期 間:7月31日(火)~8月4日(金)
7月31日 上野駅…新花巻駅…遠野駅…東海新報社…大船渡市役所商工観光課…21番 洞雲寺 …大船渡市観光協会…20番 館下観音堂…19番 稲子沢観音…風呂…竹野さん宅 |
8時01分上野駅発。猛暑の東京を出発し、涼風の東北へと思ったが、新花巻駅ホームに立つと強い陽差しに驚く。昼は東京と変わらぬ暑さである。各自駅弁を購入し、遠野行きの一両編成の気動車乗車。中学生も多く乗っており車内は混雑している。昼食時間が省けるため遠野まで列車で行っても時間のロスは少ない。のんびりと列車は走り、遠野着。前回もお世話になったレンタカー店に迎えに来てもらう。軽のトッポ。
30分も走ると霊場のある見慣れた住田町に入るので、とても楽だ。まず、東海新報社へ。佐々木さんが待っていてくれ、霊場マップ1000部を受け取る。予備にと50部頂戴する。陸前高田観光物産協会、東海新報社のみなさんの手によって、マップ記載事項について再検討、そして細部を訂正いただいた。こちらが提示した新たな情報も盛り込みつつ、既存のものを最大限活かすかたちでマップが改訂されており、よい物が出来たと皆で喜んだ。佐々木さんは、ひとさじの活動がきっかけとなり、沿岸部の神社・仏閣を取材しそれを連載することにしたという。うれしいことだ。
また、10月に実施予定の講演会について概要を説明し、正式に講師をお願いする。会の後援についても東海新報社にお受けいただけるか打診したところ、基本的にOKとのこと。提出書類等について後日連絡を取り合うこととする。大船渡市役所や観光協会からお願いされた、霊場マップについての記事の事前閲覧についてもお願いしたが、マップについては、各市町の観光協会にお問い合わせ下さいという文言なら問題ないのではないかとご意見を頂く。最後に3人でマップを見ている写真を撮り、数日後にマップ作成・配布についての記事を掲載していただくことになった。大船渡市については、中核的なコミセン等5箇所をお訪ねし、10部ずつのマップを配布を考えていたが、現地NPOで活躍している竹内さんに配布をお任せすることとなった。行程にぐっとゆとりが出来た。
さっそく大船渡市の観光物産課に向かう。観光物産協会との部数配分を決める。商工観光課30部、観光物産協会170部。講演会の後援については、検討頂くことを約す。いつもテキパキと対応頂きありがたい。
役所隣の21番 洞雲寺に向かい、観音堂にて今回初めての法楽。ご住職はいらっしゃったが、4時より用事とのことで、ご朱印用の用紙原稿をお願いし、後日ご郵送頂くことを約す。
そして猪川町公民館2階に間借りしている大船渡観光協会に向かう。活動方針はお送りしたものの、いままで一度もご挨拶に伺っていない。職員の方2名にひとさじの会を名告り、活動の内容を話し、マップ配架についてお願いする。以前、マップについては、陸前高田市より依頼され置いたこともあったことを述べられ、快くご了解頂く。今も、霊場マップを所望される方がいるとのことで、霊場HPが出来た際は、是非リンクを張らせて欲しいとのありがたいお申し出をいただく。講演会後援については検討していだたくこととする。
これから、霊場歩きが本格的に始まる。まず、20番 館下観音堂へ。管理者の方から、「東海新報」の記事を目にし、ひとさじの会がんばっているなと思っていたと言われる。我々がお出しした礼状を大切に持っていてくれているそうだ。ありがたい。震災直後は生きるのに手一杯ただったが、すこし心にゆとりができると心細く寂しく思ってしまうことがあること、同時に、今生きていられることに感謝することもあると言われた。ただ、避難所にお手伝いに行ったとき、送られてきた物資は私たちのものなのであげられないといわれたり、広い家に住んでいいわねとうらやましがられたりといろいろあるとこぼされた。法要後、ジュースやヨーグルトをご接待頂いた。亡くなったお母さんは、子供の頃、朝お茶を支度し巡礼の人を待っていたという。ぽつりぽつりとお参りの方がいらっしゃれば、この方もお母さんの後を継いでいただければとも思った。
