活動報告(6)2012年12月

期 間:12月10日(月)~12日(水)


12月10日

上野駅(9:46)…一ノ関駅(12:13)…気仙沼経由大船渡へ…浄願寺にて別事念仏

… 竹野さん宅

 上野駅中央改札口9時半集合。今回の気仙行きについて、いろいろ手配してくれた金田さんが所用で参加できなくなったが、律儀にもわざわざ見送りに来てくれる。今回の主な目的は、①浄土宗浄願寺さまでの別事念仏、②浄土真宗西光寺さまへ善光寺如来安置についてのお願い、③真言宗金剛寺さまへ如意輪観音さま出開帳のお願い、④要害観音の聖観世音菩薩像修理依頼、⑤江刺三十三観音霊場のお参り、である。

 

 新幹線はみちのく路をひた走るが、宇都宮から福島は雪、そして仙台からは晴れ間が見えはじめる。一ノ関はうっすら雪が積もっている程度。時間がおしているため駅蕎麦で昼食。デミオを借り気仙沼経由大船渡へ向かう。ちょっと遠回りではあるが、雪のある季節は、峠越えが無く一番安全なコースだ。峠越えは晴れていればあまり問題はないが、雪の場合は危険である。車は快調に走り気仙沼市内に入る。よくニュースで取り上げられる町中に打ち上げられた大きな船がいまだ放置されたままだ。津波に襲われた地域には、まだ家の土台が残っており、更地になっていないところが多い。かれこれ震災から1年と9ヶ月。元の生活を取り戻す端緒さえ見いだせない人もたくさんいる。高台を走る国道からは、美しい海岸線が見渡せる。大船渡の自慢は美し海だ、といっていた地元の方を思い出した。そろそろ陸前高田が近い。気仙の観音霊場のある地域に入ってきた。何度も走っているのでなじみがある景色だ。こちらを始めて訪れる方もいるので、あれこれ説明をしながら高田の町を走り抜ける。がれきの山がこの2ヶ月の間にだいぶ小さくなったように思われた。といっても、病院や高校などの公共施設の大きな建物の取り壊しはようやく始まったところ。

 

 予定通り3時前に大船渡の盛にある浄土宗浄願寺さまに到着。入口には震災で亡くなった方の追善のための鐘楼が造られている。毎月11日には解放して自由についてもらうのだと聞いた。この日は、別事念仏である。書院で衣帯を整えご本堂で準備をする。椅子を外し、木魚などを移動させる。天井が高く寒い。檀家の方が6人、いつも伺う大中仮設の方2人、現地で活動されるNPOの方々方4人。そして我々が7人。4時少し前からご本尊前のお灯明のみの明かりの中お念仏が始まる。日が沈むにつれ徐々にお堂の中が暗くなっていき、闇の中に阿弥陀様のお姿が浮かび上がる。30分ほどしてから吉水さんの御法話。それから途中30回の礼拝があったが、ただひたすらお念仏。暗い堂内に「南無阿弥陀仏」の声が、混じり合いうねり、そして響きあう。お念仏が体に染み入るようだ。1時間半ほどお念仏を申し、ご住職のご挨拶。もう声が涸れ気味である。為先会は年に一度、7日間ひたすらお念仏という会を行っている。そのひたむきさに頭が下がる。最後は今井英之会長のご挨拶で締める。6時半すぎに浄願寺を出る。

 

 竹野さん宅に荷物を置いてから、屋台村「なかむら」へ。いつも大船渡の初日はここと決まっている。魚をいろいろ食べる。ご主人にお土産まで頂いてしまう。

 

12月11日

竹野さん宅…長谷寺…大船渡中学校仮設住宅…西光寺…四海楼

…陸前高田市観光物産協会…圓城寺…麺太…五葉舎…竹野さん宅

 6時半起床。いつものローソンでうどんかおそばの朝食。8時前に出発し長谷寺へ。8時半の約束である。ちょっとはぐれてしまった車もあったが、予定通り8時20分には長谷寺へ。総代長さん、総代さんが早々と収蔵庫の扉を開けておいてくれる。お二人とも10月の講演会にはご参加いただき、顔を覚えていて下さる。本多さん、渡部さん、鍵和田さんは初めて平安時代の観音様とご対面。収蔵庫の中で皆で法楽を捧げる。木訥とした仏様はなんとも味わいがある。さまざまな仏様にご挨拶をする。総代長さんとしばし歓談。10月に訪れたときは、ご本堂の屋根の葺き替え工事が始まったばかりで、中の畳みを上げ終わったところであったが、あれから2ヶ月。銅葺きの屋根がほぼできあがっていた。「これであと100年は持つでしょう。私の代で本堂をダメにしてしまうわけにはいかないですから」にこやかにおっしゃった。地元には「長谷寺を守る会」が発足し、より多くの方々に関わっていただける仕組みができたそうだ。銅板のご寄付をする。観音堂にも入りお参り。9時、お礼を申し上げ失礼する。

