長桂寺の先々代が無住の長桂寺に入り、杉苗を育てて売り、馬を引いて荷物を運び駄賃を稼ぎ、今のような寺に再興したのだというお話しを伺う。
夕食は、おひたし、めかぶ、あさしみ、芋の煮物、よせなべと豪勢だ。どれも美味しく頂く。佐々木さんはなんと大学時代には漫画家を志していたそうで、「本物の」漫画家と話が出来るのを心待ちにしていたそうだ。赤塚不二夫先生、水木しげる先生や藤子不二雄先生の画風がどうだとか、弟子入りしようとした話とか、ともかく盛り上がっていた。佐々木さんが娘達に書いた絵本も見せてもらう。さすがなかなかのものだ。私は雪っこを飲んでよい心持ちでぼんやり聞いていた。
27日
宗宮安宏,松田恒雄,船野章,千葉京子,今野寿子,澤田幸枝、大内 隆,佐々木文一、新沼文子,菅野イマ子,寺澤いく子,新川徳勝,しまたけひと,福田亮雄(敬称略) 計14名
世田米駅(8:02) …0.7km…向堂観音堂(8:12)(8:24)…1.2km…満蔵寺(8:45)(9:01)…6.4km…中清水観音・長桂寺(10:30)(11:12)…7.6km…城玖寺(13:21)(13:32)…0.5km…坂本堂(13:40) (13:56)…2.2km…山脈地バス停(14:18) 計18.6km
朝食からたくさんのおかずを頂きお腹いっぱいで世田米駅へ。みなさん既に集合している。挨拶をして向堂観音堂へ。昨日、佐々木さんから教わった、昭和橋には戦争時飛行機から放たれた銃弾の跡が残っていることをみなさんにご披露する。この橋も近々架け替えられる予定だ。橋から見える蔵は、いくつも漆喰の塗り替えが行われ真っ白で美しい。
バイパスを慎重に横断し向堂へ。全員は堂内に入れない。もと来た道を戻り世田米商店街を満蔵寺へ。雨がしょぼしょぼ降りしきる。立派な山門をくぐり本堂前で御法楽。奥州市のご住職が兼務されているが、それについてはいろいろな背景があった模様。寺を継承していくというのは難しい。
世田米の町を抜け国道を行く。道を横断し「麺太」手前のガソリンスタンド脇の道に入る。気仙川沿いの静かな道で、国道歩きが20分ほどなくなる。前回調査済み。車も来ないのでみなさん楽しくお話ししながら歩く。もう10年来の友人のようだ。巡礼も日を重ねるに従ってますます和やかな雰囲気になった。しまさんも順調に取材ができている模様。
国道を有住に向かう。すれ違った車には、昨日お会いした紺野さんがいた。互いに礼。これもご縁だ。天風から旧道へ。ここに来ると車を気にせずのんびりと歩く。雨は相変わらず降っている。船野さんが遅れ気味だが、声は元気。新川さんの車に荷物を預けてしまうと楽ちんだ。何から何までお世話になってしまう。
大きな杉の木が見えると長桂寺。いつものようにご住職が待っていてくれた。法楽後庫裡にて茶菓のご接待。住田のお菓子を頂く。
ここで東海新報の記者の方からインタビューを受ける。若い記者の方で巡礼についてあまりご存じない様子。漢字などを間違えぬよう勤行式やご詠歌一覧を差し上げる。記事を読んで参加してくれる方がいれば嬉しい。
田畑の中に家が点在するのどかな風景を歩く。少し雨も小やみになってきた。昨年は歩こう会の方と私だけであったが、今年はこんなににぎわっている。両側から山が迫ってくると眼鏡橋が近い。みなさん車では脇を通るが渡るのは初めてという方が多い。
そろそろ12時になり昼食をどこでとろうかということになる。雨のためその辺りで食べるというわけにはいかない。