そして、19番 稲子沢観音へ。小さな祠の前で法楽を捧げていると、管理者の方が出ていらっしゃった。お家にあげて頂き、百観音の掛け軸を拝し、たくさんのお位牌を拝む。位牌の上部には雲のような飾りがあり、東北の長者といわれた古を偲ばせる。今年100歳になったおばあさんがいるそうだが、その方のお母さんの写真が飾ってある。カメラなど全くない時代のものなのでたいへん貴重なものである。直ぐ裏手にある観音堂跡地にもご案内頂く。
今は坂道だが、昔は石段であった そうだ。お堂が人手に渡ったとき、石段の石も一緒に持っていったという。小広い台地には杉が育ってしまっているが、お堂の大きさが想像できる広さだ。真ん 中のコンクリートで固めた塚は、石に一字ずつ経文が記されたものを固めたものだそうだ。帰りに池の脇に立つ稲荷社をのぞくと当主が彫られた獅子頭がいくつも あった。
舘下観音堂に経本を忘れたことに気づき戻る。受け取り、門を出ると車の中から手を振っている人が三名。まさかここで知り合いがいるはずもないと思ってしげし げ見ると、前回お会いした遠野まごころネットのお三方。マップをお渡しする。前の車から私が降りたのが見えたとのこと。サプライズ。
これにてこの日は打ち止め。オーシャンビュー丸森にて入浴し、屋台村「中村」へ。竹内さんらと合流し、大船渡コミセンへのマップ配布をお願いする。あとは常のごとし。
8月1日 竹野さん宅…22番 長谷寺…20番 館下観音堂…陸前高田市役所…慈恩寺 …25番 小舘観音堂音…三日市…普門寺…氷上神社…麟祥寺…大船渡中学仮設住宅 …風呂…竹野さん宅 |
起床後、30分ジョギング。津波の被害が大きい大船渡駅の周辺を走る。ローソンでうどんとおにぎりの朝食。早めに22番 長谷寺に向かう。趣のあるご本堂にて御法楽。隣のお宅で管理者の方のお宅を尋ねると、すぐ向かいの家であることが分かる。お訪ねし、収蔵庫内に安置されているご本尊十一面観音さまを拝観したい旨を述べると、お嫁さんが取り次いでくれ、明日8時に伺うことを約す。マップ5部お渡し。気仙三観音でご本尊が拝めるのは長谷寺のみ。まだ一度も拝したことがないため楽しみだ。
それから、23番 田端観音堂の管理者の方の仮設住宅を訪れマップを手渡す。熊野神社の宮司さんが勤める会社に立ち寄り、マップをお渡しする。なかなかお堂が片づかなくて観音様をお参りいただくことができないんですよ、と観音堂について心に掛けていて下さる。
その足で陸前高田市役所へ。陸前高田観光物産協会にマップ200部を置く。みなさんに歓迎される。そして、商工観光課の佐々木さんにお会いし、マップの分配について観光物産協会とお話いだたくようお願いする。
10時に広田の臨済宗の寺院の慈恩寺へ。津波のときも地域の中核となって活躍されたとのこと。津波が山門の半ばまで到達したものの、津波が本堂の向こうと床下を通ったため大きな被害はなかった。しかし、境内は車やガレキが散乱し途方にくれたそうだ。寺から海までの地域の避難所になっていたため、大きな講堂に40名ぐらいの方と4カ月寝食を共にしたという。いまでも駐車場にある小屋に雨が降ろうと雪が降ろうと毎朝、仮設住宅から当時寺に避難していたおじさんたちが訪れ、コーヒーを飲んだ後、境内を掃除してくれるそうだ。避難していた方々は、住まいは流され帰るところが無いため、寺が故郷だと思い「ただいま」と帰ってくる。寺には、子供会、青年部、壮年の部、女性部が組織されそれぞれが活躍しているというのは、ご住職のお人柄と行動力によるのだろう。本と風鈴を頂く。
