活動報告(5)2012年10月

期 間:10月22日(月)~10月25日(木)

 

10月22日

上野駅…新花巻駅…遠野駅…大船渡中学仮設住宅…要害観音堂…タケノ文具

 今回は、「気仙三十三観音霊場への招待」と題する講演会実施がメインとなる。3月からスタートした再興プロジェクトも、マップの発行、HP作成、朱印の作成、そして、講演会の企画と観音様に背中を押されるように、というより手を強く引かれるように、次から次へと予定された事業が実施できた。今年のしめくくりがこの講演会である。限られた枚数のマップをいま必要とされる方へお配りをするにはどのような方法があるのかという思いから発案されたものであった。カメリアホールも、収容人員350名という身の丈にあったホールである。当日の天気予報は、雨。さて、どれくらいの方が来ていただけるのか。ちょっと心配しながら上野を出発した。

 

 全行程参加は、吉水さんと私、講演会までが、今井ご夫妻と金田さん、講演会日帰りが工藤さん。みなさん忙しいスケジュールの中参加いただいている。吉水さんと私は遠野から住田へ。他の方々は一ノ関から住田へと2班に別れて行動することになる。

 

 遠野でレンタカーを借り住田へ。ekワゴン。遠野でカッパ捕獲許可証更新。30分で赤羽根峠、トンネルを抜けるとすぐに坂本堂である。もうよく見知った土地に入ったという安心感がある。13時住田町の「麺太」にて合流。みなラーメンを食べているところであった。やはり遠野経由での時間ロスはあまりないようだ。住田町役場に観光協会の佐々木さんをお訪ねするがいらっしゃらず。13時半に加茂神社で朝日新聞記者の森本さんと待ち合わせをしているので、急ぎ出発。この3日間は森本さんと基本的に一緒に行動することになっている。この日は、大中仮設の平山さんから、津波で亡くなったご近所の方が夜な夜な知り合いの夢枕に立つので法要を行って欲しいとの依頼があり、まず、加茂神社近くの亡くなった方の家があったところで、その後大中仮設にて法要を執り行うことになっている。

 

 13時45分合流。車を下りるとそこに東海新報の佐々木さんが立っている。なんでも車の中から我々が立っているのが見えたとのこと。前回も、たまたま入ったラーメン屋で佐々木さんとお会いした。本当に不思議なご縁がある。屋台村の入口の所マイヤの看板があるところが平山さんのお宅があったところ。今は更地になっており、木でフタをされた井戸が昔のなごりを留めているのみだ。その2軒ぐらい向こうが亡くなった方のお住まい跡。15名ほどであろうか、ご近所の方が集まっている。更地にブルーシートが敷かれ、花瓶に菊の花が活けられている。すぐ脇の仮設店舗の布団屋さんが、打ち直しで運ばれた掛け布団を座布団代わりに提供してくれた。みなさんはベンチを出し座っている。公民館も流されてしまったけれど、天井のない公民館だと笑って話していた。頭上には青空が広がり、向かいには船のドック、その向こうには山並みが横たわっており、海の上をカモメが行き交っている。

 

 少し前までは家がビッシリ建ち並び、海や山並みなど見えなかったのかもしれない。しかし、いまは町すべてが流され、ただただガランとした風景が広がっている。メンバーでお念仏と光明真言をお唱えする。最後にみなさんでお念仏。ご近所さんたちも今は別々の仮設で住まっているそうで、こうして皆が会うのは久しぶりとか。なんでも、津波が来るというとき、亡くなった方に声をかけることができなかったそうだ。もしあのとき声をかけておけば…。その後悔がみなさんの胸にしこりとなって残っているという。三々五々解散。

 

 我々は大中仮設へ。14時35分。集会所には10名程度だろうかばあちゃんたちが集まっていた。顔なじみの黒潮レディースの方の顔も見える。気仙三十三観音の期間限定番外霊場である大中仮設の観音様に祈りを捧げる。

 

 

 

 

 

 その後、焼き芋や森さん手製の「なべやき」、おしんこなどをご接待いただく。津波から逃げているときは、あえて回りを見ずにひたすら坂を登ったことや屋根の上に登り助けてくれと叫んでいた人が助かったことなどを話す。ようやくあのときの話ができるようになってきたのだろうか。

 

 

 

 