上有住にお住まいの澤田さんが、上有住公民館に掛け合ってくれ2階の部屋をお借りする。なかなか地元の方でないと声を掛けにくい。ストーブも入れていただき温か。用意してきた昼食をとる。私は船野さんからの御接待でおにぎりを頂く。トイレも借りられリセット。駐車場で佐々木公一さんとバッタリ。娘達をそろばん教室に連れてきたのだとか。
雨もほとんど上がった。国道を進み右手に逸れると城玖寺だ。杉の林の中にある静かなお寺だ。いよいよこの日最後の霊場坂本堂へ。徒歩5分もかからない。鳥居をくぐってお堂に入ると正面に役小角、右に獅子頭、左に観音様、東北らしい神仏習合だ。お堂を建て直す計画もあると聞いた。まさに生活に溶け込んだお堂だ。みなさん興味深そうにあちこち見ておられる。
上有住公民館近くまで歩き解散。車に分乗しなんとか帰りの手当が出来た。船野さんは明日欠席と言いながらこの日まで続いている。さぞ足が痛いと思う。この感じでは最終日まで行けそうだ。
大船渡温泉に入ってから「なかむら」に行くが、後から後から人が入ってきてすごいことになってきた。刺し盛りと一ノ蔵を頂いて店を変える。初めて入る「海峡」へ。鈴木憲助さん行きつけの店だ。カラオケで「与作」を歌う。次回は憲助さんのボトルを頂こう。
28日
宗宮安宏,松田恒雄,船野章,千葉京子,今野寿子,河野とし子、澤田幸枝、濱守栄子,小林真子、平山睦子、金野博史、大和田繁夫、岸浩子,大内 隆,新沼文子,菅野イマ子,寺澤いく子,新川徳勝,しまたけひと,福田亮雄(敬称略) 計20名
盛駅(8:10)…0.7 km洞雲寺(8:20)(8:32)…2.5 km…稲子沢観音堂(9:26)(9:42)……0.7 km…舘下観音堂(9:53)(10:05)…2.2 km長谷寺(10:47)(11:17)…4.3 km…田端観音堂(12:44)(13:23)…陸前赤崎駅 計10.6km
竹野邸を出てぶらぶらと盛まで歩く。朝はかなり寒いが青空が広がり気持ちがよい。この日のコースは、小松峠越えをカットしたためだいぶ短くなった。というもこともあり、長谷寺から田端観音堂までを国道歩きをなくすため山越えをしようと新川さんに提案され快諾、最後のひとのぼりが加わった。
盛駅はBRTや三鉄が着く度に高校生はじめ人が下りてくる。この日は第2回に参加し160キロを歩ききった金剛寺の真子さんと大中仮設のご縁で知り合った大船渡出身のシンガーソングライター濱ちゃんが参加してくれる。千葉とんと今野さんは、話では聞いていた濱ちゃんと会えて嬉しそうだった。濱ちゃんの大船渡市陸前高田市への寄付も600万を超えた。初志貫徹、すごい。
まず、駅からすぐの洞雲寺へ。深閑たる参道を登り竜宮門をくぐって観音堂へ。以前、仏像が盗難にあったそうで鍵がしめられたままである。お堂の前で法楽を捧げる。お寺への登り口にある被災者慰霊のための大きな観音像に心経一巻。
国道を渡り盛の商店街を歩き、新川太鼓店へ。外に机と椅子を出し茶菓のご接待を頂く。かもめのたまごを美味しく頂戴する。まだ一キロも歩いていないのにすっかりくつろいでしまう。毎年ありがたい。消費カロリーより摂取カロリーの方がずっと多い。
ここから稲子沢観音堂までのルートは、地元大船渡歩こう会の方々にお任せする。商店街を抜けた権現堂から盛川の河川敷に下り広い空のもとゆったりと歩く。車を気にせず歩けるのでとてもよい。歩こう会のいつものコースだそうだ。国道に上がればすぐに稲子沢だ。
近年、御当主念願の観音堂が建立された。真新しい観音堂に入って法楽。お孫さんご夫婦がいらっしゃるので観音様バッチを進呈する。池の畔には氏神様を祀った社もあり今なお趣あるたたずまいである。