 

 9時半すぎに大船渡中学仮設着。黒潮レディースの方々が集まっていらっしゃる。15人ほど。集会所は壁に貼ってあった励ましの手紙やら写真などが整理され、すっきりとする。まず、番外霊場の観音様、またその向こうに広がる海に向かって皆でお念仏をお唱えする。ここにくるとお参りするのが当たり前になった。その後、米粒に「南無阿弥陀仏」と名号を記されたものをお守りとしてみなさんに差し上げる。長野の古田上人が書いて持たせて下さった。おなじみの方は、15日に仮設を出られるとのこと。立根町にお住まいが建ったそうだ。「今度来たときは寄ってね」と住所を教えてくれた。年が変わるというのはひと区切り。その区切りで、仮設を卒業していくか方もいるのだろう。「仮設には来たいけど遠くなるからなかなか来ることができなくなって寂しい」。新居に越す喜びと、仲間と別れる寂しさと…。送る側も複雑な思いを抱くに違いない。突然、夢ママからメールが入り、井上さんとちょっとご自宅へお伺いする。が、西光寺さんへの待ち合わせ時間があり、早々と失礼することに…。井上さんはこちらに残り、我々は西光寺さんへ。

 

 10月には吉水さんとお伺いし、善光寺如来を安置できないかご住職にお尋ねした。今回は、信濃善光寺出開帳の会場となる両国回向院の本多さんをお連れし、出開帳の概要、目的、そして善光寺如来を被災地に御安置する計画について直接お話しを頂いた。まず西光寺さんご本堂で御法楽。ご住職だけでなく、総代さんお二人にも集まっていただいていた。善光寺如来は、阿弥陀如来だけでなく観音菩薩と勢至菩薩との三尊の形なのでその点について少々違和感を感じいらっしゃる様子であった。ともかく、次回の総代会の議題として提案し、皆で相談するということになった。11時25分発。

 

 昼飯は国道沿いにある「四海楼」に初めて入る。以前は市役所近くに店舗を構えていたそうだが、今は仮設店舗で営業。昼時で込んでいた。ラージャー飯というのが名物らしい。12時40分発。荒涼たる海沿いの道を走る。この国道45号線は、若者が仙台にデートに行くとき必ず車通る道だったという。

 

 高田の中心部を抜け、市役所に向かう。立山観音堂の管理者の方へ朱印用紙をお渡しする。お留守なので近くの方に託す。観光物産協会に立ち寄り、12月6日に行われた第一回「気仙三十三観音霊場 祈りの道探訪」についてお話しを伺う。定員は20名、マイクロバス一台。参加費は昼食代1,000円。講師は観光物産協会の実吉さん。募集してすぐに定員が埋まってしまったとのこと。以後もこのような企画をまたしてほしいとの要望が多数寄せられたそうだ。もっともっと多くの方にお参りいただきたい。資料をいただく。12時50分発。

 

 次は、金剛寺ご住職の小林さんが避難されている圓城寺に向かう。出開帳の際、金剛寺の如意輪観音さまにお出まし頂くという計画があるからだ。こちらも本 多さんから、出開帳の計画等にについて詳しくお話しいただいた。10月の講演会の際は、ご詠歌を御報詠いただきたいへんありがたかった。すっかり親戚の家 にでも来たような親しみがある。みなでこたつに入りいろいろご接待を受けながらお話しをする。ロールケーキやリンゴやらたくさん頂戴する。金剛寺さんも年 明けの総代会で決定とのこと。ついでといってはなんだが、出開帳期間中回向院さんで行われる予定の講演会の講師をお願いできないか打診する。出開帳ともど も前向きにご検討いただけるようだ。本堂にて修復なった大日如来、弘法大師像、不動明王などを拝む。以前、バラバラになってしまった部位が集められていた 写真を拝見したが、今は修復なり彩色がほどこされピカピカだ。そして、如意輪観音さまの御厨子の扉を開けていただき御法楽。皆その美しさに感動している。 この日のうちに帰京しなければならない渡部さん、鍵和田さんはここでお別れ。吉水さん、今井さん、本多さんと私は、麺太へ向かう。わかめをおみやげにいた だき誠に以て恐縮至極。