 要害観音堂の管理者の方と4時に要害公民館前で待ち合わせをしているので、15時50分大中仮設出発。16時22分要害公民館着。仮設住宅にお邪魔する。おばあさんがいらっしゃり、在りし日の要害観音堂が写っているパネルをご用意いただていた。お堂前の百日紅の大木が写っていたが、花盛りはさぞかしキレイだったろう。がれきの中から発見された観音様を拝観する。一体は昨年の3月終わり、もう一体は4月になってから見つかったそうだ。秘仏の兜仏は5センチ程度の金銅仏、武将が戦地に赴くとき、兜につけたものだそうだ。以前盗まれたことがあるそうでもう一体同じような兜仏を作ったとか。双方とも発見された。お前立としてあった2体の観音様は、一体は不明、厨子については上部が紛失してしまった。60センチ程度の観音像は泥をかぶってはいるものの、手が少々欠損している程度で大きな損傷はない。それにしてもよくがれきの中から現れてくださった。古文書のコピーがあったが、江戸末の文化の頃、修験者立ち会いの下秘仏を開帳したという内容のようだ。この文書も流されてしまったのであろう。

 

 管理者の方は、新築してすぐに家が流されてしまったとのこと。高台の移転地も一応決まったものの、まだまだ道路の整備等で時間がかかりそうだという。ゆくゆくは家の隣に小さいながらも観音堂を建てたいとお考えだ。仏像修復やお堂の建築について援助いただけないかということであった。仏像修復については、被災地復興支援ファンドに応募するので、その事業の一つとして項目立てすることを約した。お堂の建立については、来年四月に両国回向院で開かれる長野善光寺様のご開帳で集められた浄財が振り分けられるよう、橋渡しをしたい旨を申し上げた。あわせて、回向院でのご開帳に要害観音堂の観音様をお出ましいただけないか打診した。観音様の御前で法楽、高らかにご詠歌もお唱えした。お茶をご馳走になって失礼する。辺りは5時半。すでに暗い。

 

 6時タケノ文具店にご挨拶。家の鍵をお借りする。タケノ文具では大船渡の被災松を使ったしおりやハガキを販売する「ぼんずプロジェクト」を立ち上げ、店頭で販売していた。出開帳のとき販売できるよう働きかけたい。

 

 森本さんは、霊場取材の際、最近お参りに来る人が増えたという話を聞いたという。マップの効果か。うれしい話しだ。6時40分いつもの風呂。7時20分風呂出発。屋台村の「なかむら」へ。常のごとし。この日はクライマックスシリーズで巨人が勝ち、日本シリーズへの出場を決める。今井さんはテレビ観戦に集中し、勝利の瞬間はとなりにいた電気会社の社長と抱き合って喜ぶ。激しく盛り上がり帰宅。帰宅後、秘密の話でさらに盛り上がっていた。

 

10月23日

竹野さん宅…22番 長谷寺…カメリアホール…帰宅して作業

…カメリアホールにて講演会…23番 田端観音堂…西光寺…風呂…竹野さん宅

 6時半起床。クリアファイルにアンケート用紙、マップ、巡礼のしおり、鉛筆の挟み込み作業。7時半にはいつものローソンでうどんかそばの朝食。8時に長谷寺に向け出発。8時半の約束であったが、早々と総代さんが扉を開け明かりを付けお待ちいただいていた。雨。皆で平安時代作の十一面観音さまをはじめ諸尊を拝観する。金田さんと順子さんははじめて。森本さんもいたく感激している。木訥な仏像に味わいがある。総代さんは、ひとさじの会の名を知っていて下さり、午後の講演会にも来てくださるとのこと。

 

 収納庫の観音様の御前で法楽。前回お世話になった総代さんが車いすでわざわざ車道の所までおいで頂いている。前回、雨漏りのため修繕すると話されていたご本堂は、屋根の葺き替え工事が開始されていたのでそのお話しをする。銅葺きにするそうだ。東海新報の佐々木さんのお母さんは、ご近所で長谷寺に毎月お参りなさっていたとのこと。しばらく雨の中こちらを見守ってくださっていた。観音堂前に銅板のご寄付が記されてあったので一枚お願いする。2000円也。森本さんは、ここに半日でもいたい。これでは取材にならないとテンションが上がっていた。ちょっとカメリアホールに立ち寄り確認。帰宅して作業の続き。200部以上はセットを作る。

 

 翌日10時半。荷物を車に積み込み出発。途中昼食をコンビニで購入。雨脚強くなってくる。これで人が来てくれるのか。11時到着。まずパイブ椅子を160脚並べる。これでも結構ぎっしり。受付の机、壇上に机・椅子と毛氈、演台準備。照明。プロジェクター確認。吉水さんがパワーポイントで写す講演会の次第を作成している。12時前に受付をお願いしていた黒潮レディースのみなさん来場。工藤さん、服部さんも到着。12時半前に金剛寺ご詠歌講のみなさん到着。金剛寺ご住職に壇上を見ていただき、布団を6枚お借りすることにした。