住宅地の中を少々歩き舘下観音堂へ。稲子沢家の親族である。今年は亡くなられたご当主の妹さんはいらっしゃらず門の鍵を開けてお堂前にて法楽。堂内に入れず残念だ。
ここからは盛川を渡り、河川敷をずっと歩く。明るく開放的な道であることもあり、後のグループは話が弾みついつい遅れがちになる。ここで1人お帰りになる。道へと上がると猪川小、すると大船渡高校はすぐ。
長谷寺さんには総代さんが収蔵庫を開けて待っていてくれる。観音堂の屋根を吹き替えたとのこと。本堂の屋根の改修とあわせだいぶ整備された。
ご住職からリポビタンDのご接待。奥州藤原氏時代の十一面観音像を前に読経。多くの方は初めて拝するとのこと。もっと地元の方に拝んでいただきたい。
ここから田端観音堂までは国道を行く予定であったが、新川さんの提案で山田林道を行こうということになる。私はすべておまかせ。
歩こう会の寺澤さんが最近開拓したという新ルートに入る。まず地元の人以外には入らない未舗装の道。貝塚脇を通り畑をかすめ住宅の裏を通っていくと、鴎のたまごの工場にでる。ここからさらに道は登り高度を稼ぐ。足に来ている人は辛そうだ。道のりと登りのご接待はありがたくも厳しい。工事が終わり最近ようやく通行できるようになったそう。歩こう会の方も初めてらしい。
峠までたどり着き一休み。「距離が一番短いと聞いていたのに一番きつかった」とは船野さんの言。お菓子の御接待あり。くだりは快調、足に任せてどんどん下る。三鉄の線路をくぐると土がむき出しの風景が、なんと観音堂があった対岸の尾根が崩されている。地元の方なら「ばばばばば」というところ。「あれ、お堂がない」と絶叫してしまう。しかし、左手の駅前にはなんと新たなお堂が建立されていた。これまた驚き。
別当家の奥様が戸を開けてくれた。以前と変わらぬ大きさだ。いまでも月に一度17日にお茶のみをしているそうだ。ここで解散。歩こう会の方々は、盛まで歩いて帰った。すごい。金剛寺さん、大和田繁夫さん、新川さんの車で無事送り届けられた。
吉水さん、藤澤さんはちょうどこのときBRT乗車中。ほどなく盛で合流。私たちは新川さんに車を借り、番外霊場の蛸の浦・尾﨑神社へ。海辺に鳥居があり、正面に本殿、右手に立派な観音堂がある。霊地の雰囲気をたたえた特別な場所だ。堂内は暗いので戸を開けて光を入れる。千手観音だったようだが、ほとんどの手が喪失してしまっていた。
お堂の脇の山道を登り奥の院へ。尾根筋を忠実に登り高度を稼ぐ。頂上に立派な社殿が、眼下にはいつも大船渡温泉から眺める防潮堤を反対側から見下ろせる。その向こうにうねうねうねる海岸の崖に波が打ち寄せては砕ける光景が見える。まさに絶景かな。ここまで登ってきて良かった。
それから大船渡温泉に入った後、新川邸にお呼ばれ。新築した仕事場の奥には宴会可能なスペースが。炭火で焼いた鮎の塩焼きとおでんとおひたしをいただく。酒は酔仙あらばしりを購入。鮎の塩焼きは串に刺し炭火で焼くと油を適度に吐いてカリッとする。楽しいひとときを過ごして新川邸を後にする。
29日
松田恒雄,船野章,千葉京子,今野寿子,澤田幸枝、平山睦子、岸浩子,鈴木のり子、若山恵美子、新川徳勝,しまたけひと,山本匠一郞、吉水岳彦、藤澤雅子、福田亮雄(敬称略) 計20名
碁石海岸駅(8:11)…2.0km…熊野神社熊野堂(8:43)(9:02)…8.0km…小舘観音堂(11:37)(11:50)…5.6 km〈小林さまご接待(12:01)(13:14)…田束観音堂(14:45)(14:57)…1.5 km…小友駅(15:39) 計17.1km