それから、25番 小舘観音堂の管理者の方が住まう広田小の仮設に伺うがお留守。外の日陰にはお年寄りが涼んでいた。仮設の中は暑くてとても中にいられないそうだ。
アップルロードを高田に向かうが、三日市念仏のばあちゃん達にもマップを渡そうと、ちょっとお寄りする。ちょうどお昼で帰宅しており、すぐに失礼しようとする も、お仲間二人を連れてきてくれる。こんどは時間をとってゆっくり来て下さいとお言葉をいただき、海に向かってお念仏後、失礼する。
この日のお昼は、国道沿いにできたプレハブのお店。やすくてボリュームたっぷり。地産地消のお店でトンカツが名物らしいが、広田湾でとれたホタテの卵とじ丼を食べる。おいしかった。ホタテが収穫できるようになったのはうれしいことだ。
国道をくぐり29番 普門寺へ。観音堂で法楽。気仙大工の粋をこらした三重の塔がすばらしい。脇に地蔵堂を建てている。高田松原の松で彫ったお地蔵さんが奉納されるそうだ。芸大の藪内先生門下の方々が三体彫られたという。次回が楽しみである。ご住職は不在であったが、奥様がいらっしやった。津波の時は外出し車に乗っており、たまたま普段と違う道を走っていたため、かろうじて命が助かったそうだ。その恐れが生々しく町にはなかなか足が向かないという。
近くの氷上神社へ。奥様がいらっしゃりお話しいただく。御朱印については、冰上神社と記された印を押すとのこと。サンプルとして押していただく。オロナミンCをいただき元気はつらつ。
2時に麟祥寺さまと約束。高速で山越えし、なんとか2時着。講演会へのご詠歌講出演依頼が用件であった。ご住職は、ありがたいお申し出ではあるが、まず札所の金剛寺さんや浄土寺さんにお声を掛けたほうがよい。被災された寺院が出た方が講員さんの励みにもなるのではないかとのお言葉を頂く。やわらかな心に触れ納得、もう一度考えることとする。この日は、新盆の家の方が旗を寺に取り来る日に当たっているそうで、旗の作り方等を親切に教えていらっしゃった。この辺りでは、新盆の家は杉の木を庭に立てるそうだ。高い方が良いというので屋根の上に立てる地域もあるという。その木の上の方には左右に枝を残しておき、そこにご先祖様が止まって家の中をのぞき見るのだという。興味深い。境内にチェーンソーアーティストが製作した龍の彫り物があった。
今日の最後は大船渡中学仮設住宅。車を降りるといきなり佐藤さん親子と会う。吉水さんは、自治会長の家に行きお話を聞く。我々は集会所にて黒潮レデイースのみなさんと楽しくお話。マップもどこかに貼ってもらおうと一部進呈。講演会も黒潮に動員を掛けることに決定。5時近くまで伺い、風呂へ。この日も屋台村にいく。いつも通りの展開に。
8月2日 竹野さん宅…22番 長谷寺…長圓寺…3番 古谷観音堂…5番 上長部観音堂 …圓城寺…6番 馬頭観音堂…7番 観音寺…9番 羽縄観音堂…8番 延命寺 …30番 大石観音堂…光照寺…気仙大工左官伝承館…盛駅…カメリアホール …風呂…竹野さん宅 |
早朝ランニング。リアスホールや大船渡夢ネットの辺りまで走る。ローソンの朝食常のごとし。
7時半過ぎに着き22番 長谷寺観音堂で朝の勤行。1000年前の絵馬など堂内を見学。のんびりと時を過ごす。8時に総代の田中さんが車椅子で来られる。数年前にトラクターの下敷きとなり九死に一生を得たとのこと、気仙三観音と坂上田村麻呂との関係や縄文時代の貝塚がたくさん発見されていること、地元の人たちがお堂を守ってきたこと、境内の草むしりも誰かがやってくるていること、月に一度法要を行い最近では20名を越える人が集まっていること、地震の影響か、本堂が雨漏りし屋根瓦の吹き替えに3000万掛かること、子どもの頃の長谷寺境内は、池があり飛び石伝いに観音堂に行ったこと、庭にある松は以前、池の中の島にあったことなど暑いなかいろいろお話しいただいた。