 

  ぽつりぽつりと来場者がいらっしゃる。ご詠歌のおばあさんたち32名、浅草の手ぬぐいを記念品として差し上げる。雨は少し小降りになってくる。やがてぞくぞくとおいで頂く。観音寺さま、常光寺さま、長圓寺さまという真言宗智山派の霊場の寺院のご住職とご家族、延命寺さま、光照寺さま、麟祥寺さまの奥様、稲子沢観音堂さま、舘下観音堂さま、長谷寺の総代さんお二人、陸前高田観光物産協会の3方、三日市のお念仏のおばあさん4 人、五葉舎の佐々木さん、現地NPOの竹内さんら5人、大中仮設ご一行様など3月以降ご縁が結ばれた多くの方々が雨の中お越し頂いた。ただただありがたいの一言につきる。座席が一杯でさらに椅子をだすことに。最終的に176名。カメリアホールぎっしりであった。会が始まるまで、写真をスライドで流す。

 

 13時半開始。司会は吉水さん。はじめに私が15分程度、ひとさじの会の紹介、気仙三十三観音再興プロジェクトをはじめるに至った経緯、実施した事業の報告、そして観音霊場を巡礼する意味合いについてお話しした。観音霊場巡拝のキーワードは「出会い」であり、観音様との出会い、亡くなった方との出会い、地元の歴史文化との出会い、自分自身との出会い、地元の方々との出会いといった様々な「出会い」が経験できる行いであることを申し述べた。次に工藤さんより、10分程度、気仙三十三観音HPについての紹介があった。パソコンをお持ちでない人も多くいらっしゃるので、次回はパネルを準備しようということになった。

 

 そして、ご詠歌奉詠。一旦緞帳をさげ舞台へ。靴を脱いで毛氈にあがるので時間が掛かる。金剛寺ご住職より以前は60人以上も講員いたが、今は40名程度になってしまったことや参加が決まってから毎週集まって練習したことなどが話されたそうだ。私は舞台袖でおばあさんたちの靴の整理等を忙しく行っており聴くことができず残念。1番泉増寺、2番金剛寺のご詠歌ともう一曲、計三曲。精一杯のご詠歌。所作も声もばっちり合っていた。

 

 なんでも、住職は初めて聴く人も多いので、そんなに頑張る必要はないといったそうだが、いやいや出るからにはもっと上手く成らねばとの声が強く、毎週練習したという。住む場所が遠くなったりとちょっと精神的な距離も遠くなってしまったが、久々に皆と会ってすっかりと楽しくなり、以前全国大会に出たときのような一体感が出てきたそうだ。帰りのバスでは、満員の聴衆の前でお唱えでき「いや~楽しかった」と大勢が言っていたそうだ。本当に良かった。アンケートでも、家が真宗なので初めてご詠歌を聴いたがとてもよかったという意見や、子どもの頃におばあさんやお母さんが仏壇の前でお唱えしていたことを思い出し涙がでた、という意見など大変好評であった。

 

 最後に東海新報社の編集長の佐々木克孝さんより「気仙三十三観音めぐり心の旅」と題した講演を頂いた。子どもの時の霊場とかかわりや、なぜ「祈りの道」という記事を書くようになったのか、書いていく過程で観音様に書かされているのではないかとおもったことなど、ときには笑いも交えお話しいただいた。

 

 終了は予定通り3時。アンケート箱を抱えつつ、雨の中お集まりいただいた方々にお礼を申し上げた。表で、金剛寺ご詠歌講のご一行様、大中仮設ご一行様、長圓寺宮城さん、車いすでおいで頂いた長谷寺総代様をお見送りした。片付けは、竹内さんをはじめNPOメンバーにもお手伝いいただきあっという間に4時に終了。

 

 時間があるので23番 田端観音堂の管理者の方へ朱印をお届けする。ご自宅にちょうどいらっしゃってご説明できる。田端観音堂にも行き、お参り。津波が及んだフェンスが前来たときより、道側に倒れかけていた。ご縁日の日に一同伺いたい。盛の浄願寺さんの駐車場で金田さんらとお別れ。

 

 西光寺さんとのお約束は6時なので、大船渡観光物産協会にご挨拶。配布資料をお届け。みなさん出張とのことでおひとりのみ。顔を覚えていてくださる。次に大船渡市役所へ。

 