いつものようにコンビニで朝食を取り、BRTに乗車。千葉さん、今野さんが既に乗っている。山伏の山本さんは、昨晩けせんライナーに乗車。7時に盛着。車内で合流する。お忙しい中ありがたい。
碁石海岸口駅は国道からの入口が分かりにくいところ。みなさん下見をしていただいた様子。山伏に変身するのに少々時間がかかる。仮面ライダーのようにあっという間とはいかない。
この日、事前申込みは2名だけだったが、総勢20名へと激増。重ねて参加いただいている。みなさん、山伏と新川さんとの法螺貝のコラボに感激の面持ち。
金剛寺の奥様から人数を知らせて欲しいとの電話が。小舘観音堂近くのご実家でご接待をとのお話しであったが、人数が多いので一旦はなしとなる。しかし、おばあさんから用意したのだから是非にとの再度電話があったとのこと。お昼を使わしていただくこととする。
この日は岸さんが地元なので先導してもらう。駅前の新興住宅地の中の道を左に折れ道なりに歩くと、今まで歩いていた道に合流、末崎小にでる。そこを斜に入っていく道を行くと少し近い。
海岸が近づくと防潮堤がそびえるほど高く海は見えようもない。これでよいのかといつも思う。車通りは結構あるが気を付けながらアップダウンをし、熊野神社へ。
三面椿の脇に石製の碁盤がしつらえているのを発見、盤の下には白と黒の碁石が。碁石海岸のイベントで使用するのだとか。熊野堂も家財道具がきちんと片付けられていた。正面に観音様、右手には年代が感じられるお不動様が祀られる。廃仏毀釈の時も壊されずそのまま伝えられたのであろう。ありがたいことだ。
麟祥寺さまに新たに観音様が成ったとの話を聞き、久々にご訪問した。ご住職や奥様にご歓迎いただいた。
訪れた当初は参道の石柱も石仏も津波で倒されていたが、すっかり整備されたのに加え、お地蔵さま、七福神、そして観音様と幾隊もお像が増え山容が整備されている。焔魔堂も初めて中を拝することができた。色を塗り替えたそうで、きらびやかなお姿である。お茶とお菓子を頂く。
もと来た道を引き返し、門の浜をぐるっと巡る。以前は防波堤が津波で壊されたまま残っていたが、今は取り払われ新たな防波堤が築かれつつある。右手の荒れ地には何百という家が建っていたという。海のすぐ脇なのでもう家が建つことはないのであろうか。
道は台地へと登っていき、BRTの線路を越え国道に出て、さらに登り陸前高田市に入る。緩やかに上っていき小友町へ。休憩の要請があり、登り切ったところで一休み。巡礼も5日目に入り足がきつそうな人ももちろんいる。
ぱっと視界が開け海水浴場が見える。ここを越えればあと少しだ。工事がほぼ完成した堤防の上を歩く。岸さんの通学路で貝を拾っていた思い出の場所だそうだ。この日はけっこう波が荒く白い波頭が砕けて散る。開放的な気分で歩きに歩く。
広田小脇を歩き小さな峠越え。あとはだらだらと港すぐ脇の巌上にまします小舘観音堂へ。土が積まれている広場脇から登る。お堂の前で法楽。魚籃観音と呼ばれ漁師の方の篤い信仰を捧げられた観音様だ。
ゆったりくだり、真子さんのお祖母さんの家で昼食を頂く。足を伸ばしてみなさんまったり。各自お弁当を食べる。山伏は船野さんからおにぎりを頂いていた。大きな牡蛎が二つ入ったすまし汁とおしんこ、分厚いなべやきをご接待いただく。牡蛎の旨味が凝縮したおつゆはとにもかくにも美味。なべやきもこんなに分厚いのは珍しい。
食事後、亡くなったおじいさんが毎夜夢に出てくるのでお参りに行って欲しいと頼まれ墓所に行き読経。参加者のある方は「とうちゃんが死んでから一度も夢にでてきたことはない」と言っていた。やさしいやさしいおばあさんだ。夢に出てくるのはおじいさんの愛情ではないか。