そして、収蔵庫の鍵をあけ、十一面観音さまを拝む。平安末の作。大きな仏像で威厳がある。阿弥陀様、もうひとつの観音様など。法楽を捧げた後、ゆっくりと拝観する。本堂も拝ませていただき、大日如来、弘法大師像を拝する。田中さんにお礼を申し上げ、長谷寺を後にする。
今井さんは今日中に帰郷しなければならず、盛8時発の一ノ関行きバスに乗車予定であったが、長谷寺の観音様をどうしても拝みたいという熱い思いから、午後のバスに変更する。
東海新報の朝刊に霊場マップの記事が 載っているという。購入するとカラー写真のペイジに大きく扱われている。黒潮レディースからは、東海新報は記事が詰まっているので、載るのは何日も後とい われていたが、いくつもの記事を飛び越して我々のいる間に掲載してくれたのだろう。この活動に対する佐々木さんの思いを感じた。そにしても今井さんがまじめな顔でよく写っている。
高速で陸前高田市へ。荒涼たる海岸べりを走り、気仙大橋を渡り、長谷寺住職が住む長圓寺へご挨拶。地元の者はお檀家さんの対応でなかなか他のことができない現状であり、東京の方に地元の霊場に心を掛けていただきありがたいとのお話を頂いた。この後もすぐ檀務があるとのことで、失礼する。国道を離れ3番 古谷観音堂へ。門の上に横に枝を伸ばす立派な松が目印。前回はお嫁さんとお会いしたが、この日はおばあさんと初対面。東海新報に霊場の記事が連載されたときは、大型バスでお参りが来たこともあったし、日に10人きたこともあったとか。そのとき何かお参りした印がほしいと所望され、観音堂を刻したスタンプを作成したと見せていただいた。今も知らぬうちにお参りに来る人で、お堂の壁にご詠歌を記した短冊を画鋲で指していくのが、たまらなくいやだ、とおっしゃる。母屋後ろの高台にあるお堂をお参りしたとき、画鋲を外し短冊をまとめておく。深く画鋲を刺しているため、とるのに難渋する。お見送りいただき、5番 上長部観音堂へ。
津波にやられた長部港は、だいぶ道も良くなっていた。船が停泊できるよう護岸が整えられた。しかし、津波で破壊された堤防は変わらず。川沿いの道を走り、家が無くなりかけた辺り左に折れ、上長部観音堂。鳥居をくぐり山道を数分立派な観音堂が。お参りをしたという満足感を得られるお堂である。
マップをお渡しし圓城寺へ。金剛寺小林ご住職がいらっしゃる。マップたいへん喜んで下さる。金剛寺ご詠歌講の講演会出演依頼を申しあげたところ、ご快諾いただく。ちょうど講の服を新調し、法具はご本山よりご寄付いただいたそうだ。発表の場があると活動の励みになると言って下さった。木揚の節で金剛寺さんのご詠歌とその他2曲程度、15分程度とお願いする。高野派の先達さんが巡礼の方々を連れてお参りに来ていた。
6番 馬頭観音堂は、おばあさんが耳遠く、なかなか細かいところまで伝わったか心配だが、とりあえずマップはお渡しする。7番 観音寺は、ご住職に直接マップをお渡しする。
お昼は前回も来た羽縄観音堂前の中華食堂熊谷。担々麺を食す。上品なうまさ。9番 羽縄観音堂にて法楽。管理者の方に電話をし、お堂前の建物玄関にマップを置いておく。まだ直接お会いしていない。それから近くの8番 延命寺へ。いつもお留守だったが、この日は奥様がいらっしゃる。外に出ていることが多くなかなかつかまらないと仰っていた。よいタイミングでお会いできた。30番 大石観音堂でマップをお渡し、すぐ前の仮設に立ち寄り、浄土寺の奥様とお会いする。ご住職は不在。光照寺に向かい、ご住職と歓談。速やかにマップが発行できたことを喜んでいただける。32番 坂口観音堂は来年から再建の予定だそうだ。2時半すぎにおいとまし、今井さんを一ノ関行きバスに乗せるため、市役所前のバス停に送る。涙のお別れ。