 5時40分西光寺さまへ。ご住職いらっしゃる。再興プロジェクトのこと、善光寺の出開帳のこと、善光寺の気仙地域支援についてお話しし、善光寺如来を境内に作らせていただけないか打診をする。像の大きさから材質、お堂を造るのかなど漠然と雲を掴むような話だと前置きがあったが、昭和8年の津波記念碑、チリ津波の祈念碑が境内にあることもあり、何かしなくてはならないと思っていたと前向きにお答えいただいた。具体的な話はこれから詰めていくこととし、年末にでも回向院副住職をお連れし、細部を詰めていくことを約した。とてもやさしい目をしたご住職でとても感じの良い方だった。一時間ほどお伺いし失礼した。

 

 その後は常の如くオーシャンビュー丸森にて入浴。道がガランとして不思議な雰囲気の夕べだった。屋台村もひっそり。「青い海」に初めてはいる。カウンターのみの小さな店。一組のお客さんは、浄土寺のご住職と友だちだそうですっかり盛り上がった後、ご住職に突然電話。地酒酔仙も自前の藏が大船渡の猪川に立ち上がった模様。復興への一歩だ。

 

10月24日

竹野さん宅…3番 古谷観音堂…5番 上長部観音堂…圓城寺…2番金剛寺

…30番 大石観音堂…9番 羽縄観音堂…正覚寺…6番 馬頭観音堂…圓城寺

…光照寺…小館観音堂…東海新報社…風呂…竹野さん宅

 6時半起床。朝飯前に西光寺さんまで散歩。津波祈念碑を見に行く。昭和8年の記念碑には以下の教訓が刻まれる。「一、想起せよ。昭和八年三月三日 二、大地震の後には津波に注意せよ 三、三、四十年に一度は津波が来るものと思え 四、急に潮が引いたら警鐘ならせ 五、警鐘きいたら高いところに」。住職は福岡に出張のため3時半に出かけたそうだ。昨日お会いした奥様としばし談笑。西光寺の庫裏は稲子沢の建物を移築したとのこと。

 

 いつものローソンで朝食。森本さんと合流。この日は高田の霊場に朱印を配る。まず、3番 古谷観音堂へ。おばあさんお留守。裏の観音堂で法楽。森本さん勝手にお堂に入っていいのですかとお尋ね。堂内で法楽。いやはやこの雰囲気がいいですね、としきりに感心。次は5番 上長部観音堂。またまたお留守。山の中の観音堂にて御法楽。ここもしびれますねとさらに感心。

 

 津波で流された2番 金剛寺を見た後、橋を渡り30番 大石観音堂へ。ご主人がいらっしゃる。ちょっと家に上がり朱印と資料、しおりをお渡しする。朱印は以前からあるそうでみせていただく。気仙三十番という印あり。縁側に安置された観音様の前で御法楽。高田の街を見下ろしながら、先日聞いた津波の話をする。

 

 次は10番 正覚寺。あいにくお留守。ご本堂で御法楽。ご住職に置き手紙を残す。33番 浄土寺のものと正覚寺のものとを置いておく。法然上人の頭に特徴があることを教えてもらう。8番 延命寺は、講演会の時にお渡ししたので、9番 羽縄観音堂に。今年3月、ここから霊場巡りがスタートしたのだった。お堂の前で御法楽。お留守なので一式を堂内に置いておく。

 

 ちょうどお昼時なので、高田駅前食堂熊谷へ。これで三度目。担々麺ではなく、ラーメンにする。午後はまず6番 馬頭観音堂。おばあさんの耳元で大きな声を出し説明をする。ご理解いただけた模様。一式を置き、向かいの山腹にある観音堂へ。線路を渡るがいまは被災し、走っていないのだ。ここから、足を伸ばし圓城寺へ。ご住職に昨日のお礼に伺う。なにかご協力したいとおもっていたが、このような形でご協力できよかった。ありがとうございました、と心からのお礼の言葉を頂きまことに恐縮である。お焼きのような皮にくるみ餡が入った「かまもち」をいただく。金剛寺さんの震災直後の様子、また震災前の様子が写った写真をCDに焼いていただく。また10月初めに行われた気仙三観音ご開帳の際、お堂で流していた三観音についての説明CDを頂く。ここで森本さんともお別れ。かれこれ2時間もお邪魔しただろうか。親戚の家にいるようなくつろぎぶりだ。我々も信頼を得たのだなあと感慨深い。

 