 

 15時10分麺太着。要害観音堂を管理する熊谷さんとお会いし、がれきの中から助け出されたた観音様とともに五葉舎へ。麺太特製みそだれを頂戴する。支援活動に伺ってこんなにいただき物をしてよいものだろうか、と思いつつまたまたありがたく頂戴する。帰宅後わかめうどんにタレをかけて食べたらとても美味しかった。

 

 15時35分住田町上有住の五葉舎着。仏師の佐々木公一さんに仏像を見ていただく。仏像のクリーニングと欠けた手の修復及び厨子の上部と表の扉下の彫刻の復元を行うことになる。高田の被災松で彫った白衣観音さまは、少々彩色を施され、手に椿の花を持ち神々しいお姿でお立ちになっている。粗彫りの時に初めて伺い、中を刳り抜いているのを拝し、この日は完成相成ったお姿を拝んだ。皆感嘆の声を上げたが、熊谷さんもこのような方なら大切な仏様をお預けだきるとホッとされた様子。そして、がれきの中から発見された時の様子を初めてうかがった。がれきを堀り秘仏の観音様と発見された観音様を探しだしたが、それから奧は余震もありいつ崩れてくるか分からない状況であったため、断念したとのこと。この観音様は命がけで助け出されたのだ。また、ご兄弟で話し合われた結果、回向院さまで行われる出開帳にこの観音様がお出ましいただけることになった。

 

 佐々木さん曰く、観音様の持ち物は上部が無くなってしまったためよく分からないが錫杖ではないか。錫杖はお地蔵さまが持つもの。細工も細かくないことからも、仏師の制作ではなく、気仙大工の方の中でよく彫刻をする方が村人の依頼を受けて作ったのではないかとのことであった。興味深いご指摘だ。佐々木さんのお知り合いで、観光会社にお勤めの方がおり、気仙三十三観音ツアーの要望が多いため来年四月ころ始める予定のためアドバイスを頂きたいとのありがたいお申し出もあった。観音様を多くの方に拝んでいただきたい。

 

 この日は、オーシャンビュー丸森にて風呂に入り、前回も訪れた「なごみ」に行く。最後の大船渡の夜は更けていく。

 

12月12日

竹野さん宅…〈江刺三十三観音霊場巡礼〉19番二渡観音堂…20番角川原観音堂

…22番上青谷観音堂…5番青谷観音堂…21番岩山観音堂…4番大森観音堂

…33番玉崎駒形神社…32番松岩寺…江刺郷土資料館…一ノ関駅

 6時起床。荷物の整理をし、コンビニで食事を取り、部屋の掃除。何度もお世話になっているのでコンセントの位置までばっちりわかる。きれいに掃除をする。竹野さん宅に鍵をお返しに行く。お店でご家族としばし歓談。

 江刺へと向かう。盛を通り、住田を過ぎ、山に分け入っていく。道の脇に雪がちらほら見えてくる。国道107号を走り宮森ICへ。ここはもうすっか り雪国だ。次の江刺田瀬ICでおりる。この日は江刺三十三観音霊場のお参りと稲子沢の百観音がある江刺郷土資料館再訪が目的である。江刺三十三観音霊場 は、前回江刺郷土資料館を訪れた際、『江刺三十三観音 巡礼ガイドブック』を求めたことでその存在を初めて知った。ひなびたお堂の写真がたくさん写ってお り一度お参りしたいと思っていた。気仙三十三観音とご縁ができ、いろいろ話をするうちに、気仙三十三観音を含め百観音霊場ができないだろうか。もしそれが できれば、たびたび岩手の地を訪れてくれる人が増えるのではないか、という話が持ち上がった。いまはなかなかそこまで手が回らないが、ゆくゆくは江刺また その周辺の観音霊場も含めた百観音霊場を実現したい。

 