念願の気仙大工左官伝承館に向かう。箱根山中腹にある施設に向かう道は急坂だ。4時少し前に着いたが、4時閉館。残念。その足でカメリアホールの予約。30日はふさがっており、23日はOK。大ホールを予約する。会場費は1万も掛からない。定員最大350人。中学校の講堂程度の大きさで丁度良い。ただし、椅子の出し入れは自分たちで行わねばならない。
すぐ前の盛駅のコミュニティーサロンに行くと、今日、東海新報に載っていた方ですよね、と話しかけられる。このサロンで働いている方とのこと。この地震で人生が狂ってしまった人がたくさんいる。仮設から夜逃げ同然に突然いなくなってしまう人がいること。会社が倒産してしまい再就職ができない人がたくさんいること。すでに立派な家を建てて住まっている人もおり、経済力の差があらわになっていること、また自分も大変な思いをしたにもかかわらず、震災直後、大船渡中学が遺体置き場になっていたかさえ定かでないくらい、当時のことをどんどん忘れてしまっていることなど腹の中にたまっていたことをお話された。重いお話だった。
本日の行動は終了。お風呂、そして屋台村ではなく住宅地の中に新たに出した店に。震災前は、スナックを開いていたそうだ。お客が少なくゆっくり静かに話ができた。
8月3日 タケノ文具にて朱印作成についての打合せ…11番 常光寺…12番 平栗福寿庵 …光勝寺…満蔵寺…浄福寺…長桂寺…城玖寺…坂本堂…遠野駅…新花巻駅…上野駅 |
朝は各部屋の掃除をしゴミをまとめ、7時半過ぎにタケノ文具へ。角印と本尊の印の個数を確認しお願いする。角印は一つ4000円。本尊の印は大きさで値段が決まるそうだ。8000円以下ならお願いすることとして発注。鍵をお返しする。またまたお世話になってしまう。
この日は住田町の霊場を残すのみ。陸前高田を通り過ぎ11番 常光寺へ。ご住職がいらっしゃらず奥様にマップを渡す。そして12番 平栗福寿庵へ。美しいお堂である。法楽の後、管理者の方のお宅を訪問するが、ご主人は裏の田んぼの側面の藪を刈る作業をしており、機械の爆音で声が届かず。奥様にマップを渡す。そして、住田町役場へ。佐々木さんにマップ130部を渡す。お配りいただけるそうでありがたい。図書室でしばし歓談。
住田の中心部には蔵が多く建っている。以前は木材の集積場として人と金が集まってきた所だったのだろう。その裏通りに光勝寺がある。現在無住の真言宗の寺院であるが、境内にはすぐに住めそうな庫裏が建っている。ここは地元の学校で教員をしながら『気仙三十三観音のしおり』を執筆した根来広範さんが住職をしていた寺である。根来さんは、地元で根来先生と呼ばれる。住田の郷土史に関わる本も多数出版しておられる。一度お伺いしたいという思いがかなった。
並びには14番 満蔵寺。この日は新盆の方の法要があるらしく、以前お会いした方ともう一人僧侶がいた。はじめてお会いする方はひとさじの会をご存じなので、はてなと思ったが、なんと延命寺のご住職であった。その節はお菓子を頂いて…などと会の名前を覚えていていただいた。さらに向かいの浄土真宗大谷派の浄福寺へ。13番 向堂観音堂の管理をなさっているお寺である。あいにくご住職は不在であった。奥様とお話しする。
そして16番 長桂寺に。体調を崩されているという息子さんもこの日は元気そうだ。お菓子をたくさん頂戴する。いよいよ、あと少しで満願。17番 城玖寺は不在のためマップを置いておく。18番 坂本堂で満願。子どもがじっと我々を見つめている。おばあさんにマップを渡す。最後に五葉舎に行き佐々木さんのお兄さんとお会いできるかと思ったが不在。阿弥陀様を彫っていらっしゃる。
お昼前に行動終了。遠野へと向かいレンタカー返却。ジンギスカンの有名店までつれていっていただく。しこたま食べて帰京。
(文責 福田亮雄)