 3時に失礼し、光照寺へ。住職と少々お話し。体をすりつけてくるネコがかわいい。一式お渡し。これから観音堂を建てる予定地がまだ決まらないとのこと。昔のお堂を再現するとなるとかなり広い場所が必要となるそうだ。ところで、気仙三十三観音を開いた佐々木三郎左右衛門の墓がここ光照寺にある。古い墓がいくつもあり字がなかなか判読できないが、そのうちのどれかだそうだ。また、霊場が盛んになってくるとあれこれ言葉巧みに不安をあおりお札を売ったりする者があらわれてくるのではないかと危惧されていた。確かに重要なご指摘である。この日最後の霊場となる25番 小館観音堂の管理者のお宅に伺う。お留守で玄関口に一式置かせていただく。

 

 帰りに東海新報社に立ち寄る。あいにく佐々木さんはお休み。佐々木さんが紙上に「祈りの道」の記事を連載していることを聞いたので、掲載されている物をすべて購入する。

以下常のごとし。風呂に入った後、近くの店へ。

 

10月25日

竹野さん宅…19番 稲子沢観音堂…20番 舘下観音堂…大中仮設…東海新報社

…陸前高田市役所…11番 常光寺…12番 平栗福寿庵…浄福寺…

13番 向堂観音堂…麺太…16番 長桂寺…17番 城玖寺…18番 坂本堂

…五葉舎…遠野駅…新花巻駅…上野駅

 6時起床。各部屋の掃除をしゴミをまとめ、荷物を車に積み込み、いつものコンビニへ。竹野さんにお礼を申し上げ鍵をお返しする。お部屋にあげていただきしばし談笑。大きな仏壇の間があり朝のお勤めを致す。

 

 9時にちょっと大船渡市役所へ。そして9時すぎ19番 稲子沢観音堂へ。講演会にも来ていただいたのでお礼申し上げる。ご主人は大船渡の彫刻会に所属しており、稲子沢の善光寺観音様を模して自ら像を彫られた。数日後に展覧会がありお地蔵様を出展するそうだ。みせていたただいたが、3月ほどで彫れるそうだ。お堂を開けていただき御法楽。20番 舘下観音堂はちょうどご夫妻が家を出られるところで、お堂の外で御法楽。一式お渡し。すぐに失礼する。10時過ぎに大中仮設に。受付の仕事及び大勢参加していただいたお礼を申し上げる。みなさん三々五々集まってきたところで、これからいなり寿司を作るそうだ。みなさん「サプライズ」と言って喜んでくれた。番外霊場の観音様に法楽を捧げる。10時40分に出発。もういちど東海新報社へ。佐々木さんにお礼。講演会の宣伝が掲載されていた新聞を頂く。

 

 陸前高田市役所で大和田さんに印をお渡し。まだお堂の再建場所も決まってはいないのにこのようにいろいろご支援いただいて…とどこまでも真面目な方だ。陸前高田市観光物産協会にマップとしおりを置き、配布をお願いする。実吉さん不在で残念。

 

 11番 常光寺にしおりをお渡し、12番 平栗福寿庵は不在で玄関に一式を置く。13番 向堂観音堂を管理なさっている浄土真宗大谷派浄福寺さまをお尋ねする。初めてご住職とお会いしたが、温厚な方で安心する。向堂にしおりを置き法楽。12時半ちょうどお昼時の忙しい折だったが麺太に立ち寄り朱印をお渡しする。奥様にとても喜んでいただく。16番 長桂寺はご住職ご不在であったが、奥様に「ほたてもなか」頂戴する。17番 城玖寺は不在。18番 坂本堂おばあさんがいらっしゃる。お堂で法楽をし満願。

 

 五葉舎に行き佐々木さんとゆっくりお話しする。住田で生活をしているゆえに何か地元のためにしたいと高田松原の松で白衣観音様を彫ったのだという。身の丈160センチぐらいか。中をくりぬきひび割れを防ぐという作業を行っていた。その他、修業時代に彫った観音様、いま製作途中の阿弥陀様などみせていただいた。とてもお顔がきりりとして美しい。岩手には仏師が3名しかいないとのこと。本場の京都とは違い手間賃も高く取れず大変だと言っていた。震災以降、千手観音の手の修復なども手がけたという。立山観音堂はいまだ観音様が見つからない。ゆくゆくお堂が立ち上がったとき、是非地元の仏師の方に像を彫っていただきたい、と思う。だいぶ先のことになろうがそのときは是非協力したい。地元のボランティア活動も行っているそうなので、気仙三十三観音巡拝ツアーなどいかがですかとご提案申し上げた。お手製のクッキーをいただきながら小一時間お話しする。

 

 3時過ぎに遠野到着。次は5時の電車なのでゆっくり食事。とおもったが、昼間から開いている店が少ない。ようやく探しゆったりと食事をとる。吉水さんは翌日山形で講演のため仙台にて下車。私は9時半に帰宅。

                                                        (文責 福田亮雄)