 ICをおりると、19番二渡観音堂は近い。今はナビがついているのですぐ近くまでたどり着ける。梁川の交差点から辺りを見回すと、森の中にお堂の姿が見える。すぐにたどり着く。田んぼ脇の細い道を走りお堂の前まで行く。辺りの田は雪で真っ白。積雪は3センチ程度か。雪を踏み分けお堂でお参り。鳥居の脇に椽(おんこ)という名木がある。お堂には参詣者の名が記された木札がたくさん打ち付けられている。いたいたしい。お堂の中には入れず。十一面観音が本尊であるらしいが、厨子に入って見えず。お前立ちは聖観音の様子。暗くてよく見えず。境内には鳥海山の講の碑やら金精様やらいろいろ石碑が建っている。

 

 次は梁川の20番角川原観音堂へ。農協倉庫の向こうにお堂が見えたのですぐたどり着く。倉庫裏を雪を踏みながら堂前にたどり着く。一間四方の小さなお堂に上がってお参り。十一面観音と弘法大師像が祀られている。壁に墨書で参拝者の名が記される。「観音様」と書かれたちりとりが。まめにそうじをしてくれているのであろう。

 

 5分も走らず22番上青谷観音堂。田圃の向こうの小高いところにお堂を発見。雪のあぜ道をたどる。お堂の裏手より坂を上る。これまた小さなお堂だ。扉が 空かぬよう立てかけられている石を横にどかし堂内へ。十一面観音と弘法大師像が祀ってある。しだれ桜があり花の季節はさぞかし美しかろう。お堂を支えてい る基礎は、大小二つの石が絶妙のバランスで積まれているもの。地震でも来たらお堂はどうなるのかと、ひやっとした。

 


 また5分で5番青谷観音堂着。現在は音石神社。青谷橋脇に車をとめ、川沿いに崖脇についた道を行く。向こうには小広い空間があり立派なお堂が建っている。右脇には川がその向こうには田が広がっており、振り返ると巌がそびえ立つ。異空間だ。お堂を建てたときは、川の向こうから材木を運んだのだろう。堂内には入ることができず堂前でお参り。

 

 少々道を戻り21番岩山観音堂。霊場の石柱があるので分かりやすい。車道から山道を数分、森の中に新しい祠がある。扉を開けると熊野権現と弘法大師像が祀られていた。雪の山道で滑りやすい。

 これから水沢に近づいていく。ずっと店ひとつ無い地域を走っていたが、国道に出て町が近づいているのを実感する。途中スーパーでトイレ休憩。4番大森観音堂は国道から少し入ったところ。境内地が広いうえ、心字池があったりと昔は地域の中心であった寺であろうと推察される。立派な本堂が残るが扉の落書きがたいそう見苦しい。行事の時には多くのお参りがあるのだろう。

 もうだいぶ街に近づいてきた。33番玉崎駒形神社は国道より坂を登っていくのだが、路面が凍結しており車道脇に車を止め未舗装の道を登る。凍結箇所多く かつお堂も遠く難儀する。民家の一部がお堂になっているがどうも霊場の写真とはちがうため急坂を更にのぼりつめると宝物殿がありその上に立派なお堂があ る。義経が奉納した槍などがあるという。杉木立の階段の途中、池があったり祠があったりとお参りが絶えないような霊場であったのでろう。堂内には入れず外 でお参り。

 車は江刺の街に入る。昼食を取り32番浄土宗松岩寺さまへ。吉水さんのお父様のお知り合いだとか。電話で連絡しお訪ねする。建て替えたばかりの立派な庫 裏でお話しを伺う。本堂でお念仏の後、観音堂にて法要。本堂の阿弥陀様は堂々たるお姿だ。観音堂には檀家の形の位牌所が安置されておりその上部には百観音 のお像がある。ゆっくりとお話しをいただく。


 そして今回の締めは、江刺郷土資料館奥の院にある稲子沢旧蔵の百観音、善光寺如来などの壮大な仏像の数々。辺りを気にせず大きな声でご法楽。本多さん は、はじめて拝する仏様でたいそう感動していらっしゃった。 江刺三十三観音は、村の外れにぽつんと建つひなびたお堂が多く趣がある。気仙三十三観音の場 合は、管理者の方のお顔がよく見え日常生活の中に溶け込んでいるよう感じた。それぞれの霊場にそれぞれの良さがある。また、江刺三十三観音をゆっくりじっ くりお参りしたい。

 

 一ノ関へは高速を使いすみやかに5時過ぎに到着。6時50分の新幹線まで今回の反省会を入念に行う。

文責・福田亮雄)