ここから仁田山トンネルまでゆったりとした登りが続く。道路工事が各所で行われ、山が崩され道が付け替えられまた風景が変わってしまう。ダラダラ登りは疲れている足にはキツイ。じりじりと後と離れていく一群が。
トンネル手前で一休み。「ああ、くたびれた」という声が聞こえる。でもこの日は最後に田束観音堂の山道が待っている。トンネルを越えればダラダラ下り、モビリアの脇を通り、左に道を折れると赤い鳥居が見える。荷物を置いておき、山道をゆっくりと登る。頂上の観音堂前で法楽。鍵がかかり中には入れず。
下りると千葉修悦さんが差し入れに来てくれた。リンゴの煮物とリボビタンD、お忙しいところ用事を済ませてから駆けつけてくれた。ありがたい。初参加の方から一言「この活動は東海新報で知っていたが、まさか自分が参加するとは思っても見なかった。次回はぜひ参加したい」とのことだった。
ゆっくり小友駅まで歩いて解散。岸さんの家は駅前の高台にあるが、畑に上がる階段を作ったため津波の時に大勢の人が助かったという話を伺う。
いよいよ、ここまできた。吉水さん、藤澤さんはご用事のためここでお別れ。しまさん、山伏、私は新川車で大船渡温泉へ。
その晩は船野さん宅にお呼ばれ。鈴木憲助さん、佐藤忠清さん、金野博史さんらと盛大な宴を催してくれる。鈴木さんが刺身を船野さんから、胡桃餅、めかぶ、ほや、茄子炒めなどなど美味しく頂く。憲助さんが「気仙をひとつにするのは観音霊場だ」と言ったことを覚えている。他はいろいろしゃべったが記憶が定かではない。
30日
金野郁子,佐藤則子,宗宮安宏,松田恒雄,山田謙介.船野章,平山睦子,千葉京子,今野寿子,川村浩子,澤田幸枝、平山睦子、松澤さん、松田惣喜,岸浩子,大内 隆,佐々木一 郎,新沼文子,菅野イマ子,寺澤いく子,管野前子、髙木裕子、千葉涼子、新川徳勝,しまたけひと,山本匠一郎、福田亮雄(敬称略) 計27名
小友駅(8:00)…1.8km…常膳寺(8:30)(8:48)…3.3km…立山観音堂(9:48)(10:06)…3.0km…普門寺(10:55)(11:46)…2.1km…氷上本地堂(12:19)(12:30)…2.2km…坂口観音堂(13:00)(13:21)…0.4km…浄土寺(13:36)(14:00) 計12.8km 【総計89.0km】
いよいよ最終日かやってきた。多くの方が参加下さった。その数27名。小友駅にはすでに大勢の人が。この日は地元の山田さんの引率で出発。
この広田の地は大震災の時、半島の東側と西側から来た津波がぶつかり数十メートルもの柱となったというところ。あちこちに土は積まれ、むき出しとなっている。工事の真っ最中だ。
住宅地の中を通り最短ルートで常膳寺へ。この辺りは砂金が採れたところだそうだ。常膳寺参道の緩やかな登りが足に来る。
この辺りは砂金が採れたところだそうだ。常膳寺参道の緩やかな登りが足に来る。この辺りには、上の坊、中の坊、西の坊という地名が残っており、すべて常膳寺の境内地で山伏達が集住していたところ。
箱根山の麓に展開した寺で、全盛時は大変なにぎわいであったのだろう。中世の観音像がその名残である。みなさん幹の周囲10m高さ35mという姥杉には感嘆の声を上げていた。いまだ勢いが感じられる樹勢だ。お堂の前で読経の中、金具が緩み引金の鐘の部分が落ちてしまった。小さなビスを全員で探してくれた。なんとずっと離れた階段下で今野さんが発見。いやいやありがたい。
昨年までは立山観音堂跡で法楽をしていたが、新たなお堂が落成したのでもちろんそちらに向かう。その前にアップルロード上にある、小友地蔵尊に立ち寄る。大阪の社団法人元気人間製造研究所がお地蔵さんを寄贈し、中尊寺などの協力で東屋が設けられ整った。
山田さんの先導で地元の人しかわからない山道を歩いた。お地蔵さんの下にある畑が高田松原を蘇らせようと松の苗を育てているところ。新川さんが毎月ボランティアに訪れているという。
アップルロードを進み、カフェクローバー前の坂道を登ると、向こうに立山観音堂が見えてくる。海が見渡せる風光明媚な場所である。堂前には芝が張られ、ますます環境が整えられている。お堂の中で法楽。ご本尊あゆみ観音と縁がつながるまでの話や観音様の背景を荘厳する回向柱の話をする。別当家大和田さんの奥様とお孫さんが御接待に来てくれる。お茶とお菓子を頂く。お孫さんに観音様バッチを進呈する。
お堂脇の道を道なりに進むといつもの道に合流、国道下を通り米崎小へ。小さな川の脇に普門寺への古い石標があり。ここがわずか50mくらいだがまさしく旧道であることが分かった。いつも前を通っていたが全く気がつかなかった。緩やかにアップダウンを刻む。車通りは相変わらず結構ある。来る度に道の両側の林がどんどん伐採されているが、高台移転の住宅地を造成するためなのか。
普門寺の参道にそびえる杉が見えてきた。厳かな雰囲気を湛える参道を進む。本堂裏手の土蔵作りの観音堂で法楽。気仙大工の粋を凝らした三重塔、阿弥陀像と、いつきても趣湛える空間だ。
さらに墓地にある身元不明者の墓地に向かう。「竹駒小 No」という安置された場所と番号が振られた石板がある。3霊ほど身元が分かったそうだ。お参りされることも少ない御霊なので大勢でにぎやかに読経するのもご供養となろう。東名で厳かな空気がぴーんと張り詰めた。
ここまで来ると浄土寺は近い。農免道路を進み左手に折れると氷上神社。本殿手前の建物の前に霊場プレートがあるのでそこで読経。以前来たとき奥様は、壊す予定で解体したがもったいないから再建した、観音様はいない」とおっしゃったのを思い出す。
ここからは緩やかな下り道、左手の尾根に向かうよう左へ左へと折れていく。津波が入ったところまで来ると土がむき出しで工事中。かさあげがされるのであろう。消防団で犠牲になった方の慰霊施設が撤去されており、お茶屋さんも解体中である。坂口観音堂跡から光照寺墓地へと登る。足に来ている人は辛そうだ。新たに成った坂口観音堂にはご住職がいらっしゃった。お茶のご接待を受ける。扉を開けていただき美しい観音様のお姿が拝せる。
さて、いよいよ満願の浄土寺だ。坂を下りかさあげ工事中の浄土寺前を行く。以前は高台に建ってのだが、かさあげで街場とフラットになってしまった。納堂で最後の般若心経。
6日間全行程を歩ききった、船野さん、今野さん、千葉さん、しまさんに一言ずつ感想を頂いた。「徒歩巡礼がずっと続いて欲しい」という言葉をありがたく受け取った。
しまさんは「一週間前にスタートしたのが嘘のように一月にも感じられる濃厚な時間だった」と挨拶。参加者全員から「早くマンガが読みたい」とのエールが送られた。「また来年お会いしましょう。それまで元気で」と口々に別れの挨拶を交わしている姿を眼にし、このようにして人の輪か広がっていくのだと感動した。
ここでみなさんとお別れ。陸前高田駅までしまさんを送り、観光物産協会に挨拶をし、新川車で一ノ関へ。何から何まで新川さんにはお世話になった。銭湯で一風呂浴び、駅前でささやかな復興支援を行う。秋は住田で講演会を実施。さて行程を考えますか。